シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

イオンのある風景、遠ざかる故郷

 
 
gendai.ismedia.jp

 
 リンク先の文章は、いくらか誇張された内容かもしれないが、大筋としては、起こる将来だと思った。
 
 人口が減少し、それまでの社会制度や社会空間が維持できなくなった時、そのことを自己正当化する思想は、後発世代からノロノロと現れて、浸透していくのだろう。
 
 日本や韓国のような国は、先進国化するのも、少子高齢化するのもあまりに急激だったから、人口動態のスピードに、世の中の常識や思想の変化が追いつかない。今、目の前で起こっていることに常識や思想が追いつかないうちは、旧来の常識や思想にもとづいて政治決定が行われ、事態を改善する機会をみすみす見逃す。
 
 十分に事態が悪化してから、おもに後発世代によって、それに即した常識や思想が支持されるのだろう。その遅さを「人間の愚かさ」と断じるつもりは無い。どだい、現行の政治決定のシステムでは避けられないことなのだ。現行の政治システムに、急激な人口減少のようなカタストロフに対処できるほどの機動力は、望むべくもない。
 
 

そんな街でも、故郷という名前がある

 
 そのような悲観的認識にもとづいて、ふと、目の前の故郷について書いておきたくなった。
 
 リンク先には、これから急激に人口が減少していく地方都市に関して、以下のようなくだりがある。
 

しかしそうした街の景色はいつしか、どこも似たり寄ったりになっていった。国道の両側に、ファミレス、コンビニ、ドライブスルーのマクドナルド、ユニクロ、やけに横幅の広いスーパーマーケット、そして巨大なイオンモールが立ち並ぶ――まるで書き割りのような街並みだ。
 
やがて住民は歳をとり、彼らの子供は東京や大阪、名古屋といった大都市で就職したまま、戻ってこなくなった。日本中どこにでもあるような無個性な「故郷」に、わざわざ帰る動機も必然性もない。

 
 地方都市ならどこででも見かける、あの、画一的な風景が定着したのは、いつの頃だっただろうか。
 
 三浦展『ファスト風土化する日本』が出版されたのが2004年。で、私が記憶する限り、90年代の前半にはああいう景色が日本各地にできはじめていて、90年代の後半には、だいたい完成していたと思う。
 
 2010年代になって、ショッピングモールや郊外のニュータウンはますます洗練されたものになった。とはいえ、どこまでも続く自家用車の列と、画一的な店舗群が織りなす、“ファスト風土”と呼ばれる景観そのものはさほど変わらない。ほぼ四半世紀にわたって、あの、書き割りのような街並みのなかで人々が暮らし、そこで子供を育て、思い出を作って生きてきたということだ。
 
 「思い出をつくって生きてきた」ということは、「そこが人々の故郷になった」と言い換えることもできる。
 


 
 風光明媚な田舎町や、洗練された大都会を良しとする人達からみれば、イオン、アリオ、平和堂、コンビニ、ファミレス、ニトリ、マツモトキヨシ、ユニクロといった店舗の並ぶ風景は、慕情をそそるものではないかもしれない。
 
 だが、四半世紀という時間はあまりにも長く、そこで生活する者の記憶にベッタリとこびりつく。家族の団欒も、初めてのデートも、放課後の語らいも、あの書き割りのような街並みのなかで過ごしてきた人々にとって、イオンのある風景こそが故郷の風景、かけがえのない慕情を想起させる風景になっていく。
 
 そういえば、今から何十年も前、デューク・エイセスの歌に、高度経済成長期の薄汚れた東京を故郷として歌ったものがあった。
 
 灰色の街。
 黒ずんだ河。
 煤煙とビル。
 
 そんな東京でも、故郷という名前がある……というその歌になぞらえて、「イオンのある国道沿いの風景にだって、故郷という名前があったっておかしくないじゃないか」と私は思う。
 
 高度経済成長期の東京と違って、地方の国道沿いには中心的な価値も、発展していく未来も無い。
 
 だからこそ、あの、画一的な風景は、いつかは失われていく、少なくともシュリンクしていく風景だと覚悟しておかなければならない。
 
 今でこそ、大きなショッピングモールは繁栄し、新興ニュータウンを抱えた国道沿いのエリアは不夜城のような賑わいをみせている。だが、地方で生活している人間で、そこに永遠の繁栄が約束されていると思い込んでいる人はあまりいるまい。
 
