シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

はてなブックマークでも“汚物は消毒”される時代か…

 (※この記事は、はてなブックマーク・はてなブログ・はてなダイアリーに馴染みのある人向けです。ご注意ください)
 
 www.bloglifer.net
 
 ハハハ、id:xevraさんの間違いを指摘する、ですって?
 
 そんな、キワモノ芸人の芸に「オマエ ワ マチガッテ イル!!」と指摘するような不毛を、着想豊かなid:asiaasiaさんがなさるとは思いませんでした。こんなものに、マジになっちゃって、どうすんの。
 
 以前から、xevraさんのはてなブックマーク上の言動には出鱈目なものも多く、それでも、ところどころ“なかのひと”の知性や執着を連想させるフレーバーも感じられて、まあ、読む人によってはカンカンになりそうだし非表示にしている人も多そうだけれども、こういう人がいてもよろしかろうなぁ、ぐらいの気持ちで私は眺めていました。
 
 xevraさんは「メンヘル、メンヘル」と連呼していたので、もし、芸人や道化師としてのコンテクストをはみ出して真顔で滅茶苦茶なことを言い始めたら、そのときは成敗するぞ、などとも思っていましたが。
 
 でも、去年も今年もxevraさんは「通常運転」、私には出番が回ってきません。botっぽい言い回しのなかに混じる人間的な揺らぎも愛らしく、こういう人がはてなブックマークに混じっていること自体は、ブロゴスフィアの多様性にとって良いことであるなぁ、と思っていたのでした。
 
 もちろん、多様性よりも“正しく清潔な、あるべきインターネットの言論”を望んでいる人々からすれば、今すぐ抹殺すべきアカウントなんでしょうけどね、xevraさんは。
 
 

「ハイコンテクスト」で「懐の深い」はてなブックマークは失われつつある?!

 
 こんなかたちでxevraさんに言及したくなったのは、最近、id:nekoraさんが強制プライベートモードになったからです。
 
d.hatena.ne.jp
 
 この、nekoraさんのはてなブックマークコメントも、物議を醸すというか、芸人や道化師としてはともかく、本気で受け取ったらBANするしかないようなものでした。それでも、はてなブックマークという空間で、いや、「はてな村」のなかではひとつの芸人アカウントとして存在し続けていましたし、ときどきマトモなことを言ったり照れ仕草を返したりするところに“なかのひと”のソウルを見出すのが楽しみでもあったわけです。
 
 このnekoraさんに限らず、はてなブックマークには、なんというか、いろんなアカウントがいました。なかには素で極論を叫び続けているっぽいアカウントもいて、でもまあそれがソーシャルブックマークじゃないか、娑婆世界の縮図みたいで良いじゃないか、と私などは思っていました。私のブログ記事も、nekoraさんやxevraさんには何度も打ち据えられてきましたが、まあ、そういうものでしょう、と。
 
 しかし、そのnekoraさんが強制プライベートモードになってしまったということは、これからは、そういうタイプの芸人は積極的に消されるのかなと私は疑いました。
 
 (株)はてな自身の判断なのか、それとも“誰かがnekoraを消した”のかは私にはわかりません。が、はてなブックマーク上でnekoraというアカウントを見かけなくなったことは事実です。
 
 そして今、xevraさんに真正面から「お前は間違っている」と指摘するブログ記事を読んだわけですから*1、流れとして、このタイプの「はてな村の芸人や道化師」は存在困難になっていると私は想像しました。ああ、はてなブックマークでも“汚物は消毒”される時代になっちまうのか、と。
 
 「はてな村」を長らく眺めている人にとって、はてなブックマークで発言する人達は「この人はこういう人」というコンテクストがおおよそ把握できるものでした。コンテクストが成立していたからこそ、xevraさんのコメントもnekoraさんのコメントも許容可能だったのでしょう。
 
 そして彼らのようなアカウントが存在していればこそ、はてなブックマークは良く言えば「懐の深い」「多様性の高い」サービスであり、悪く言えば「好き放題に言う人がゴロゴロしている」サービスでもあったのだと思います。
 
 しかし、「はてな村」の過疎化が進んでいった2008年頃と異なり、2016年の「はてなシティ」には把握しきれないほどのアクティブアカウントが存在しています。個別のアカウントについて「この人はこういう人」みたいなコンテクストを理解しようとしている人はいよいよ少なくなり、今では「はてな村」というスラングも郷土史的なものになろうとしています。
 
 このような状況のなかで、xevraさんの「通常運転」も、nekoraさんの「通常運転」も、「通常運転」として許容しない人が増えてくるのはわかる話です。コメディも、芸風も、十八番も、アカウントのコンテクストを知らない(そして知ろうともしない)人が増えてくれば、許しがたい発言とみなされる確率は高くなるでしょう。
 
