日頃のコミュニケーションが巧くいかない理由として、「自分の顔がパッとしないから」「自分の顔が良くないから」と答える人は少なくない。“要は、勇気が無いんでしょ”という人の場合も、顔を理由にすれば勇気の問題は忖度されないので、顔だけのせいに責任転嫁するのは巧い方便といえる。しかし顔や表情を介したメッセージは確かに重要で、“顔のせいでコミュニケーションが不利になる”人というのが一定の割合で存在しているのも事実だろう。
ところで「パッとしない顔」というのは一体何なんだろうか。コミュニケーションに向かない顔、というのは一体どんな顔なのか。真面目に考えてみると、実は、顔面の「かたち」そのものが問題になっている事例よりも、顔面の「はたらき」が問題になっている事例のほうが多いんじゃないか。「俺の顔は不細工だから」よりも「俺の顔は不器用だから(巧く働かないから)」のほうが問題としては大きいんじゃないか?
「パッとしない顔」というのは、表情のわかりにくい顔のことではないか
人が「パッとしない顔」「冴えない顔」という時、それは顔面の凹凸や目鼻の細かな違いを問題にしているというよりも、喜怒哀楽の表情表出がはっきりしているかどうかや、時宜に適ったものなのかどうか、を問題にしているのではないか。人間という生き物は、お互いの顔をみあいながら、表情という名のシグナルをやりとりしながらコミュニケーションをしている。顔をみて、相手の喜怒哀楽をみて、それで互いの状況や立場などについて確認しあいながら私達は生きている。だからこそ表情は重要だし、人間の顔面は表情を用いたコミュニケーションに適した形態に進化してきたのだと思う*1。だが、表情の変化に乏しい顔・非言語メッセージを読み取りにくい顔というのは、このようなやりとりには寄与しない。表情の乏しい人というのは、周りの人からみて何を考えているのかが推測しにくく、誤解も増えやすい*2。喜びや怒りを誰かと共にする時なども、笑顔や怒りの表情がハッキリクッキリしていなければ、共感のシグナルとしては機能しにくい。かと言って、無理矢理に笑ったり怒ったりしてみただけでは、不自然さが強調されて当惑されたり、どぎついメッセージになって引かれてしまうこともある。
コミュニケーションの出来る人が必ず美人とは限らない。しかし、コミュニケーションの出来る人は必ず表情が豊かだ。顔面の形態の美醜にかかわらず、豊かな表情をもって非言語レベルのメッセージを有効に使える人・使っている人こそが、「パッとした顔」なのではないか。そして表情の表出が不明瞭な顔を、人は「パッとしない顔」と呼ぶのではないか。例えばテレビでお笑い芸人などをみていると、彼らは必ず表情がクッキリハッキリしている。みのもんただって、ちょっと鬱陶しい顔ではあっても、非常に表情が豊かで、メッセージが読み取りやすい「はっきりとした表情」をお茶の間に届けている。コミュニケーションを商売にして成功している人達は、みんな非常にはっきりした、読み取りやすい表情をたくさん表出している。「誤解されやすい表情」「読み取りにくい表情」ばかり浮かべて成功しているタレントさんなんて、皆無に近いんではないだろうか。
人間にとって、表情の表出と読み取りは死活問題だった
太古の昔から、人間は群れをつくって生きてきた。だからこそ人間同士で情報を交換したり、意思疎通を図ることが重要だったのだろう。そのなかで、表情やボディランゲージなどの非言語メッセージのやりとりが占めていた割合は非常に大きい。言語は勿論重要なコミュニケーションのチャンネルだが、言語が発展する以前から、私達は表情やボディランゲージを用いてきたし、言語が抜きん出た重要性を帯びるようになったのは、本当に最近の出来事に過ぎない。そして現代においてさえ、面と向かったコミュニケーションの巧い人達は、非言語メッセージの表出に長けている。声音や表情や身振り手振りを用いて、言語メッセージを補足・強調・緩和することが出来る。
大脳皮質の運動野のなかの位置づけをみるにつけても(参考:脳の世界:中部学院大学 三上章允)、人間にとって表情の操作が死活問題であったことが推定される。人間の運動野のなかで、顔面の筋肉が占めているハードウェア領域はかなり広い。発声・咀嚼を司る口腔〜咽頭臓器や、繊細な運動機能を与えられている手指ほどではないにしても、かなり幅広い領域が割り当てられている*3。もし、顔面の表情表出が重要でないとしたら、こんなに広い神経領域は与えられていなかっただろう。大脳という臓器は、身体のなかでも際だって燃費の悪い臓器である。“無駄飯食いの神経細胞”を養う余裕などない筈なのに、これほど沢山のハードウェア領域が顔面の筋肉に割り当てられているということは、それだけ表情の表出能力というものが、人間の生死・繁殖を左右する重要なファクターだったことを暗に示しているように思える*4。