 国道16号のような、大都市圏に隣接したエリアならいざ知らず、地方の県庁所在地同士を結ぶような“普通”の国道をつぶさに観察すれば、国道沿いの繁栄が、県境から少しずつ廃れているのがよくみえる。ある時期までは大手コンビニチェーンが席巻するかにみえたコンビニですら、ぽつぽつと閉店していき、ピカピカの威容を誇っているのは、老健施設のたぐいばかりになっていく。
 
 人口動態統計をみる限り、こうした流れに歯止めがかかるとは考えられない。多くの国道沿いの風景が、商業地や民家の打ち捨てられた、寂しい風景になっていくのだろう。
 
 家族と一緒に出掛けたイオンも、初めて一人で服を買いに行ったユニクロやアベイルも、永遠のものではない。過疎化が進むとともに、企業は、容赦無く撤退していく。
 
 

この画一的な故郷を、きっと私は忘れない

 
 私は、地方の国道沿いの風景、あの“ファスト風土”と呼ばれる月並みな風景が好きだ。そして嫌いでもある。「なんでも揃っているけれども、何もない空間」とは、よく言ったものである。
 
 それでも、“ファスト風土”がもたらした諸々は、田舎者には大きな福音でもあったはずだ。そこで幸せな時間が営まれていたはずなのだ。
 
 この季節の午後7時頃、“ファスト風土”の幹線道路に、真っ赤なテールランプがどこまでも続いているのを眺めていると、私は、こういったセンチメンタリズムに囚われて、感情失禁にも似た何かがこみあげてきて困ってしまう。
 
 時代は変わり、人は年を取り、街は変わっていく。
 
 諸行無常は世の中の絶対法則だから、こんな街並みに執着していても良いことなど無いはずだが、それでも、ああ、私はこの街並みを故郷として生きていくのだろう。これまでも、きっと、これからも。
 
 

みんなで“おみこし”を担ぐ社会、再び

 
 今日の文章は、いつも以上にフワッとした話なので、そういうつもりで読んで欲しい。
 
 
 先日、講談社ビジネスに以下の文章を寄稿した。
 
gendai.ismedia.jp
 

同じ構図が、たとえば映画『シン・ゴジラ』や大河ドラマ『真田丸』などにも当てはまります。いまや、SNSを使いこなしている世代には、話題や体験を共有して「群れる」ことが当たり前になっています。

誰もがスマホを持ち、誰もが「シェア」や「リツイート」といった機能を使いこなす時代が到来したため、大ヒット作品は、「群れる欲求」をみんなで充たすのに最適な、いわば“おみこし”コンテンツとなりました。
 
時代は再び、“おみこし”を必要としているのです。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51763

 
 そう、“おみこし”のターンが来ていると思う。
 

 
 

時代それぞれの“おみこし”事情

 
 人類は太古の昔から“おみこし”をみんなでワッショイすることで社会的欲求を充たしてきた。みんなで“おみこし”を共有し、持ち上げる行為は、メンバーシップの一員としての自覚や仲間意識をもたらした。つまり、みんなの所属欲求を充たしあうイベントだった。
 

 
 たとえば、トーテムポールを囲んでお祭りをする人達。岸和田のだんじり祭り、諏訪大社の御柱祭などもそうだ。“おみこし”をみんなで担いで、一体感を感じる。そのとき活躍したメンバーには敬意が払われ、承認欲求が充たされる人もいるだろう。いずれにせよ、“おみこし”を皆で担ぐことで社会的欲求を充たしあうイベントは、あらゆる共同体に付き物だった。
 
 で、戦中に国を挙げての“おみこし”騒動が起こり、戦後、伝統的な地域共同体が希薄になっていったことで、いったん“おみこし”の時代は終わったかにみえた。
 
 個人は共同体のしがらみから解放され、それぞれ自由に社会的欲求を充たせるようになった。そのかわり、共同体を頼りにして社会的欲求を充たせなくなった、ということでもある。共同体経由で所属欲求を充たす流儀は、土着の不良少年やヤンキーを例外として希薄になり、そのヤンキーにしても、個人主義の波に揉まれるうちに、マイルドになっていった。
 