 つまり私は、xevraさんやnekoraさんの「通常運転」は、彼ら自身の微妙な技巧によって存続していただけでなく、「この人はこういう人」というコンテクストの共有によっても存続していたのだと思っているわけです。しかし、「はてな村」が「はてなシティ」となり、コンテクストを共有しない沢山のユーザーに利用されるようになっていくなかで、nekoraさんは強制プライベートモードとなり、xevraさんの言動について真正面から批判するブログエントリが利にさといブロガーによって投稿されるようになったのでしょう。
 
 「時代が変わった」という以上に「場が変わった」のだなぁと思います。
 
 

私はガンジス川のほとりのような「はてなブックマーク」を愛していた

 
 もう、おじさんの懐古にしかならない話ですが、私は昔のインターネットの、有象無象がひしめき合っている雰囲気が好きでした。デタラメこいている奴、嫌味な奴、風紀委員みたいな奴、博学だけど残念な奴、ect……。
 
 個々のアカウントへの好悪の念はありましたが、インターネット全体としては、娑婆世界のあらゆる思念が吹き溜まっていること自体は好ましいことだと私は思っていました。
 
 ただ、皆さんもご存じのとおり、2010年以降のインターネットは、そういう吹き溜まりを浄化しつつあります。「はてな村」も「はてなブックマーク」も。こうした流れに抵抗しているアカウントはいなくもありませんが、全体としては、アカウントそれぞれのコンテクストとは無関係にアウトプットが受け取られるという前提に、ブロガーもはてなブックマーカーも適応しているように思います。
 
 私だって他人事じゃありません。このブログ記事を書くにあたって、冒頭に(※この記事は、はてなブックマーク・はてなブログ・はてなダイアリーに馴染みのある人向けです。ご注意ください)などと書いてしまっているのです。これは、読者が場のコンテクストを理解してくれると期待していないスタンスだと思います。
 
 もちろん、目立ちさえしなければ、今でもはてなブックマークやはてなブログ上で毒蛾のようなコメントを吐き続けることは可能です。でも、知られ過ぎてしまったらそれで終わり。“汚物は消毒”されるしかない。だから最近の私は、そういうアカウントを新たに発見しても、誰にも明かさず、こっそり楽しむことにしました。なぜなら“汚物は消毒”されてしまうからです。
 
 私は、娑婆世界のあらゆる情念が陳列されている「はてなブックマーク」を愛していました。いざとなったら、見たくないアカウントは非表示にもできますしね。だから“汚物の消毒”はほどほどにしていただき、コンテクストを共有したうえで芸人や道化師の皆様には生存し続けていただき、阿鼻叫喚な景観を残しておいて欲しい、と思います。それが駄目だとしたら、これから失われることを前提に、片っ端からローカル保存しておくべきなのか。
 
 ただ、今でもインターネットにはそういう場所があるんですよね。
 
 良いのはtwitterです。
 
 どこかの誰かがtwitterで書いていたことの受け売りですが*2、twitterはガンジス川のほとりの如く、人間のあらゆる相が揃っています。道化師も芸人もいっぱいいて、見ていて飽きません。今、インターネット娑婆世界の阿鼻叫喚を眺めるならtwitterが好ましいですね。
 
 ただ、twitterは新陳代謝が非常に速く、調子こいてブイブイ言っていたアカウントが一か月後には消えているなんてザラです。昨今のtwitterは、見込みのある道化師や芸人をステージに誘い、貪るように消費し、叩き尽くしてしまう観があります。「twitterはバカ発見器」なんて言葉もありますが、私にはtwitterが「アカウントをどんどん磨り潰す石臼」にも見えます。いや、twitterに限らずインターネットメディア全般がそうですが。
 
 まあ、そういう環境下でもしぶとく生き残る者達によって、インターネットの歴史が紡がれていくのでしょう。飽きてきたのでこのへんでやめますが、“汚物が消毒”されるインターネットも、そうでないインターネットも、娑婆というのは過酷なものですね。合掌。
 

*1:それも、利にさとい『踊るバイエイターの敗者復活戦』が指摘したのですから

*2:該当ツイートを知っている方、教えてくれたら嬉しいです

アニメやゲームがポピュラーになった社会に、イエスと言う

 
 アニメやゲームが“市民権”を獲得して数年か十数年が経った。
 
 “市民権”と言うとお怒りになる人もいるかもしれない。年配の人からはまだまだ嫌悪されているし、“市民権”などと言う割には政治的な問題意識が遅れている、と批判する人もいるだろう。しかし、そういった指摘ができる程度にはアニメやゲームは世間に広まった。特に三十代より下の世代において、アニメやゲームが90年代のような嫌悪の視線を向けられることは少なくなっている。
 
