シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

美術館で「ひぐらし」や「つよきす」を母親に紹介する夢

 
 
 【或る三十路オタクが2007年2月17日にみた夢】
 
 それは、母親と一緒に美術館を回っている夢だった。
 
 美術館に展示されている作品は、どれも私自身の愛着や私自身の延長線上として捉えられるアイテムばかりであった。つまり、パイプオルガン*1であったり、フルートであったり、人間関係を網の目に指し示したモデル図であったり。それらを一つ一つ、母親と一緒に眺めては私は「これはこういう作品で、ここがすごいんだよ」などと解説をしていた。母親は、私の解説をうんうんと頷いて聴いていた。
 
 美術館の展示も終盤に差し掛かった頃から、展示作品が変化しはじめた。
 
 
 「ひぐらしのなく頃に」「ひぐらしのなく頃に解」*2
 
 「新世紀エヴァンゲリオンのサントラCD」
 
 「つよきすの箱」
 
 「新和版D&Dの赤箱や青箱」
 
 「ゲーム基盤」
 
 これらの展示作品を私が喜びを交えながら紹介し、母親がそれをうんうんと聞いているうちに、夢は醒めた。夢が醒めた後、私はなんともいえないすっきり感を味わったのだった。
 
 
 【夢について考えてみる】
 
 実は、こういう夢をみたのは(私にとっては)初めてだったのですごく驚いた。起床した後、なんともいえない感慨に私はまったりせずにはいられなかった。何が初めてでどう驚いたのか?!確かに母親が夢に出てくること自体は珍しくないし、夢の前日たまたま母親と再会する機会があったのでそれは分からなくもない。自分のオタク趣味分野に関連した作品が夢に出てくることも少なくない。問題になるのは、それらの組み合わせと夢のなかにおける文脈だ。
 
 これまでの私の場合、オタク趣味関連の楽しい夢というのは、オタク趣味への造詣をともにする人達と楽しむという夢か、自分ひとりでゲーセンに行く夢などと相場が決まっていた。オタク趣味への造詣の無い人が登場する夢のなかでは、シューティングゲームもビジュアルノベルもテーブルトークも、必ずと言ってよいほど「禁じられた遊び」「おおっぴらにしないで楽しむもの」「分かる人にはわかるけれど、分からないひとにはわかってもらえない」という文脈でしか登場しなかったのだ。認められなかったり、貶められたり、隠蔽されたりしなければならないものという文脈から、常に逃れることは出来なかった。勿論、私自身のコンプレックスなりオタク観なりが夢にそのような文脈を与えていた、と読み取ることが出来る。脱オタという名のエクソダスを遂行して数年経っても、夢のなかの私はなおも「オタク趣味を後ろめたいものとして取り扱っていた」。
 
 ところが今回、私は母親にそれらを紹介してまわって、喜びながら解説し、うんうんと頷いてもらっていたのだ。オタク趣味に対する私の母親の理解はまったくゼロで、むしろそれらに対して(ステロタイプな)嫌悪感すら抱いているようにみえる。そんな母親に対して、夢のなかの私は嬉々としてオタクコンテンツを紹介し、「これはよいものだ」とおおっぴらに主張しているのである!それも、美術館で!
 
 夢の前半に出てきたパイプオルガンやフルートやコミュニケーション技術らと並んで、「ひぐらし」やら「つよきす」が美術館に陳列されているということは、オタクコンテンツを(クラシックやコミュニケーション技術などと同等に)素晴らしいものだと私自身が思っている証拠なのだろう。そして{美術館という顕示的空間において母親にそれらを紹介し、承認してもらっている}という構図は、私自身がオタク趣味に対して持っているコンプレックスなり自意識の屈折なりを克服しつつあることを示しているのかもしれない。もし深読みが許されるとするなら、母子関係または対人関係全般における自己承認の問題に一定の決着がついたことを暗示しているのかもしれない*3。夢から醒めた後の晴やかさは、これまで一度も経験したことのない、大きな喜びに満ちた夢だった。
 
 美術館という顕示的空間のなかでオタク関連作品が肯定的に登場し、しかも母親に紹介して認めてもらっているという夢自体は、格別珍しいものではないのかもしれない。特に、オタク趣味なりオタクな自分なりに屈折した感情を持たない人においては陳腐な夢に過ぎないのかもしれない。でも、ある種の屈折を内在させ続けたオタクとしての私の半生*4においては、まず有り得ないものだったのだ。オタク人生を歩いてきて十余年、夢のなかとはいえ、私は母親に対してはじめて肯定的にオタク趣味を紹介できた。それは嬉しいことだった。私のなかで、何かがようやく変わりつつあるのだろう。変化したのは、オタク趣味へのコンプレックスなのか、母子関係なのか、対人関係そのものなのか?それは定かではないけれども、この夢に暗示される私内部の変化を、とりあえず喜んでおこうと思う。
 
 あなたは、夢のなかでオタクではない知人や母親に「ひぐらし」や「つよきす」を紹介できますか?
 
 私は、やっとできるようになったみたいです。
 
 
 ※以上はしろうと夢判断です。
 ※ついでに、私は他人の夢はわかりません。自分の夢は、自分の夢コンテキストのなかでだけ、判断します。
 ※自分の夢については、せいぜい一ヶ月に一時間以下しか考えないことをお勧めします。
 

*1:もちろん弾けないけれども、パイプオルガンの楽曲を聴くのはとても好きだ

*2:「ひぐらしのなく頃に礼」はやっていないからだろ、夢に登場しなかった

*3:ここら辺、コフートが好きな人は、bad mother theoryとか誇大自己とかの文脈で再読してみるともっとわかりやすい解釈が導き出されてあんぐりしちゃうかもしれない。でも、たぶんシロクマのなかのひとは実際そういう感じなんだろうと思うし、逆にだからこそ私はコフートが好きなんだろう。ということで、どこかのメタカラスさんなどはコフート使ってこの夢を読解してみるとスッキリするかもしれない。

*4:というよりも、自意識そのものに屈折を内在させ続け、たまたまオタクだあった、と表現したほうがより事実に近そうだが