 かわって、社会的欲求を充たす主な手段となったのは、「モノやコンテンツの消費」だった*1
 
 社会的欲求の観点からみると、ファッションには二つの機能がある。
 
 ひとつは、アイテムセレクトによって、「自分らしい自分」を自己演出していくこと。ここでいうファッションとは、服飾や調度、音楽、デジタルガジェット、そういったファッション的機能を帯びたすべてのモノやコンテンツを指す。それらのトータルとして、他者から承認される自分自身をデザインしていく。そうすれば、承認欲求を充たすことができる。
 
 もうひとつは、自分自身のセレクトによって、「オシャレな人達と同じ自分」「ファッションブランドと同一な自分」をデザインしていくこと。ここでも、服飾をはじめ、ありとあらゆるモノやコンテンツが「オシャレな達と同じ自分」を演出するための *2 アイテムとして用いられる。「自分はオシャレなあの人達と同じだ」「自分は憧れのファッションブランドの顧客だ」と共同幻想を抱くことで、所属欲求が充たされる。
 
 だから、たとえばベンツのSクラスやオメガの時計をセレクトする行為に、 1.他者から承認される自分をデザインする という承認欲求のための機能と、 2.ファッションブランドを身に付けることで憧れのファッションスタイル、あるいは階層に所属していると思い込む という所属欲求のための機能が混在していても、まったくおかしくない。
 
 とはいえ、個人主義へと傾く一方の時代だったから、こうした差異化ゲーム・優越感ゲームで主に充たされるのは、承認欲求のほうだった。そうやって承認欲求を充たすために、ファッションに「課金」するのが、ほんの一握りの若者の特権から全員の義務になっていった*3のが、20世紀後半の社会状況だったように思う。
 
 それから、バブル景気が崩壊して二十余年。
 
 現在でも、モノやコンテンツに「課金」してライバル達に差をつける、それで承認欲求を充たす、という方法が絶滅したわけではない。ただ、昨今の国内情勢を眺めていると、そういう方法は、一時期ほど盛んではないようにみえる。*4
 
 冒頭リンク先でも書いたように、スマートフォンとSNSの普及は、現代人の社会的欲求の充たし方にブレークスルーをもたらした。その一端は「いいね!」に代表される承認欲求の充足だが、もう一端は、「シェア」や「リツイート」による所属欲求の充足だ。
 
 インターネット上での所属欲求のドライブとしてわかりやすい例は、『君の名は。』『シンゴジラ』『真田丸』あたりだが、“おみこし”として選ばれるコンテンツのなかには、政治的なものもあれば、排他的・攻撃的なものもある。炎上コンテンツも“おみこし”の定番だ。みんなで誰かに石を投げれば、みんなの所属欲求が充たされる。
 
 が、なんであれ、シェアやリツイートをとおして体験やオピニオンを共有すれば、承認欲求を充たすよりもイージーに所属欲求が充たせるということを、たくさんのネットユーザーが、その身体で覚えてしまった。しかも、金銭的コストがほとんどかからないときている。
 
 テクノロジーが普及し、イージーかつローコストに社会的欲求を充たせる新経路ができあがったことによって、インターネット上で再び“おみこし”が蘇ったのである。
 
 

インターネット“おみこし”の源流

 
 もちろん、こうしたインターネット上の“おみこし”ワッショイは唐突に始まったわけではない。

 少し前の連続テレビ小説やアニメ映画やもまた、SNSに慣れたネットユーザー達によって、“おみこし”コンテンツ的に消費されていた。消費されていた、と書くとアレルギー反応を起こす人もいるかもしれないが、要は、作品そのものを楽しむと同時に、みんなが作品を楽しんでいる共犯意識やドライブ感みたいなものも楽しまれていた、と言いたいわけだ。『魔法少女まどか☆マギカ』『けものフレンズ』などの消費状況は、まさにこの典型だった。
 
 もうちょっと遡ると、ニコニコ動画のコメント弾幕文化も思い出される。ニコニコ動画は、単なる動画サイトではなく、動画を“おみこし”として、みんなで盛上がるのに適したインターフェースだった。だからこそ、今でもアニメ実況などの時にはみんなでワッショイしている。
 
 こうしたおみこし的なコンテンツ消費は、もちろん、2ちゃんねるでも行われていた。
 

 
 2ちゃんねるでは、祭りが起こるたびに“おみこし”ワッショイが盛り上がっていた。おみこしとなったスレッドが、しばしば炎上やスキャンダルのたぐいだったことが示しているように、肝心なのは、おみこしの内容ではない。みんなでワッショイできるものなら、何でも良かったのである。
 