 なにより、アニメ的表現、ゲーム的表現が驚くほど世の中に溢れるようになった。
 
 地方自治体のキャラクターがアニメ風になったのは、いったい何年前だったろうか。陳腐を地で行くキャラクターが地方自治体の玄関口を飾っている程度には、アニメ風のキャラクターは生息域を拡げた。ゲーム的な表現もそうで、Eテレの『天才テレビくん』はもとより、クイズ番組やバラエティ番組にもロールプレイングゲーム的・シミュレーションゲーム的な表現が頻繁に出てくる。そうやって急速に生息域を広めて“社会の表舞台に現れてきた”からこそ、アニメ表現やゲーム表現の適切さが今まで以上に議論されるようにもなった。
 
 「いい年してアニメを観ていればオタク」「いい年してゲームをやっていればオタク」という時代はとっくに終わった。今では、スクールカーストの高そうな高校生も、白髪だらけのサラリーマンも、電車のなかでゲームを遊んでいる。パチンコの演出も、スマホのキャラクターも、アニメ!アニメ!ゲーム!ゲーム!
 
 「アニメやゲームは、キモいオタクのもの」というステレオタイプも成立しなくなった。なにせ日常生活や人間関係が充実している人達までもが、楽しそうな顔をして『ポケモンGO』や『君の名は。』に飛び付いているのである。ちょっと昔まで、ジブリのアニメなどの一部の『作品』だけが免罪符を獲得していたのがウソのようだ。
 
 

子どもの娯楽からオタクの娯楽へ、そしてみんなの娯楽になった

 
 つまり、アニメやゲームは「みんなのもの」になった。
 
 誰もがアニメを見て、誰もがゲームを遊ぶ。ライトノベルやweb小説も裾野が広がった。そうやってみんなの娯楽になっていく過程のなかで、そこで描かれる表現やキャラクターは微妙に変化していった。
 
 本来、アニメやゲームは第一に子どもの娯楽だった。たぶん漫画もそうだったし、ライトノベルもティーン向きだったっぽいが、ここではアニメとゲームに話を絞ろう。アニメやゲームが製作者側の意思と視聴者側の着眼との相互作用によって、もう少し年上の視聴者にも愛好されるようになっていったのが70-80年代。
 
 その後、【新人類vsおたく】というサブカルチャーの文化主導権争いに敗れたオタクが「キモい存在」と烙印を押されたことによって、しばらくの間、アニメやゲームはまさに子どもとオタクのものになった。例外的アニメもあったし、“国民的ヒット”を記録したゲームの幾つかは免罪符を獲得したもけれども、「いい歳してアニメやゲームにはまっているのがバレたら面倒なことになる」雰囲気は存在し続けた。たとえば「女児向きアニメが大好き」とクラスメートにカミングアウトするのは、社会的自殺とまではいかないにせよ、ダメージを避けられない行為だった。
 
 90年代後半には『新世紀エヴァンゲリオン』が大ヒットした。「『エヴァンゲリオン』でアニメはポピュラーになった」という声は当時から耳にしていた、私は半信半疑でそれを聴いていた。「オタクの解放」を叫んでいたオタク達の裏返った声はいかにも短絡的だったし、民放のテレビ番組が『エヴァ』を紹介する際、“不可解なものが流行しています”と言いたげな雰囲気が宿っていたからだ。私は、そのような報道を眺めて眉をしかめる人や小馬鹿にする人を何人も見知っていたから、『エヴァ』でアニメがポピュラーになったとはあまり感じなかった。
 
 しかし、私の体験はさておいて「90年代末に、エヴァンゲリオンでアニメがポピュラーになった」のは、きっとそうなのだろう。アニメというジャンルを、たぶん『エヴァ』はポップカルチャーに近づけた。だからといって、あの段階では綾波レイや惣流アスカラングレーが好きだとカミングアウトするのは危険だったが。
 
 アニメやゲームが本当の意味で「みんなのもの」になったのは、私は00年代後半、あるいは10年代に入ってからだと思っている。
 
 『涼宮ハルヒの憂鬱』『けいおん!』『魔法少女まどか☆マギカ』などが若い世代に与えた影響は、少しずつ、だが確実に蓄積していった。『Fate』『東方』『ひぐらしのなく頃に』などもそうだろう。パチンコ屋でもアニメ的・ゲーム的意匠は増えていった。でも、そういったコンテンツの果たした役割と同等以上に、たぶんスマホの影響も大きいのだと思う。
 
 スマホによって「隙間時間」にアニメやゲーム、特にゲームアプリが捻じ込まれるようになった。いつでもどこでも楽しめるアニメやゲームが日本サブカルチャー界を席巻していった、あの鬱陶しい広告も含めて。
 
 で、どうなったか?
 
