シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

二階席から空き缶を投げてクマの顔面に命中させる楽しみ。

 
2006-07-23 - REVの日記 @はてな 
 ようやくお返事が出来た事をうれしく思っています。REVさんにお伝えするのも筋違いのような気もしますが、気兼ねなく(というか無遠慮に)書けるお相手となるとやはりあなたが最もお返事しやすいので。
 

この、エントリーとその反応は、リングで殴りあうようなものではありません。
二階席からリングに向かって空き缶を投げ込んでいるようなものです。

 
 ええ、仰りたいことはわかっている、ような気がします。市民さん達の(あるいは、しばしば、私の)オタクの心的傾向を前提とした諸議論をやっつけるには、二階席からリングに座布団や空き缶やリンゴの芯を投げこんでも仕方ないし、野次っても仕方ない。やっぱりリングに登って肉弾戦をやるしかないはずで。肉弾戦は楽しかろうという見込みのある人や、肉弾戦で殲滅が可能だという計算が成立している人じゃないと、まぁ、やらないでしょうね。おそらく、市民さんは(あるいは、しばしば、私は)オタクの心的傾向に関して肉弾戦を仕掛けてくる相手を一日千秋の思いで待っているでしょうけれども、そういうのはあんまりないですね。個人的には、1980年以降に生まれた新世代のオタ達からは有効な反論がいつか来るんじゃないかと期待はしていますけれども。
 
 一方で、二階席からリングに座布団や空き缶やリンゴの芯を投げつける行為、及びその空き缶の投擲放物線の美しさに陶酔する行為が無意味なものかというと、決してそうではないと思うので、どんどん空き缶を投げたり声を嗄らして野次ったりするのが良いでしょう。罵声をあげるだけだってかまわないでしょうし。みんな、やりたいようにやればいいんじゃないでしょうか。その各選択肢には、その選択肢ごとの意義なり何なりが秘められているでしょうから。空き缶の投擲放物線を観察しているうちに全く異なる方面の議論が発生してくるかもしれませんし、罵声を浴びせる観客席を見上げるレスラーの表情から、優越感ゲームなり何なりを抽出することも出来るかもしれませんし。第一、市民さん達と(あるいは、しばしば、私と)真正面から肉弾戦をしなければならない義理なんて誰にもありませんしね。
 

俺がいつ、非モテを代弁したっていうんだよ?

 
 2006-07-24 - 東京横浜オーケストラ 
 こちらの文章も気になるのでお返事書くことに。
 
 汎用性の高い適応は、正義ではないと思いますが、力には違いないでしょう。コミュニケーション娑婆世界における政治ゲームと力学ゲームのなかにおいては、力とは正義とニアイコールなので近似して良いとは思いますけれどもね。でも、力と正義の等号は、「力とは正義」と考える人にとってのみ成り立つものだと私は思っています*1。私は不正義でもいいから、娑婆世界を這ってでも生きていくパワーが欲しい、ただそれだけです。非モテ非モテ騒いだり、社会正義の実現についてテキスト垂れ流したりするよりも、コミュニケーションを鍛錬し人の世を出来るだけ要領よく渡って行く為の諸々を集積させるほうが、私個人の社会的予後を改善しそうだと数年前の私は考えました。この考えに沿って、適応技術を身に帯びるようにリソースを蓄積するようにと邁進して参りました。私個人のこの営みが正義か悪か、またはマクロレベルの社会にとってどうなのかは、私と私に親しい人々にとって瑣末な問題でしかありません。
 
 まぁ、ネットの非モテさんからみて私の歩んできた道のりと私の汎適応主義的個人ドクトリンがどのように評価されるのかに関わらず、「私個人が適応していくこと」を悪いことだと思っている身内や友人は少ないことでしょう。遠戚のばあちゃんも、私が色々な話をしてくれるようになった事を大層喜んでいましたし。
 
 
 おっと、ここで気づいたんですが、kiya2014さん、なんか他所で適当な事書いてくれちゃってますね。かなり頭にきた。てめーふざけんな。

kiya2014 『非モテは、「電車男」を筆頭とした、モテない男をピエロ的に取り上げるメディアやMasaoやp_shirokumaやクゼナルト等の脱オタ“悪の枢軸”たちによって常に代弁されてきました。』