 また、コンテンツを“おみこし”として共有するという意味では、各種実況板や各種専門板も、固有の作法を暖め続けていた。実況板ではあらゆるテレビ番組で“おみこし”ワッショイしていたし、各種専門板も、高度に空気を尊重しながら「おれら」「おまいら」の“おみこし”を奉じてきた。
 
 そう、少なくとも2ちゃんねるが隆盛をきわめていた頃、日本のインターネットの小さくない部分は、承認欲求ではなく、所属欲求にドライブされて盛り上がっていたのだ。
 
 匿名を前提としたこれらのインターネット“おみこし”は、個人主義の色彩を強めていく90年代末~00年代前半の社会状況のなかでは一種のカウンターカルチャーでもあり、文化の伏流水的存在でもあった。そうした経緯の延長線上にニコニコ動画の台頭があり、今日のSNS経由の大規模な“おみこし”現象があると、みるべきだろう。
 
 2ちゃんねるやニコニコ動画に比べると、SNSの普及率は桁違いで、それゆえ“おみこし”の影響力も甚大だ。カウンターカルチャー的な色彩も薄い。ここまで到達してようやく、“おみこし”は本当に社会に影響力を及ぼし得る規模になったと言えるだろう。
 
 “おみこし”をみんなで担ぐ社会が再びやって来た。
 それが、良いことなのか悪いことなのかはさておいて。
 
 

少しばかりの「いいね」と“おみこし”ワッショイでだいたい間に合う

 
 このほかにも、国民的アイドルグループの“推し”の影響や、東日本大震災の影響など、インターネット“おみこし”に繋がりそうな要因はまだまだ思いつく。が、それらを網羅しようとするときりがないので、ここらへんでやめておく。
 
 ともあれ、スマホやSNSの普及によって、承認欲求と所属欲求はイージーに充たせるようになった。今日のスマホユーザーやSNSユーザーのほとんどは、そのことを熟知したうえで、社会生活やネットライフに支障を来さない範囲で、おおむね上手に欲求を充たしているようにみえる。ほとんどの人は、身の丈に合った「いいね」による承認欲求の充足と、大小の“おみこし”ワッショイによる所属欲求の充足で、だいたい間に合っているのではないだろうか。
 
 このように、インターネットにおける「認められたい」の充足布置は、承認欲求と所属欲求が並び立つような状況になっている。結局私達は、承認欲求だけで満足できるわけではなく、所属欲求を忘れられなかったのだ。
  

認められたい

認められたい

 

*1:この消費の流儀は、70年代あたりから大都市圏で広まり始めて、90年代には日本全国に浸透し、土着の不良少年やヤンキーをも呑み込んでいった

*2:あるいは、そのように自己洗脳していくための

*3:ところが、一部の若者が、このファッションへの「課金」という義務を怠ったものだから、非常識でキモい、何を考えているのかわからない人間とみなされたわけだ。オタクである。

*4:もし課金するとしても、その課金先はモノやコンテンツというより、シチュエーションや体験のほうだ。

私がBooks&Appsに参加することになったいきさつ

 
 
blog.tinect.jp
 
 私がBooks&Appsで文章を書くようになって、もうすぐ1年になる。
 
 Books&Appsというネットメディアは、ちょっと不思議だ。よくあるオウンドメディアやキュレーションメディアと違って、古式ゆかしいブロガー風な文章を、一日1~2本のペースで連載し続けている。私は、Books&Appsのことを“ブログ複合体”と勝手に解釈している。実際、たくさんのブロガーがBooks&Appsで健筆をふるっているので、これは、ブロガーが集まった何かである。
 
 

「じゃあ、シロクマさんに会いに行きます」

 
 ことの始まりは、一通のメールだった。
 
 「Books&Appsで記事を書きませんか。」「条件はかくかくしかじかで」――こういったお誘いのメールには、私もだいぶ慣れた。が、ちょっと意外だったのは、「記事をお願いする前に、一度お会いしませんか?」という文言がついていることだった。
 