 アニメやゲームは裾野の広い娯楽となった。およそゲームに縁のなさそうな面構えをしたサラリーマンが、手触りのツルツルしたパズルゲームをぼんやりと遊び、快活な若者がスマホを熱心にいじっている――そんな世の中が到来した。
 
 アニメ的表現やゲーム的表現が浸透するにつれて、いくつかの表現は「政治的な正しさ」の問題として議論されるようになってしまった。これは厄介な事態ではあるけれども、マイナーだった頃の表現とセンスをろくに改めず、もはやメジャーとなってしまった現状でも同じような表現やセンスを公衆の面前に晒し続けていれば避けられない事態だったし、これからも問われ続けていくだろう。
 
 他方、アニメはともかく、ゲームに関しては、据え置き型ゲーム機の衰退と「スマホでゲームをやればそれで良い」という雰囲気が広まっていった。これは古参のゲーム愛好家にとってちょっと寂しいことだが、新たにゲームに触れるようになった人達はアニメオタクでもゲームオタクでもないのだから、据え置き型ゲーム機をわざわざ買ってゲームを“やりこむ”なんてことは無くて当然ではある。
 
 公共の場でのゲームマナーにしても、裾野が広がれば話が変わってくる。少数精鋭のゲームマニアだけが位置情報ゲームを遊んでいる時と、ずっとたくさんの老若男女が位置情報ゲームを遊ぶのでは、質・量どちらの面でもゲームを取り巻く状況は大きく変わらざるを得ないし、ゲームの内容もポップなものでなければならない。
 
 この数十年間、アニメやゲームがポピュラーになっていくにつれて、プレイヤーも、ゲームを取り巻く状況も、ゲーム内容もどんどん変わっていった。それによって、得たものは何だったのか。それによって、失ったものは何だったのか。
 
 それでも私は、こんなにアニメやゲームが世の中に溢れている現状を嬉しく思う。私は、アニメやゲームがポピュラーになった社会にイエスと言いたい。本当にたくさんの人々がアニメやゲームを受け入れている未来がやって来るなんて、三十年前には想像もできなかった。長く生きていて良かった、と思う。
 
 

たとえ世間が地獄でも、人を、世間を、愛せますか。

 
ホント世間は地獄だぜ - 北沢かえるの働けば自由になる日記
 
 
 読みました。私はこちらの記事を「(世間から)逃げる奴は発達障害だ、逃げない奴はよく発達した発達障害だ」という気持ちで書いたわけではありません。が、読んだ方がそのような印象をお持ちになったとしたら、そこにとやかく言うのも野暮なので、そこはスルーして拝読しました。
 
 
 他方、「ホント、世間は地獄だぜ」という結びの言葉は、私自身の世界観、いや、娑婆観をかきたてるものがありました。
 
 ここから、私自身の娑婆観について心の赴くまま書き綴っています。
 
 私の知るところの仏教では、生きていること自体が苦しみとみなされ、人間のモチベーション源となる執着も、苦しみの源であるとみなされています。執着が多い人生は、そのぶん得るものも多いかもしれませんが、苦しみも多くなります。長い人生もまた然り。高齢化社会とは、個人が一生の間に苦しむ総量が大きくなった社会とも解釈できます。
 
 そんな私ですから、仏教の「諸行無常」「一切皆苦」といった認識がお気に入りです。厳しい認識ですが、娑婆世界の基礎的なルールとして見過ごすわけにはいかないと思っているからです。ところが、宗教*1を失い、医療や福祉で保護されているかのように思い込んでいる現代人には、「諸行無常」や「一切皆苦」を基礎的なルールとはみなしていない人がたくさんいます。
 
 浄土真宗に「白骨の章」という文章があって、
 

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、すえの露よりも繁しといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
 (蓮如『白骨の章』より一部抜粋、強調は筆者)

 このように書かれています。
 
 現代社会は死亡率が低くなっているので、この「白骨の章」を無視しても普段は困らないように感じられるかもしれません。ですが、そんな現代社会でさえ、突然の交通事故や病気によって命を落とす人はそれなりにいます。また、死にはしなくても、去年まで栄華を誇っていた人が今年には落ちぶれ、来年にはバッシングの対象になっている……なんてこともザラにあります。
 
 テクノロジーや社会システムによって護られているつもりでも、人生の浮沈というのは本当にわからないものです。
 
 

私の娑婆観を決定づけたのは、たぶん不登校

 
 私がこのような娑婆観を持つようになった転換点は、不登校だったと思います。
 
 子ども時代の私は、生きること・適応できていることに何も疑問を感じていませんでした。というか、そういう事を真剣に意識したことが無かったのだと思います。
 
 しかし中学校の荒れた世界に適応できず、不登校になった時、私は「自分の人生はこれで終わった」と絶望しました。学業成績が良い以外にはたいした取り柄もないのに成績がダダ下がりし、健康まで失ってしまった私は、神仏へお祈りなどもしていましたが、もちろん良い変化は起こりませんでした。絶望の淵から這い上がれたのは、親のおかげで、小児科医のおかげで、一部の同級生のおかげで、それと、自分自身の意志と運によるものでした。
 
