シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ドライで縦割りなコミュニケーションに“横幅”を

 
 
 日常生活を振り返ってみると、決まりきった話題や役割ごとに区切られた、ドライで縦割りな間柄が多いことにドキッとすることがある。
 
 職場では職場の役割と話題に終始し、街に出れば客と店員というコンテキストの内側でだけやりとりをする。そしてオフ会では、仲間との共通話題で吹き上がるetc…。そうやって何気なくコミュニケートしている限りは、お決まりの相手とお決まりの話題に終始するばかりで、話題がそこからはみ出すことは滅多に無い。しかも、そのほうが意外と摩擦も少なく快適で、“ハズレ話題”で相手に引かれるリスクも回避できるから、やめようにも簡単にはやめられない。
 
 コミュニケーション巧者を自認する人のなかには、相手や場面ごとにペルソナやキャラを使い分け、それぞれの場面や話題の範囲内に特化した付き合いを沢山つくることこそが巧者の証と言う人もいるかもしれない。確かに、そういうのも巧いといえば巧いのかもしれない----そのようなペルソナやキャラの使い分けを維持可能な程度に、タフなメンタルを持っている人であれば----。だが、その路線で何十もの“役割の束”“キャラの束”をカード帖のように保有し、使い分けながら生きていく生き方は、僕のような少し古いタイプの人間にはしんどい。カメレオンのようにペルソナやキャラを変えまくっていると、神経を使いすぎるような気がするし、しまいに自分自身の顔が思い出せなくなって、のっぺらぼうになってしまう*1ような気がするからだ。
 
 とはいえ、街のなかで暮らしている限りは、どうしても話題や役割の外に一歩踏み出すのがおっくうになるし、下手な踏み出し方をすれば薮蛇のリスクもある*2。のっぺらぼうも怖いし、藪蛇も避けたい。では、どうすれば良いのか。
 
 この疑問に対し、「そんなの簡単じゃん。俺の個性を曲げずに、ありのままの俺を自己主張すれば良いのさ」と答えた人に出会ったことがある。残念ながらその人は、個性全開という名のもとに自己主張を押し付けて回った挙句、誰からも嫌われて引きこもってしまった。しかも、その自己主張というのも、どこかのテレビドラマで類型化されているような二束三文の自己主張だったわけだ*3 *4。ただ一つの“個性”とやらをゴリ押しして回っても、到底上手くいきそうにない。
 
 
 そこで次善の策として今の僕が採用しているのは、役割の決まった個々の間柄でもコミュニケーションの“横幅”をちょっとだけ広げるようなやり方だ。例を挙げるなら、
 
 
 ・趣味で繋がった仲間とのやりとりのなかに、関連はあるけれどもちょっと違った話題を混ぜてみる
 ・職場の人が偶々持っていた本や私服をヒントに、その系統の話をしてみる
 ・普段は同じことばかり一緒にやっている人と、全然違うことをやってみる
 
 
 のようなものだ。これらはいずれも薮蛇リスクを含んでいるし、ドライな付き合い方を好む人には敬遠されがちかもしれないけれども、巧くいけば、役割や立場に縛られがちな間柄にちょっとした“横幅”を付け加えてくれる。どうやら僕は、コミュニケーションにこういう“横幅”が幾らかあったほうが、かえって神経を摩耗しすぎず、自分自身ののっぺらぼうさに打ちのめされずに済むらしい。割り切った関係がウリの都市空間的コミュニケーションからは後退気味だれど、多少の湿り気と横幅のある間柄を幾つか育ててあったほうが、かえって伸び伸び生きやすく、人間関係を信頼出来る拠り所としやすいように思う。
 
 
 ただし、この手の“横幅のあるコミュニケーション”は誰でも簡単に出来るものとは限らないとも思う。以下の問題をある程度レギュレート出来ない人においては、むしろ役割で縦割りされたコミュニケーションから出ないほうが良い、のかもしれない*5
 
【1.“横幅”を押しつけるとろくなことが無い】
 コミュニケーションの“横幅”を指向するにしても、明らかに相手が望んでいない話題を振りまくったり、立場的に横幅を求め過ぎるわけにはいかない相手に“横幅”を強引に期待したりするのはまずい。いつもの話題・いつもの立場の内側からはみ出す際には、相手の立場・興味・志向などへの配慮が望ましい。まして、いわゆる“呑みュニケーション”的な押しつけでは、断絶をもって報いられるのがオチだ。
 
【2.“横幅”を急ぎすぎるとろくなことが無い】
 特定の趣味領域や仕事仲間と、そのセグメントのなかで信頼関係を築いてくれば、ある程度まではコミュニケーションの“横幅”を広げやすくもなってくるだろう。けれど、出会ったその日からいきなり様々な話題を広げようとしても、こいつは何なんだ馴れ馴れしいやつだな、と思われるのが関の山だ。特定の領域・立場というセグメントの内側で最低限の間柄を構築した後のほうが、大抵はやりやすい。
 