 紙媒体の編集者さんが、「一度会ってから」とおっしゃるのは珍しくない。が、ウェブ媒体で「一度会ってから」というのは珍しい。しかも、主宰者の安達裕哉さん自身がこちらのスケジュールにあわせて片田舎までいらしてくださるという。一体どういうおつもりなのか。
 
 はたして、安達さんが持ってきたお話は、「Books&Appsで記事を書き続けませんか」というものだった。
 
 安達さん曰く、*1
 

 「日本にはいろいろなウェブメディアがあるけれども、ライター然とした記事を並べたものが中心です。けれども私は、ブロガーの、ブロガーとしての面白さやカラーを汲み取れるような、そういう雑誌みたいなメディアを作ってみたい。だから、私が面白いと思ったブロガーの人に、参加をお誘いしているんです。」
 
 
 ブロガーとしての面白さやカラーを汲み取れるようなメディアだって!!
 
 ブログ大好き人間な私にとって、これは殺し文句である。だが、ひとことでブロガーと言っても、ブロガーにはいろんな種類がいる。安達さんは、どういったブロガーを集めたいのか?
 
 「シロクマさんのところ以外だと、たとえば『不倒城』さんとか『いつか電池が切れるまで』さんとか。あと、“コンビニ店長”がブログを続けていたなら、是非声をかけたかったのですが。」
 
 うおおぉおおお! 安達さんは“そういうブログ”が好きなのか!

 その後しばらく、ブログ談義と個人ニュースサイト談義に花が咲いて、安達さんのブログの好みと私のブログの好みがかなり重なっていることがわかった。安達さんはブログの書き手だが、ブログの読み手でもあった。はてな村の歴史についても、議論が暖まった。
 
 これで、話は決まった。私はBooks&Appsに参加することになり、ライター然とした文章ではなく、ブロガー然とした文章を月に1~2回程度、お届けしてみることとなった。私にとって初めての“連載”だ。私は“連載”をかなり恐れていた。人様にさしあげる文章を、そんなに書き続ける自信が無かったからだ。しかし、初めての“連載”がブログ然としたメディアなのは、とても運の良いことだと思った。
 
 

他のブロガーさんと同じ場所で書いているのは、なかなかに刺激的

 
 それから一年が巡って、いろいろと学びがあったように思う。一時期、Facebookな想定読者に配慮してみようと試行錯誤した時期もあったけれども、結局、自分が書きたいことを書きたいように書くのがベストのような気がした。この『シロクマの屑籠』との差別化みたいなものも、今はあまり考えていない。
 
 自分以外のブロガーさんと同じメディアで記事を書けるのは、大きな刺激でもあり、大きな救いでもある。同じメディア上でやっていると、他のブロガーさんの動きを意識する度合いがちょっとだけ高くて、ようし、俺も何か書いてやるぜ!と思う頻度が高くなる。それと、他のブロガーさんが、いかにも「らしい」記事を書いているのを見て、安堵することもある。こういった諸々の感覚は、Books&Appsに来るまではあまり感じなかったものだ。
  
 でもって、参加しているブロガーの皆さんのおかげで、現在のBooks&Appsの雰囲気ができあがっている*2。それは、まさにブログ複合体だ。願わくは、Books&Appsが、これからもブログらしい面白さを宿した何かであり続けますように。いや、自分も参加者の一人なんだから、ブログらしい面白さを追究していこう。
 
 一年間、いろいろとありがとうございます。そして、今後ともよろしくです……>ALL
 

*1:ここからは、私の記憶を思い出して書く内容なので、もしかしたら間違いがあるかもしれない。が、私はだいたい以下のように記憶している

*2:それと、時々混じってくる企業広報の記事が捨てがたい。ときどき、信じられないほど面白いものが混じっている

俺はおじさんだが、思春期心性を腹の中に飼っているぞ

 
orangestar.hatenadiary.jp
 
 読みました。中年期危機は、病名ではなく状態、またはひとつのパターンを指す語彙で、「五月病」「引きこもり」などに近いカテゴリと考えます。だから、中年期危機がうつ病に該当することもあれば、該当しないこともあります。精神科を受診するような問題にはならず、本人の社会的な立場だけがが変わることもあるでしょう。
 