 このとき私は「個人の日常なんて簡単に壊れてしまう」と痛感しました。そして、「状況や旗色次第で人間関係も気持ちも簡単に変わってしまう」とも。
 
 神仏は、壊れた日常を直してはくださいません*2。もし、そういう現世の“ご利益”が欲しかったら現実に働きかけるしかない、要は、自分の力でなんとかするか、他人になんとかして頂くか、どちらかしかありません。「他人になんとかして頂く」ためには、他人に協力してもらえるだけの何か――コミュニケーション能力も含めて――が必要ですから、結局、生き抜くためにはなんらかの力を持たなければなりません。
 
 断っておきますが、ここでいう生き抜く力とは、経済力や腕力や学力のような狭義の力に限ったものではなく、他人に甘える力、福祉をはじめとする社会制度を利用する力、面の皮の厚さ、そういったものも全部ひっくるめてのものです。それらの総体として、人は社会に適応し、それぞれのやり方で生き伸びていく。不登校を脱した頃の私は、そういう、生き延びるための力を増強したくてしようがありませんでした。
 
 生き延びる力に恵まれているからといって絶対に日常が守れるわけではないけれども、なんらかの力がなければ、たやすく社会適応が脅かされてしまう――自分自身の経験をもとに、私はそのような視点で娑婆世界をウォッチし続けてきました。結果、生き延びている人はなんらかの力を持っていることが確認でき、一般的な評価尺度で「弱者」「ハンディのある人」といわれている人達にしても、搦め手のような力を潜ませていたり、人に頼る力が抜群に秀でていたりするのでした。
 
 私の「生きている人は、みんなたいしたものだ」という言葉の一端には、こうした認識も含まれています。それぞれの人が、それぞれのやり方で、自分の命を守り、オリジナルな社会適応をかたちづくりながら生きています。なかには悪いことをする人もいるでしょうし、たくさんの人を困らせながら生きている人もいるでしょう。ですが、いずれにせよ、すべての人は自分の持っている力を精一杯使って今を生きていて、ひょっとしたら明日には死んでいるかもしれないけれども、今日の時点では命を繋いでいるのは確かなのです。それは、儚いかもしれないけれども尊く、人それぞれに固有のものではないでしょうか。
 
 そういう数多の人々が、お互いの社会適応を助け合ったり、せめぎあったり、摩擦を起こしたりしているのが(人間にとっての)娑婆世界なのだと理解しています。人と人との助け合いやせめぎあいや摩擦が曼荼羅のように広がり、社会には六道のすべての相があらわれています。人間は野生動物ほど弱肉強食ではありませんが、ある程度は優勝劣敗なところ*3があり、力関係もあり、酷薄な場面は枚挙にいとまがありません。生き延びるために人同士が激しく争うこともあります。悲しいですね。恐ろしいですね。娑婆とはまさに苦界ですね。
 
 

「苦界にまたたく光」をあなたは好きになれますか

 
 それでも、そういった苦しさや悲しさの背景には人の生き延びようとする力が存在していて、私は仏教を愛好しているにも関わらず、その生き延びようとする力、執着、それらがかたちとなって現れる社会適応の諸相が、どうしても嫌いにはなれないらしいのです。
 

 
 ここまで述べてきた「生き延びる力」や「社会適応を形作るもの」に近そうなのは、コミック版『風の谷のナウシカ』最終巻でナウシカが言っている「いのちは闇の中のまたたく光だ!」という台詞です。
 
 娑婆世界は、世知辛くて恐ろしいところで、これからも人間同士は生きるために戦うでしょう。けれども、そういう真っ暗な世界のなかで、個々人が生き延びようとし、それぞれに社会適応を形づくっていくさまは、闇の中に灯る生命の光だとは思うのです。その生命の光は、美しいけれども、苦しみの源でもあり、諍いの源でもあり、単に苦しさや争いをなくしたいなら、生命を受け継ぐのをやめて滅んでしまうのがベストでしょう。しかし、苦しさや争いがあっても、執着の導くままに人間が生きているということ自体を、私は嫌いになれそうにありません。
 
 私のtwitterのプロフィール欄には、「北極圏、畜生界」と書いてあります。畜生界とは、六道では下から三番目、本能のままに生きる動物的な世界です。私は、自分のことを合理主義的・理性的人間というより、本能や情動に導かれる一匹の畜生と自認しています。私はさもしいホモ属の猿ですから、食欲や性欲や睡眠欲はもとより、群れていたい欲求、注目されたい欲求、何かを崇拝したい欲求、怒りや悲しみをぶちまけたい欲求、等々を抱えながら生きています。
 
 それでも私は、これからもそういう一匹の畜生として生きていたいと願いますし、同じく生きたいと思う他の人達の意志も、原則論の次元では肯定せずにはいられません。
 
 そういう、たいしたことのない人間が多数寄せ集まって、この社会を、この娑婆世界を構成しているのですから、ひとりひとりの生命はまたたく光でも、娑婆全体が地獄っぽくなるのは当然のことかもしれません。それでも生命にYesと言えますか。娑婆世界にYesと言えますか。私はYesと言い続けたいです。
 
 