【3.“横幅”を欲張りすぎてもろくなことが無い】
 特定の役割や仕事を超えたコミュニケーションに“横幅”が膨らんできたとしても、あまりに過度に欲張り過ぎると、間柄が壊れてしまうかもしれない。極端な例を挙げると、人妻の同僚とのコミュニケーションの“横幅”が広がってきたからといって、“不適切な関係”まで求めるようになれば破滅の日は近い。そこまでいかなくとも、誰にだって踏み込んで欲しく無い領域というのはある。また、コミュニケーションの“横幅”が広くなったのに任せて「ボクの全てを分かってくれなきゃヤダヤダ!」というレベルまで相手に求めれば、交際相手や結婚相手の水準でさえ、相手は愛想が尽きてしまうだろう。間柄の適切な距離感を維持する意志と能力が無い人は、ここで躓いてしまうかもしれない
 
【4.“横幅”を増やしすぎると身が保たない】
 ただでさえ沢山の人と沢山のお付き合いをしているというのに、全ての間柄の“横幅”を広げてしまったら、パンクしてしまいかねない。付き合いが増えれば、その分だけ時間もカネも体力も精神力も必要になる。“横幅”を育んでいく間柄を増やしすぎて破滅しないよう、意識しなければまずいだろう。
 
 

コミュニケーションに関する判断力や技能が必要にせよ…

 
 ここまで読めば分かるように、コミュニケーションの“横幅”を適度に育み、レギュレートするには、それなりの判断力と、コミュニケーションの諸技能が求められる。しかも、特定の話題・立場・セグメントの内側で吹き上がる為の技能とは違うタイプの技能が求められるわけで、“オフ会慣れ”“仕事慣れ”しているからといって身に付いているとは限らない技能だとも思う。
 
 では、そういうものが無い人が“横幅”づくりの練習をどこでどうすれば良いのか?
 
 正直、これが正解という上手い方法は思いつかないが、まだしも良さそうに思える一例としては、どこかの飲み屋に通ってみて、おばさんやバーテンさん、飲み屋の他のお客さんなどと会話を試みる、というのは如何だろうか。店の酒や料理を会話の橋頭堡にしつつ、そこからコミュニケーションの“横幅”を模索する。店にもよるが、飲み屋のお店の人も、お客さんも、ある程度までは(特に年少の客の)不器用さに寛容で、ある程度までは話を合わせてくれる(かもしれない)。緊張しがちな人の場合も、アルコールが意外な助けになってくれることもある。もしも気まずいことがあって店に行きづらくなっても、ほとぼりが醒めた頃に行ってみれば意外と暖かく迎えてくれることも多い*6。迷惑になるような行為はむろん論外だが、社交の場として・練習の場として、幾らかの可能性はあるかもしれない。
 
 もう一つ、行きつけの飲み屋という手段がとりにくい人にお勧めかもしれないのは、“両親以外の親族”だ。ちなみに両親を避けるのは、思春期の人にとっての両親は意外と距離のとりづらい相手だからだ。その点、祖父祖母叔父叔母やいとこぐらいの水準であれば、まだしもお互いに距離を維持したまま“横幅”を広げやすい。そこそこの付き合いのある血縁者なら、若干付き合いの許容範囲が広くなりやすく、お互いに事前情報を掴みやすいという点もプラスに働く。血縁者と疎遠すぎる場合などはこの限りではないが、これも“横幅”を広げる一助になるかもしれない。
 
 これらが完璧なソリューションだとは思わないし、“学校のサークル”をはじめ、いろんな方法があるだろう。ともあれ、人と人との間柄をデジタルな縦割り関係だけに疲れてしまっている人・都会のドライさに乾ききってしまっている人には、この手のコミュニケーションの“横幅”はおすすめだと思う。しがらみが過度になりすぎない程度でも十分だから、“横幅”のある、多少湿り気のあるコミュニケーションを生活のなかにちょっと差し込むだけでも、かなり違うんではないだろうか。
  
 

*1:ここでいうのっぺらぼうの所を、“アイデンティティ”と言い換えたい人は言い換えてもいいかもしえない

*2:例えばゲーセンの音ゲー仲間に、唐突に“精神現象学について”話を振るような空気の読めなさは、ドン引きをもって報われるだろう

*3:予防線的に書いておくと、「じゃあ二束三文ではない自己主張とはなんぞや」と問われたら、僕こまってしまいます。

*4:それともう一つ、自己主張と迷惑行為の区別がつけられない人は、どういう路線でやったってどのみちダメだろうなぁと思います。

*5:ただし繰り返すが、そのような縦割りのコミュニケーションに終始したままでアイデンティティや実存的不安に対峙するのは、そう簡単なことではない。同人でも仕事でも、どこか一つの縦割りセグメントで有頂天になり続ければ、こうした問題を棚上げすることは確かに可能だが、そのような人は、その一点が衰退に向かえば人生が終わったような気持ちに直面しそうではある。

*6:とにかく、この辺りは店によって当たりはずれは当然あるとは思います。それと、店のジャンルによっても色々ありますよね。