 中年期危機が精神科に関わるかたちで観測されやすいのは、

 1.これまでの生き方と、それに関連したアイデンティティが持続困難な状況に直面して、メンタルがやられたり混乱したりする。たとえば、子育てに熱心な主婦が子どもの巣立ちをきっかけにうつ病になった、など。個人的には、初老期うつ病・退行期うつ病といった、より高齢でみられるうつ病に似ているところがあるように思います。
 
 2.今までのアイデンティティ選択がもともと納得ずくではなかったが、どうにか自分を保っていた人が、残された時間が少ないと感じて、一念発起して大失敗して、二次的にメンタルをやられる。たとえば、脱サラや不倫などで人生が大爆発して、二次的にメンタルもやられた人が受診。
 
 といったものでしょうか。
 
 

俺は、自分の中二病を腹の中に飼っている

 
 さて、中年期危機の話はここらでやめて、おじさん・おばさんの内面に眠る思春期心性について、ちょっと。
 
 四十代にもなればアイデンティティも身のこなしも落ち着いてきますし、基本的に、それは良いことだと私は思っています。

 じゃあ、たとえば私が思春期心性を捨てて中年になったのかというと……そうでもないような気がするのです。
 
 私は腹の中に思春期を飼っているつもりでいます。そいつは、長年の経験によってだいぶ円くなっているし、なにより、社会適応の外殻によって外界との接触を制限されています。だから、私が二十代のようにメディアクリエイターを名乗ったり、全世界に向かって勝利宣言をしたりすることはあまりありません。流行に囚われることも無いでしょう。そうです、私は年を取り、若干の社会性を身に付けたのです。
 
 しかし、私を衝き動かすパトスのある部分は、思春期的な、それか、もっと遡って幼児期的なものに依っているんじゃないかと思わなくもありません。
 
 私は好奇心や稚気の強い人間です。モノ書き見習いとして、あるいはブロガーとして、あるいは精神科医として、私は自分がやりたいことに向かってロケットファンタジーしているつもりです。その、ロケットファンタジーを支えているパトスがどこに由来しているかというと、社会適応の外殻でも、年齢相応の社会性でもないように思えるのです。
 
 もし、私のパトスが、社会適応の外殻や年齢相応の社会性に由来しているとしたら、たぶん私はブログを書くのをもっと早くにやめているでしょうし、モノ書き見習いも、3冊ぐらい単著を出したところで満足するか不満足するかして、やめていたんじゃないでしょうか。
 
 社会適応の外殻や年齢相応の社会性の観点からみると、ブログを書いたり書籍を書いたりして得られるメリットって、私の世代の精神科医には少ないと考えざるをえません。
 
 ところが、私はブログが書きたくてしようがないのですよ! 書籍にトライし続けるのも、ちょっと、思うところがあってのことです。このあたり、ただ社会に適応して生きたいだけなら、本当に無駄です。でも、その無駄を牽引しているのは、好奇心や稚気のたぐいであり、小二病や中二病や高二病のたぐいであり、つまり、私の腹の中に蠢いている思春期心性や子ども心なのです。
 
 でもって、無軌道な若者のブログ運営を眺めたり、twitterで一回り以上年が若い人から刺激を受けたりすると、私の腹の中で思春期心性がザワザワとざわめきます。これは、転移に類する現象かもしれません。ともあれ、それで十分なんです。心が暖まって、エネルギーを分けてもらえます。で、「俺は俺で、社会適応の外殻と阿吽の呼吸をとりながら、生きていこう」と思うことができる。これは、ありがたいことです。
 
 オフラインでもそうです。子どもや学生さんに接する時、彼らのガイアの輝きが私の腹の中の思春期心性や子ども心とシンクロして、パワーアップしている気がします。年下の人達が好奇心や稚気を発揮している時や、何かに夢中になっている時に、私自身に共鳴するところがあって、エネルギーが注入されるのです。これも、ありがたいことです。
 
 

「思春期以前を捨てるのでなく、社会適応の外殻ができる」という考え方

 
 「成熟」「大人になる」ってことには、色々な考え方やモデリングがあるでしょうし、私も、あれこれのモデルがそれなり好きです。
 
 ただ、私自身を振り返って時々考えるのは、おじさん・おばさんになるってのは、思春期心性の外側に「大人」的な社会適応の外殻を築いていくってことなんじゃないかなぁ、ってことです*1
 