*1:これは、例えばキリスト教にもメメントモリなんて概念があるので仏教に限った話ではないと私は認識しています

*2:教義を守ることによって社会適応にひとつのかたちが与えられ、欲望の暴走などを食い止め、日常を豊かにする要素もありますが、そういうかたちで信仰を見直すようになったのは、もう少し後のことでした。

*3:ただし、どのようなポジションや状態が優勢/劣勢なのかは、きわめて判定しにくいものだと私は理解しています。たとえば年収が高い=優勢などと言ってしまうのは、生き抜く力の多様性と、ある次元では優勢でも別次元では劣勢の人がたやすく負かされてしまうような現実を度外視して良くないと思っています

「よく発達した発達障害」の話

 
 ここ十年ぐらいで「発達障害」という言葉はすっかり普及し、そのせいもあってか、外来で「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を受けることも増えた。
 
 精神医療のフォーマルな窓口で発達障害と診断される人の大多数は、社会で生きていくことに困難を感じているか、周囲との摩擦を感じている。そりゃそうだろう、なんらかの事情がない限り、人はわざわざ病院を受診したりはしない。
 
  

社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々

 
 発達障害という名称が世間に広まると同時に、精神科医が発達障害と診断する頻度もだいぶ増えた。過去に他の病名をつけられていた人に正しい病名をつけられるようになったわけだから、これは「進歩」と言って良いのだろう。
 
 そうやって、ちょっと前なら異なる病名をつけられていたであろう人々を発達障害と診断する状況になって、気づいたことがある。それは、「病院で発達障害と診断する基準に当てはまるような人が世間にはたくさん埋もれていて、そのなかには、うまくやっている人もかなり多い」ということだ。
 
 たとえば、診察室で自閉症スペクトラム障害(ASD、いわゆるアスペルガー障害や高機能自閉症を含む)として診断される人と同じ性質を持っていながら、まったく精神科とかかわりを持つことがないまま、うまく社会に適応している人は意外といる。
 
 精神科を受診することなく社会適応しているASDな人の背景には、高学歴や職業適性の良さがあったり、理解ある環境があったり、趣味生活による人的ネットワークがあったりする。巷で耳にする「大学教授にはアスペルガーが多い」という噂がどこまで本当かはわからないが、高学歴な専門家集団のなかに、もしも不適応に至っていたら精神科でASDと診断されていたであろう性質を垣間見せる人が混じっているのは確かだ。
 
 同じく、現代の診断基準では注意欠陥多動性障害(AD/HD)と診断されそうな人が、メディア関連の仕事で活躍していたり、多忙な職場を支えていたり、企業のかなり偉いポジションで働いていたりすることを、私は診察室の外で何度となく目にした。
 
 わざわざ発達障害の相談のために病院を訪れない、社会に溶け込んでいるASDっぽい人やAD/HDっぽい人のなかには、それらの疾患の短所によって不適応を起こしているというより、それぞれの疾患の長所によって社会適応を成し遂げているとしか言いようのない人達が少なからず存在している。少なくとも私の目にはそううつる。彼/彼女らの社会適応のかたちは多種多様で、簡単に応用できるものでもないけれども、それだけに、個人それぞれの社会適応の個別性や可能性をあらわしているようにみえて、興味深い。
 
 すべての人に応用できるわけではない、個人それぞれの社会適応にどれだけ注目したとしても、診察室という臨床世界にフィードバックできるエッセンスはけして多くないかもしれない。けれども私自身の関心は、ひとりひとりの社会適応のほうを向いているし、不適応の側面よりも適応の側面に興味を感じてしまうので、発達障害と診断されそうだけれど受診には至らない人々の生きざまを、もっと詳しく知りたいと願う。そして許されるなら、そういったひとりひとりの社会適応のかたちを書き残しておきたいなとも願う。
 
 発達障害の診断基準や治療論は、大学や学界の先生がたがキチンとやっているので、それを習いながら、私自身は「よく発達した発達障害」のひとりひとりを追いかけてもいいんじゃないか、とも思う。
 
 

人生の分岐点で「たまたま精神科を受診し、発達障害と診断」される人達

 
 そういう、発達障害と診断され得るけれども社会に適応している人達が、ふいに精神科を受診することがある。
 
 受診のきっかけとして多いのは、大きなライフイベントによって今までの社会適応が維持できなくなり、「適応障害」や「うつ病」として来院されるケースだ。そういった表向きの病状の背景を調べているうちに、発達障害的な性質が発見される。最近はテレビやインターネットで発達障害の情報を見て、当てはまると自覚して来院される方、家族に「あなたは発達障害だと思うから診て貰いなさい」と言われて来院される方も珍しくない。
 
 そういう人達のなかには、四十代~六十代で「発達障害ではないか」と疑って来院される方もいらっしゃる。見ようによっては、「発達障害と診断されるのが遅れた」と言えるかもしれないが、見ようによっては「発達障害的な性質があっても、長らく社会適応できていた」ともいえる。
 
 もちろん、彼/彼女は環境が恵まれていたのかもしれないし、発達障害的な性質がマイルドだったのかもしれない。人一倍苦労していたのかもしれない。だが、とにかくも不惑や還暦まで世渡りをやってのけていたのだ!
 