 俺がいつ非モテを代弁したんだよ?あ?確かに脱オタ技術を必要な人が必要な時に使えるように宣伝したり、侮蔑されるオタクの心的傾向について書いてきたつもりだ。しかし、俺がいつ非モテを代弁した?これじゃあまるで、俺が「非モテとはこうだ」という一面的な見方を喧伝し続けてきたみたいじゃないか。冗談じゃない。喪板や毒男板、非モテブロガー達よりも俺はでかい声をあげて「非モテとはかくかくしかじかなり」と演説ぶったのかよ?マクロの非モテをくっちゃべってきた&広報してきたのはむしろ非モテブロガー達や2ch系列のほうじゃないのか?俺のあげた声が、僅かなりとも「非モテってこんな人」という見方を形成する材料になった可能性は認めなくもない。が、もっと「代弁」という表現の似合う奴等がいるんじゃないのかよ。俺はミクロの脱オタ、とりわけその技術論に集中してきたつもりだ。しかも、オタ趣味を持っていて侮蔑されている感覚に悩んでいる者が主体的にそれを何とかしたいと思っている人をターゲットに技術論をぶってきたつもりだ。それをよくもしゃあしゃあと。技術論が政治的意味合いを帯びるってことはわかるにしても、いくらなんでも「常に代弁」などといわれる筋合いはねぇぞ*2。適当こいてんじゃねぇ!
 

[本家開設以来の考え]緒言(汎適nerd study所属)
 

*1:一方、正義もまた政治ゲームにおける力のひとつとして勘定できる点も念のため指摘。非モテだって、非モテ非モテと叫んでみたり、非モテであるところの自分を他人の前に曝したりした時点で、おそらくは利己的目的を誘導する一連のパワーゲームを展開していることになることぐらいは、皆さんもよくご承知の筈

*2:第一、代弁してますなんて名乗りあげようもんなら、非モテブロガーから非難ごうごうなのは間違いないだろが。だから俺は、「非モテを代弁する」というポジションを徹底的に回避するように回避運動を続けてきたつもりだし、それがあいまいなMasaoさんの立ち回りを危ういものとして感じていたわけだ。

人生はドラクエには喩えられないが、ハードなMMOになら喩えられる

 
2006-07-19 - すべての夢のたび。
恋人のいるブサイクちゃん、ブサイクくんは性格がメチャクチャいいに決まってる! - MORE系男子ぶlog
 
 人生は、娑婆はロールプレイングゲームに似ている…とは思わないが、FF11やラグナロクのようなMMOには幾らか似ている。それも、初代ウィザードリィのような、レベルアップやレベル差に途方もない差のあるような、ゲームバランス無視のMMOに喩えられるかもしれない。レベルの上限もなければリセットボタンも無く、それでいて種々の時間制限に縛られた世界。人生世界RPGは、必ずしも誰もが楽しめるという前提ではない、洋ゲー以上にピーキーなゲームバランスに設定してあり、そこに何億ものプレイヤーがひしめき合っている。
 
 MMO界隈にありがちな表現でこのゲーム世界を表現すると、以下のような感じだろうか。

 効率、効率!
 アイテム!アイテム!
 人脈!人脈!
 モテ!モテ!
 果てしなく続く、リソースの奪い合いと成長効率の追求。
 他のプレイヤーとの同盟や反目といった、ドロドロした政治ゲーム。
 氏族同士の武力抗争。
 優越感ゲームと自己満足を追い求めて、助けたり助けられたり、教えたり学んだり。
 利他的プレイヤーとDQNプレイヤーの激しい衝突。
 金銭も経験値もその他のリソースも、強いプレイヤーの所に等比級数的に集積する。

 
 経験値天井知らずのこの世界では、経験値効率が1000倍になるアイテムの使用を躊躇うプレイヤー(人間)はいない。もし、十分に可能な条件が整ってさえいれば、全てのプレイヤーは経験値なり(金銭やステータスなどの)リソースなりを最大限ゲットするように行動するのが人生世界MMOの大きな特徴だ。例えばドラゴンクエストにおいては、最初からレベル99ではゲームが面白くない――成長のプロセスを楽しめないからだ。しかし人生世界MMOでは最初からレベル99でも全く困ることは無いし、むしろ高いレベルからスタートしたいと誰もが願っている*1。最初からレベル99のプレイヤーは、レベル100なりレベル200なりを目指して、剰余の時間をさらなる成長と豊かな経験に割り当てるだけだ。おそらく彼は、レベル1からスタートする人に比べて等比級数的に多い経験とリソースをかき集めるだろうし、「つまらない」なんて事もまずあり得ない。レベル1からスタートしたキャラクターより多くの経験値とリソースを彼は手に入れ、より良い装備を身につけ、より広いフィールドなり深い智慧なりに到達するに違いない。そのうえリソースがプレイヤー間で競合するものだとすれば、チート(=インチキ)してでも早くレベル上げしておかないと椅子取りゲームに取り残されかねない。ドラクエみたいに悠長な事は言っていられないし、皆がその事を知っている。お受験への執着なんかも、まぁそういう事だろう。
 