で、表情の乏しい人というのは、この広大なハードウェア領域を酷使せずに、表情表出というシグナルを丸ごと使っていないか、不器用にしか使っていないというわけだ。コミュニケーションに用いるべく潤沢なmotor neuronをあてがわれている領域を、耕すことなく荒れ放題にしているようなものだ!しかしこれでは、コミュニケーションの効率性が違ってくるのも無理もないことだ。表情表出が乏しいほど、または不器用であればあるほど、的確に意図を伝えることも、望ましい影響を与えることも難しくなるし、接する人達も「この人はなんだかわかりにくいなぁ」ということになる。単純に言って、表情の乏しい人は、表情の豊かな人に比べて誤解されやすく、理解されにくく、共感されにくい。なぜなら「表情」というメッセージ領域が、丸ごとおざなりにされている*5からだ。これが、娑婆世界という人間のあいだで生きていくうえでどれほど損なことなのか、どれほど機会を失わせているのか、ちょっと考えればすぐに想像出来るだろう。この、表情表出の可否に比べれば、眉毛が太いだの細いだの、まぶたの一重二重など、些末な問題でしかない*6。
もっと、いろんな表情をつくってみましょうよ。
よって、美醜はともかく「パッとしない顔」というのは、顔面の形態ではなく機能の問題だと私は考える。つまり「かたち」よりもまず「はたらき」の可否の問題なのではないか。「パッとしない顔」と言われたことのある人は、美容形成外科にコンサルトする前に、まず鏡に向かって自分の表情をチェックし、自分の表情の「わかりやすさ」を確かめてみよう。もし、自分の表情が不明瞭だったりわかりにくかったりしたら、色々な表情を工夫してみよう。「この表情、どうよ」と友達に訊いてみるのもいいかもしれない。
しかし、これはそんなに悲観的な話ではない筈だ。表情の表出トレーニングや、表出の工夫次第で、「パッとしない顔」を卒業できるかもしれないということなんだから。あくまで顔面表情筋の機能が不十分だというなら、“顔面をもっと運動させれば”もっと上手に、もっとわかりやすく表情を伝えられるかもしれないのだ*7。少なくとも、鼻の高さや身長を高くしようとあがくのに比べれば、個人の努力や工夫の及ぶ余地が大きいといえる。そして、脳神経的に潤沢なハードウェアを割り当てられた、これだけ大きなコミュニケーションのチャンネルを荒れ放題にしておくのはとても勿体ないと言わざるを得ない。多様で細やかな表情がつくれるかもしれない顔面の潜在的機能を、もしかしたらあなたは眠らせたままにしているのかもしれない。
顔の決め手は、「かたち」も「はたらき」。だとすれば、もっと自分の表情を大切にして、もっと自分の表情を気にしてみてもいいんじゃないかと思う。もっと、いろんな表情をつくってみましょうよ。
[関連]:2007夏コミ三日目行列にみる、男性オタクの表情と服飾の特徴に関して - シロクマの屑籠
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*1:人間の顔面の皮膚は、皮膚の他の部位に比べて体毛が少なく皮膚が薄い。このため衝撃や科学的侵襲に対してかなり脆弱である。その代わり、顔面の紅潮なども含めた、豊かな表情を多彩なニュアンスを込めて表出することが出来る。もし、人間の顔が犬や猫のように毛だらけだったとしたら、衝撃や科学的侵襲にはずっと強くなるかもしれないが、表情の表出は遙かにわかりにくくなってしまうだろう。
*2:ちなみに、いつも同じ表情をしている男性のすべてが「表情に乏しい」わけではないことを一応断っておく。例えば職業ヤクザの人のような場合は、常におっかない表情に固定化することにより、「俺を舐めんなよ」という適切なメッセージを発している場合がある。これは優れて適応的な表情の固定化と言えるが、実の娘をあやす時などは、苦労するかもしれない。
*3:勿論、これらは別々の機能というよりも、連合することによって最適の機能を発揮する
*4:なお、アルツハイマー型認知症などで大脳皮質の萎縮が進行してくると、必ずと言って良いほど表情表出が乏しくなってくる。大脳皮質の機能、特にこの領域の運動機能が障害されてくると、かつては表情豊かだった人でも、能面のような表情になってしまう。
*5:または制御不十分の状態になっている
*6:しかし、女性達の化粧には感心する。彼女達は、自分達の表情表出の効果を思い通りに最大化するべく化粧に余念が無い。上気した表情・凛々しい表情・挑発的な表情、などを一層強調するべく、顔面の細部に至るまで調整する彼女達をみていると、ああ、こいつらにはかなわないなぁ、と思わずにはいられない。
*7:少なくとも私はそうだった。私は表情の表出がとても苦手だったが、意識的に表情をつくるようあれこれ試行錯誤した後、今ではある程度まで意図的に表情を表出出来るようになった。