 子どもや孫がいてもおかしくない年齢で「発達障害ではないか」と相談にいらっしゃる人のなかには、その疑いに怯え、自尊心を喪失している人も多い。けれども、発達障害的な性質をもっていながら、厳しい社会を世渡りをしてきた人達は、たいしたものだと私は思う。うつ病や適応障害の合併状況を踏まえつつだが、私は、そういう患者さんに対して「あなたは発達障害に該当するし、今は人生が難しい局面になっているかもしれないけれども、それでもあなたは今まで世渡りをやってのけていたんですよ!生きてきたんですよ!」というニュアンスをなんらか伝えたいと思う。だってそうじゃないか、現代の診断基準では発達障害なのかもしれないが、とにかくも、自分自身と世間とに折り合いをつけながら生きてきた人々なのだから。
 
 発達障害という診断名によって、これまで生き続けてきたという事実が棄損されることがあってはいけないと私は思うし、それは、発達障害という診断名に該当しないけれども種々の個人差を抱えながら生きているすべての人達にも当てはまることだと思う。その延長線上として、現代精神医学の診断病名に該当しないからといって、その人が「ラクな人生を歩んでいる」などと謗る論調にも私は与したくない。医学的な判断の根拠となる診断基準のさらに根っこの部分には、「ともかくも娑婆世界で生き続けている人は、みんな、たいしたものだ」という理解と、生きている人達への敬意があってしかるべきだと思う。そこのところを、発達障害と診断される人もされない人も見失ってはいけないし、発達障害と診断する側も見失ってはいけない、と私は思う。
 
 たまたまライフイベントによって精神科を受診することになったような、「よく発達した発達障害」の人達の多くは、治療や環境の再調整によって元の生活を取り戻すか、次のライフステージに移行していく。長年、自分自身の性質とも世間とも折り合いをつけながら生きてきた人達だけに、クライシスを乗り越えてしまえば、前述の「受診するまでもなく社会に溶け込んでいるASDっぽい人やAD/HDっぽい人」と区別がつかない。というかそれそのものである。
 
 

「よく発達した発達障害」はいろんなところにいる

 
 なお、こういう「よく発達した発達障害」と呼びたくなる人は、職業的/学業的なアドバンテージに恵まれた人だけには限らない。さまざまな職域に、わりと頻繁に見かけるものだ。
 
 もちろん彼/彼女らは、空気が読めない性質や落ち着きのない性質を残しているか、その痕跡をときどき垣間見せる。だが、彼らは社会的な約束事や立ち位置をひととおり身に付けていて、そこが、まだ若い発達障害の人々より「立ち回りが巧い」と感じさせる。挨拶や礼儀作法をはじめとするソーシャルスキルによって、苦手な部分が補われるよう、きっちりトレーニングされている人も多い。
 
 そうやって社会のなかでサバイブしている人達に、わざわざ診断病名をあてがう意味はない(それは精神医療のフォーマルな窓口を訪れた時にだけ考えるべき事柄だ)。もし、発達障害とカテゴライズする必要が生じたとしても、その際には「よく発達した発達障害かどうか」という意味合いを無視してはいけないと思う。どういう診断基準に当てはまるのかも大切だが、個人それぞれが自分自身の性質と社会との折り合いをどこまで・どんな風に社会的に成長させてきたのかも、同じぐらい大切だと思う。よくよく注目していきたい。
 

親子で『ポケモンGO』を遊んでいるうちに、昆虫採集もやるようになった

 
 今年の夏は、親子でポケモンと昆虫採集に飛び回った。
 
www.4gamer.net

 
 リンク先は『ポケモンGO』が広く愛されるようになった背景についてのインタビュー記事だが、ここに、すごく納得のいく一文が載っていた。ちょっと長いが抜粋・引用すると、
 

野村氏:
 僕が考えたのは,ポケモンのコンセプトである“昆虫採集の楽しさ”が,いったんゲームボーイを通じてバーチャルの世界へ行っただけで,それが「Pokémon GO」を通じて現実世界に戻ってきた,ということなんだと思うんです。
4Gamer:
 遊びが変わったのではなく,遊びのフィールドが変わったと。
野村氏:
 ええ。バーチャルでさまざまな世界へ行くよりも,現実世界を探索して新たな発見をすることのほうが楽しいんです。この土地に何がいるのかを確かめたくなる,人間がもともと持っている“見つけたい”という欲求に,うまく訴えかけられているとも言えます。
河合氏:
 結局のところ私達は,外に出て遊ぶ面白さをいつの間にか忘れてしまっていたんですよね。通勤,通学の間でも,「ポケストップを目指して歩いたら小さな神社を見つけた」といった,発見に満ちあふれている。こういった体験をとおして,街歩きはこんなにも面白かったのかとプレイヤーに気付かせることができたんです。外に出て街を楽しむことと,ポケモンを探して捕まえるゲーム性が,うまく重なったのかもしれません。