 どんなおじさん・おばさんも、生まれた時からそのような性質を持っているのではない。子ども心が中心だった時代もあるだろうし、中二病的な、思春期心性がすごく強かった時期もあるでしょう。そういう歴史の積み重ねのうえにおじさん・おばさんの人格が陶冶されていくのだとしたら、いちばん新しくて社会性の洗練された振る舞いの内側に、それ以前の心性や振る舞いが眠っているのは自然ではないでしょうか。
 
 いわゆる「大人になる」ってのも、思春期心性を脱ぎ捨てて別の何かになるっていうより、思春期心性の外側に「大人」的な社会適応の外殻をペタペタと貼り付けて、それらしい振る舞いを身に付けていくことではないか、とも思うのです。もちろん、思春期心性のさらに内側には、子ども心が眠っていることでしょう。
 
 [関連]:大人は「なる」ものじゃない。大人は「やる」もの。「引き受ける」もの。 - シロクマの屑籠
 
 
 とはいえ、四十代五十代になって思春期心性や子ども心のままに行動していては、渡世は覚束きません。
 
 そこで頼りになるのが、社会適応の外殻の強度であったり、社会性の洗練の度合いであったりします。成人として・中年としてまなざされる自分自身にちょうど良い処世術を身に付けること――私は、そういった処世術に長けているとは言えず、周囲の同年代に感心ばかりしているような中年ですが、とにかくも、そういった処世術の重要性は強く自覚しているつもりです。
 
 それともう一つは、自分が飼っている思春期心性や子ども心を完全に抹殺してしまうのでなく、適度に外界に触れさせて、呼吸させておくこと。
 
 思春期心性や子ども心を完全に抑圧し、社会適応の外殻にすべてを委ねるようにして生きていると、檻の中に閉じ込めておいた獣よろしく、思春期心性や子ども心が腹の中で爆発しちゃうんじゃないかと私は疑っています。自分の内に秘めた思春期心性や子ども心を抑圧している人のほうが、ある日、突然に人生のちゃぶ台返しをしてしまうリスクが大きいのではないでしょうか。
 
 たとえば私の場合、ブログや書籍づくりやインターネットの人々との交流によって、思春期心性や子ども心が外界に触れて呼吸できる状態になっているので、それらが抑圧されて内圧が上がり、爆発してしまうとは考えられません。たぶん、他のおじさんおばさんだって、どこか、そういう部分はあるんじゃないかと思います。さきに触れたように、自分自身が中二病やらなくったって、年少者のそれをみていてエネルギー充填できるだけでもいいんです。
 
 なので、これからおじさんおばさんになる人も、自分の思春期を抹殺しようとするのでなく、社会的に無理のないかたちで腹の中に飼い続けるポリシーが良いのではないか、と個人的には思います。まあ、飼い殺しでもなんでもいいですが、とにかく、抑圧一辺倒はやめたほうがいいのでは。そして、過去の自分のメンタリティと、現在の自分の社会適応の外殻の、両方を大切にして、適切に統御していくのが望ましいのではないでしょうか。
 
 尤も、実際に問題になるのはこうしたポリシーの次元ではなく、「じゃあ、どうやって思春期心性や子ども心を穏当に飼い続けていくか」「適切に統御ってどうするよ?」といった、方法論の次元になってくるかとは思います。ですが、最近キーボードの打ち過ぎで指が痛いので、ここらで今日はお開きにしたいと思います。
 

*1:紙幅の都合で細かいことは言いませんが、この考え方は、エリクソンの発達段階説のモデルとも、実はそんなに矛盾しません

「できる事」をどんどん捨てないと生きていけない

 
 三十代から四十代にうつる間に、私は、できることがものすごく増えた。
 
 今まで蓄積してきた知識の量が増え、それと関連書籍をリンクさせながら読書するようになったことで、一冊の書籍から汲み取れる情報量が飛躍的に増えた。十年前の私と現在の私では、読書の方法と効率がまったく違う。
 
 読書だけでなく、ゲームを遊ぶ時のプレイ集約性も、オフ会に参加する時のノウハウもますます高まった。自分で言うのもなんだが、この十年間で、私は驚くほど成長したと思う。体力や集中力の衰えを埋め合わせて余りあるものを、私は獲得してきた。
 