 プレイヤー同士の競争や対決という点でも、通常のRPGとは随分異なる。通常のRPGには競争相手となる人間は居ないが、MMOの世界には様々なリソースを巡って利害の対立するプレイヤーが存在し、社会を形成している。この傾向は、人生世界においてはさらに顕著だ。利害対立と同盟関係は網の目のように細かく、個々のプレイヤーが抱えるハンディのギャップも大きい。レベル99などという天井が無いこともあって、例えばレベル20のあなたがミニゲーム「ブログごっこ」をマイペースにやっていた時に、LV15924のid:fromdusktildawnとかいう化け物プレイヤーが操作するキャラクターに遭遇して、このようにこてんぱんにのされてしまうこともあり得るのだ。いや、ミニゲーム「ブログごっこ」ならいいけれども、ゲーム本編にも敵対的なプレイヤーはごまんと存在して、搾取するタイミングを狙っている。俺俺詐欺などは、弱いプレイヤーからリソースを巻き上げる搾取の最たる例と言えるだろう。この人生世界は本当にせちがらく、リセットが無く、脅威に満ちている。こんな世界で、経験値効率が1000倍になるアイテムを使いたがらないプレイヤーなど、まず居るわけがない。みんなみんな、最大効率を目指してあくせくしている。
 
 一方で、ここまでリアルでリセットが無くシビアで時間制限のある世界だからこそ、一つの達成や一つの勝利は巨大な喜びに繋がるし、恋や友誼は特別な意味を持つ点にも言及しておきたい――ちょうど、ディアブロ2のヘルモードの成長がかけがえ無いのと同じように、いやそれ以上に。経験値効率が1000倍になるアイテムを使って短期間にレベルをあげたとて、人生世界RPGでは嬉しくないなんて事は無い。どんな達成にも、どんなベストにも、喜びを見出すチャンスは、ある。自分にとっての最善を出し切って、自分にとって最高効率の結果を獲得出来るならば、試合に負けたゲームすら獲得となり得る。怠惰や怯懦に足を引っ張られてベストを尽くせなかった時には後悔が待っているかもしれないが、それすら後日の糧になるかもしれないのが人生世界のRPGだ。回り道も無駄も、どこにあるのだろうか?「低い効率」はあるかもしれない。だが「収穫ナシ」なんてものは、最善を尽くして経験稼ぎ&リソース稼ぎをしている限りあまり無いような気がする。尤も、ホンモノのMMOと違ってプレイヤー視点ではなくキャラクター視点でしか人生世界はみえないので、「実は物凄い経験値を吸収したのに、当人は単なる無駄だと思っている」ような局面は多いかもしれないし、そのせいでみすみす可能性ををドブに捨てる人はいるけれども…。
 
 “娑婆世界”という名のフィールドのなかで、私やあなたの人生世界RPGはこんな感じで、非可逆的に進行していく。その中でいかに(自分が求める方向の)経験値なりリソースなりを精一杯稼いでいくのか?どんな途を歩いていくのか?浅ましさと尊厳と不平等と理不尽さを抱えながら、今日も私達は最適化されたプレイを求め*2、無い知恵を絞って今を生きている(一見カードを切るのを諦めている人も、多分、それが最善だという考えなり衝動なりに則って行動しているに違いない)。精一杯プレイしている限り――つまり精一杯生きている限り――経験値が倍加するようなアイテム使用を躊躇わず、出来るだけ前に進もうとするのが人間だ。と私は確信している。
 
[MMOに関する考察は、うさださんへ]:「MMORPG」の画期的特性とは何だったのか - うさだBlog / ls@usada's Workshop
[追記]:人生世界RPGにリセットボタンは無いが、ハードウェアをたたき壊す事なら、出来る。
 

*1:ただし、レベル5〜レベル20を全く経験しなかった、等の欠損は躓きの石となるだろう、この喩えにおいても。

*2:この『最適化されたプレイを求め』というくだりを“執着”と表現するのは、それほど的はずれではないことと思う