 
 “昆虫採集の楽しさ”。
 “見つけたい”という欲求。
 そのために“出かけたい”という渇望。
 
 これらは、『ポケモンGO』にはあっても他のゲームには乏しいものだった。もともと私は、ゲームを遊ぶために遠くのゲーセンまで足を延ばす人間だったが、行先はいつもゲーセンだった。出会ったことのないポケモンをゲットするために上野公園や明治神宮に出かけたのも、普段は降りることのない駅に降りてみたのも、これが初めてだった。知らない街の知らないポケモン、知らないポケストップ。
 

 
 最近は、こんな風にポケモンと出会った場所が表示されるようになったので、強い弱いの問題だけでポケモンを選ぶだけでなく「○○市で手に入れたポケモン」「お盆の帰省で手に入れたポケモン」にも思い入れが沸くようになった。どこか遠くに旅に出て、旅先で良いポケモンを捕まえたら、それが素晴らしい思い出の品&お土産品になる。ポケモンに好きなニックネームをつけられるのも楽しい。ポケモンへの思い入れが深まる機能がこれから増えるとしたら、大歓迎だ。
 

 
 さて、そうやってあちこちでポケモンを捕まえているうちに、本物の昆虫を捕まえたい気持ちがムラムラ高まってきたのだった。
 
 好都合なことに、手軽に昆虫を捕まえられるエリアにはポケストップが多い。大都会の公園はどうだか知らないが、地方の森林公園のたぐいには結構な数のポケストップが集中しているため*1、あちこちの森林公園に出かけてはポケモンと昆虫を追い回した。
 
 すると。
 いるわいるわ、昆虫って、いるところにはちゃんといるんですね。
 

 
 山がちな公園に出向くと、大きなオニヤンマやギンヤンマが我が物顔に飛び回っていた。動きが早く、まともに追いかけても絶対に歯が立たない。彼らの縄張りを把握して、停まりそうな場所でじっと待ち伏せして捕まえた。大型のトンボは迫力があって、子どもは少しびびっている様子だったが、やがて、モノサシトンボやアキアカネぐらいは自分で捕ってくるようになった。
 
ぼく、あぶらぜみ(かがくのとも傑作集)

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 セミも、種類によっては手ごわい。アブラゼミやミンミンゼミは子どもの良い遊び相手だが、見つけにくいニイニイゼミ、逃げ足の早いツクツクボウシ、人間が近づくと鳴くのをやめてしまうヒグラシは強敵だった。数十年ぶりにセミを捕まえて思い出したのは、「セミは目で追うのでなく耳で追う」こと。はじめに耳を澄ましてターゲットの居場所を絞っておかないと、こちらが発見する前に相手に発見されて逃げられてしまう。
  
 珍しいところではゲンゴロウも見つけた。この手の水生昆虫は昭和の頃よりも少なくなっていると聞いていたけれども、ポケストップ近くの田んぼが良い雰囲気だったので覗いてみたら、無防備なゲンゴロウが泳いでいたのでキャプチャーした。まさか、2016年にゲンゴロウを捕まえられるなんて! 探せばミズカマキリやテナガエビもいそうな雰囲気だったから、来年もまた探してみようと思う。
 
 「童心に帰る」という言葉があるけれど、『ポケモンGO』とそれに触発された昆虫採集に、私はすっかり夢中になってしまった。そして、子どもがバーチャルなポケモン採集とリアルな昆虫採集の両方に大喜びしているのを嬉しく思った。子どもの虫取り網の使い方も、この数カ月でだいぶサマになって、親子関係にも良い影響があったように思う。このきっかけを与えてくれた任天堂とナイアンティック社には、深く感謝せずにいられない。
 
 位置情報ゲームは、家の外へ外へプレイヤーをいざなう。そこには目新しい発見や意想外なコミュニケーションが溢れていて、ゲームを楽しんでいるのか、ゲームに付随する体験を楽しんでいるのか、とても曖昧だ。先発の『Ingress』ではたくさんのイベントが催され、“リアル課金”と称して装備や移動にお金をかけるプレイヤーがたくさんいるというが、それもわかるような気がする。“見つけたい”という欲求が“出かけたい”に繋がっていくというのは、コンピュータゲームとして、すごく興味深くてエキサイティングだ。
 
 季節は秋を迎えて、昆虫採集はオフシーズンを迎えつつある。けれでもポケモン達は冬の間も私達を家の外へといざない続けて、新しい発見や経験をたくさんもたらしてくれるのだろう。『ポケモンGO』に出会えて本当に良かった。冬も、できるだけ出かけよう。
 

*1:ということは、『Ingress』プレイヤーの人達は森林公園が好きだったのだろうか