 ただ、できることが増えたけれども、体力や集中力が減った結果として、「できるけれども諦めなければならないこと」が増えた。
 
 あのゲームもこのゲームも面白そうだからやりたい。
 でも、体力や集中力が続かない。もちろん時間も足りない。
 
 今なら、あのスポーツもこの芸事も、若い頃よりよほど効果的に始められるだろう。
 でも、体力も時間も無いから、始めたくても始められない。
 
 「文章を書く」という一点についても、やりたいこと・できそうなことがもっと沢山あるのに、なかなか始められない。私はこのブログの他にも、ワインブログをひとつと、中期的~長期的なミッションの幾つかを持っているが、それらで手一杯で、それ以上のことができない。
 
 本当は私は、今までに遊んだすべてのコンピュータゲームの長短入り混じったレビューを書き記したサイトをつくりたい。それと、ワインを好きになるために必要な知識を、初めての人にもわかるように記したサイトもつくりたい。それから、ライトノベルやweb小説も本当は書きたくてしようがない。実際、プロットの骸骨のようなものはメモとしてたくさん転がっているが、これを肉付きの良いプロットに仕上げるための時間や、つくったプロットをテキストに転写するための余力が無い。
 
 どれも、十年前とは比較にならないほど精巧にやってのけられるだろう。他人の評価はともかく、自分自身が惚れ惚れとするようなアウトプットを完成させる自信はある。けれども、それらに手を出してしまえば身の破滅が待っているだろう。今やっている事すら仕上げられず、消耗しきった私は精神疾患か身体疾患にかかり、何もできなくなってしまうに違いない。
  
 だから、やりたい事をどんどん捨てないと、私はこれから生きていけないんだな、と思った。
 
 私の「選択すればできることリスト」には、実現可能性の高いいろいろなものの名前が並んでいる。正直、自分でも目移りしそうなぐらいで、中年期を迎えた自分自身に、まさかこれほどの選択可能性があるとは考えもしていなかった。そういう意味では、私は果報者だ*1
 
 しかし、知識や経験によってできることが増えた半面、それを実行するための体力や集中力や時間が目減りしてしまったがために、「選択すればできることリスト」から実際にチョイスできる選択肢の数は十年前より少なくなってしまった。あたかも、素晴らしいメニューの並ぶ居酒屋に入ったのに、胃袋が小さいせいで、2~3品しか注文できない人のようだ! もう、思春期の頃のように「あれもこれもつまみぐいしてから考える」なんて体力的・時間的余地はない。今、何かを選択するということは、他の何かを選択しないということに直結している。私は、「選択すればできることリスト」から何かを選んでいるつもりで、実は、選ばないものを捨てているのだ。そうやってできそうな可能性を捨てていかなければ精神的・肉体的に死んでしまうことがわかっているから、可能性のありそうなものでも切っていかざるを得ない。
 
 「可能性を切っていくこと」には、思春期の頃から慣れているつもりだったが、あの頃には、人生の時間はもっとたっぷりあるように思えた。けれども今は違う。自分に残された時間が少ないと肌で感じるようになったし、多くのことに「後回し」という言葉は適用できない。後回しにしている間に、私自身は年を取って、世の中も変わってしまうだろう。そもそも、私は一体いつまで生きて活動できるのか? 切ってしまった「できる事」は、たぶん、諦めなければならない。
  
 能力的な制約が減ったかわりに、加齢という、どうにもならない制約が堆積してきたことによって、私は、運命を、選択を、決めてかからなければならなくなった。今、選んでいることだけでもキチンとやっておかなければ! せめて、選んでしまった「できる事」を「できた事」にコンバートするために努めなければ! 歳月は、人を待ってはくれない。
 
 これは四十代前半の私が正直に思っていることで、五十代前半~六十代前半の私は、きっと違ったことを思うのだろう(もし生きていたらの話だが)。そして、この文章を十年後~二十年後の私自身が読み返すしたら、さぞ羨むかもしれない。が、ともあれ今こうやってブログを書いていること自体も「できる事」の取捨選択のひとつで、私は、この文章をどうしても書き残して、未来の私に伝えてみたかったのだと思う。
 
 「できる事」をどんどん捨てなければ生きていけないのだとしたら、せめて、選ぶべきものをキチンと選んで、選んだからには最善を尽くしていきたい。
 
 

*1:現代人のセンスでは、選択可能性が多いほど幸せで選択可能性が少ないほど不幸せということになっているから、そのセンスに則って言えば果報者、という意味でしかない点に注意