シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「物欲が許されるのはバブルまでだよねー」

 
痛いニュース(ノ∀`) : モノがあふれる現代社会で、物欲がない消費者が増加中 - ライブドアブログ
 
 『痛いニュース』は煽りが強すぎると思うことがあるけれど、今回の記事は良かった。
 
 この期に及んでもなお、「消費者には物欲に取り憑かれてもらわないと、日本の景気が回復しない」という主旨をオブラートに包みまくって言いたがる人がいるようだけれど、いわゆる“庶民”までもがグッチのバッグを購入し、三十回払いローンでラグジュアリカーに手を出し、やたらばかでかいテレビを居間に置かなければ元気の出ない景気って、一体全体どういう景気なのか?“庶民”が血尿を出しながら物欲に身を委ねる姿こそを“内需拡大のあるべき姿”などと夢想している人がいるとしたら、そりゃあ外道というほかない。
 
 

「えーマジ物欲!?」「キモーイ」(以下略)

 
 昨今の消費者の物欲が少なくなっているというなら、それは個人としてとても賢明なことだし、たいていの社会適応に有利な性向でもある。こんなご時世でも「セレブ特集」などという馬鹿げたバラエティ番組は健在だが、ああいう誘蛾灯に物欲をドライブされるような人間には、これから先の人生、艱難辛苦と絶望が待っているだろう。手の届くところにあるものを楽しみ、身の丈に合ったものを購入して楽しむ、そういう感覚の人間のほうがずっと気楽に生きていけるだろうし、現に、庶民としてまともな感性を持った人達はそのように選択している。
 
 じゃあ、物欲がなくなったら不幸になるのか?
 
 そんなことはない。不幸という体感は、欲しがっているのに手が届かない状況で体感されるのであって、そもそも欲しいと思わなければ手に入らない不幸を体感することは無い*1ブランド品のバッグは、それを欲しがってはいても手の届かない人だけを不幸にするのであって、欲しがりもしない人間を不幸にするものではない*2。逆に、足ることを知り、むやみにモノを欲しがらない人間こそが、不幸を感じにくい境地に到達しやすい。自分の手の届く範囲のコンテンツや日常品だけで足りている人というのは、高価な品物や話題の商品に囲まれてはいても物欲の亡者と化して常に他人の庭を覗き込んでいるような人よりは、ずっと平穏な境地に辿り着くことができる。
 
 だとしたら、消費者の物欲をドライブさせることで成立する経済発展って、一体何なんだろう?いや、経済発展もある程度は必要だし、その経済発展があってはじめて成立する社会的インフラがあるというのも理解できる。けれども、中産階級の物欲を焚きつけて、ブランド品やラグジュアリーカーを売りつけることで成立していた経済発展って一体なんなのさ、と思うし、そんなことをいつまでも続けていれば不幸な市民で街が溢れるのは必定というほかない。
 
 まぁ、ブランド品やラグジュアリーカーを一揃い買って、それでもう幸せになれるというなら悪い話ではないだろう。けれども実際は、ブランド品やラグジュアリーカーを買ったとしても、またすぐに物欲を刺激されて渇望にみちた生活が始まるだけだ。物欲をドライブさせる経済システムは、決して消費者を満足させないし、平安な心境へと至らせない。満足してもらっては困るんだから。平安な気持ちになって貰っても困るんだから。
 
 鼠車の鼠のように、あるいは地獄の餓鬼のように、いつまでもいつまでも満ち足りない物欲に衝き動かされるままに、カネをどんどん使うのが“このシステムに期待されるべき消費者”の姿だとしたら?ブランド品を買ったら次はカーナビ?次はiPod?消費者の物欲をドライブさせなければ成立しない経済システムってのは、消費者に“足ることを知ってもらっては困る”システムであり、言い換えるなら、消費者を物欲の執着地獄へと誘導するシステムでもある。亡者は一人でも多いほうが良く、できるだけシステムに忠実な亡者を増やさなければならない。物欲のマッチポンプと化したシステムに疑問を持つことなく、ただひたすら消費のレミングスと化していた一時代を、後世の人は哀れに思い出すのかもしれない。
 
 資本主義的なシステムそのものは不可避にせよ、消費者の身の丈を逸脱した物欲を煽ることに依存したシステムは、人間を幸福にするには向いていない。そもそも、人間に経済が仕えるシステムならわかるが、経済が人間を奴隷にするようなシステムは本末転倒というものだ。
 
 

ちょっと補足

 尤も、新しい消費者が物欲が薄くなったからといって、執着全般までもが薄くなったかというと、そうではないとは思う。コミュニケーションに伴う欲求を代替するサービスの台頭をみれば、それがよくわかる。物欲に対しては聡くなっている現世代の人達も、別方面ではさっぱり聡くなっていないし、執着のクレバスに落ちる人は後を絶たないようではある。
 
 

*1:もちろん、嫉妬や酸っぱい葡萄も同様である。

*2:ちなみに、手に入れた人間を幸福にしてくれる、とも限らない