http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756
上記リンク先を読んでいてもう一つ思ったことがあったので、もう少し。
リンク先の文章でy_arimさんは、「カジュアルな承認欲求」というレトリックを用いていますが、これってもしかして、「カジュアルな承認欲求など要らぬ」「しかし、エグゼクティブな承認欲求ならば歓迎じゃ」という意味でしょうか?もしそうだとしたら、これはちょっと贅沢過ぎる承認欲求だなぁと私は思ってしまいますし、随分と面倒な承認欲求をお持ちだなぁということになります。
「高尚なことで褒めてもらえないと承認欲求が満足できない」とか、「吉野家の牛丼のような承認では朕の心は満たされない」とか「周りに優越感ゲームを仕掛けながらでないと褒められた気がしない」というのであれば、なかなか心の器を満たすことが難しそうな、面倒な承認欲求だと思いませんか。この手の承認欲求は、余程極端な才能を持っているのでもない限りは、普通、自意識過剰とdisられたりすることを逃れられないと思いますし、だからこそ社会適応にかなりの制限を来たしてしまうような気がします。私は、エグゼクティブな承認欲求しか我慢ならないという構え方の承認欲求は大変そうだと思います。出来うるなら、もっとお気軽に承認欲求が備給出来るほうがきっと気楽に生きられるような気がしますし、そういう意味では、ニコニコ動画で『らき☆すた』あたりで屈託なく弾幕している人達のほうが緊張の少ない生活が過ごせそうな気がするのです。
「カジュアルな承認欲求」に対して、「フォーマルな承認欲求」だの「エグゼクティブな承認欲求」だのを想像してみます…あっちでもこっちでも「エグゼクティブな承認欲求」では、なんだか優越感ゲームの権化のようだし、肩が凝って仕方が無い気がしてきました。だから私は、承認欲求それ自体は結構良いものだとは思うにせよ、「エグゼクティブな承認欲求」はほどほどに、と思わずにはいられません。インターネット空間には多分、「カジュアルな承認欲求」では全く承認された気分になれなくて、「エグゼクティブな承認欲求ならば歓迎じゃ」という隠れた願望を持っている人も混じっているんじゃないかと思います。そういう肩の凝りそうな、緊張と葛藤の強そうなメンタリティをもう少し解きほぐすにはどうすればいいのかなぁ、というテーマを最近私はしきりに考えているところです。