シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

高学歴者ほど「若者」から「大人」に変わるタイミングが難しい

 
 
・高学歴の人は就学期間が長く、仕事のキャリアアップも結婚も、後々まで定まりにくい。ゆえに、「若者」的なメンタリティから「大人」的なメンタリティにもっていくための猶予期間が短く、難易度が高い。
 
 

高卒~高専卒のクラスメートは、すぐに「大人」になった

 
 私は北陸地方の田舎出身なので、都市部よりもずっと進学率が低い中学校を卒業した。クラスメートのうち、大学進学した者は3割もいなかったのではないだろうか。高卒の割合がとても高く、中卒で働く者もいたと記憶している。
 
 中学校を卒業した後も、実業高校や高専に入ったクラスメートとの付き合いは続いていた。ゲームやPC、漫画やアニメについての情報交換もたくさんやった。受験勉強に追われるか否かという違いはあったものの、それ以外はだいたい同じようなものだと感じていた。
 
 ところが、高校や高専を卒業するや、彼らは急激に変わっていった。
 
 いまだ大学に通う私をよそに、彼らは急に「大人」になった。いや、急に大人びて見えるようになったと言うべきか。最初のうち、それは一足先に社会に出て、収入を得るようになったからだと思っていたし、半分はそれが正解だったのだろう。
 
 だが、それだけではなかった。彼らは早々に結婚し、子どもを育て始めて、まさしく「大人」になっていった。最新のゲームやPCにもあまり関心を示さなくなり、オヤジ臭い趣味を始めたり子煩悩になったりしていった。二十代のうちから早くもおじさんのような風格を漂わせ、それがサマになっていたのを憶えている――“あいつら、『新世紀エヴァンゲリオン』も『カードキャプターさくら』も知らないのに、充実した顔してやがる……”
 
 一方で私は医学部に入学し、オフ会などを通じて“どこからどう見ても高学歴な人々”にも出会うようになった。彼らは勉強熱心で、好奇心や向上心が強くて、ゲームやPCや漫画やアニメに詳しい人も多かった。自分自身を戦略的に成長させてていく意志や能力を持っている、とも感じた。そこには田舎の中学校とは隔絶した世界が広がっていた。
 
 ところがそんな彼らも、「大人」という点では、高卒や高専卒の人達の後塵を拝していることがほとんどだったのである。
 
 彼らはなかなか結婚しなかったし、子煩悩にもならなかった。30歳までに結婚するのは早い部類で、結婚しない人も珍しくない。比較的若々しい状態を保っているとも言える反面、なかなかサマになるオヤジっぽさを身に付けられなかった、とも言える。さすがにアラフォーともなれば、彼らも強制的に「若者」という括りから叩き出されたわけだが。
 
 また、高学歴な人々のなかには、結婚しても簡単には子宝に恵まれず、不妊治療を受ける人が少なく無かった。挙児希望の時期を考えれば不思議なことではない。高卒や高専卒の人達が20代の中頃までに子どもをもうけていたのに対し、10年ほど遅れて挙児しようというのだから、産婦人科医の助けを借りなければならなくない確率は高くもなろう。
 
 [関連]:NHK クローズアップ現代 「精子“老化”の新事実 男にもタイムリミットが!?」 - Togetter
 
 先日、『クローズアップ現代』でも紹介されていたように、女性側はもちろん男性側も、生殖能力は三十代になって下がっていく。男性は何歳になっても挙児の心配をしなくて構わないというのは間違いである。本当は、女性が妊娠適齢期を気にするのと同じぐらい、男性だって妊娠適齢期を気にするべきなのだ。
 
 ついでに言うと、年齢が高くなってからの子育ては身体にも厳しい。30歳までに子どもを小学生に入れてしまうのと、40歳になってから子どもを小学生に入れるのでは、体力的なシビアさが違う。なぜなら、20代に比べて40代のほうが体力的余裕が少ないからである。
 
 また、先日、Books&Appsの安達さんが、「もっと早くからやっておけばよかった」と思うことのリストを書かれていて、そのなかに「子育て」が含まれていたのだが、そのなかに考えさせられる一節があった。
 

もし子供を将来的に持ちたい、と思っているなら早い方がいいと、後悔している。
一つは体力的な問題、子育ては体力勝負の部分が大きく、体力がないと余裕が持てず、ついイライラしてしまいがちだ。
そしてもう一つは子供の将来の問題だ。
子供が成人する頃に、私は還暦を迎えてしまうことを想像すると、「子供の人生を見ることのできる時間の短さ」を痛感する。

 私にとって、「子育てを遅く始めると、子どもの人生を見ることのできる時間が短くなってしまう」は盲点だった。確かにそのとおりだ。早く子育てを始めた人ほど、子どもの人生を長いこと見ていられる。逆に、遅く子育てを始めると子どもの人生を見られる時間が短くなる。それどころか、子育ての途中で癌などの病に倒れる確率も高くなってしまうだろう。
 
 高齢出産のリスクには色々なものが挙げられているが、「子どもが成人するまで無事でいられる確率が下がる」もひとつのリスクだと思う。
 
 

高学歴者のライフコースは「大人」に変わるタイミングが難しい

 
 ならば、『高学歴者は、挙児や子育てを始めるのが難しい』と言わざるを得ない。
 
 挙児や子育ては、「若者」にありがちなメンタリティとはすこぶる相性が悪い。「若者」は、自分自身の成長やキャリアづくりに一生懸命になるものだし、それこそが若者だろう。自分自身に一生懸命になれる時期だからこそ、若者はメキメキと音をたてながら成長していく。
 
 しかし、挙児や子育て、後進の育成などは、このようなメンタリティとは相性が良くない。子どもを育てるためには、自分自身の成長やキャリアづくりに集中し過ぎるわけにはいかない。親が子どもにお金や時間や情熱を集中投下するのを見た時、「自分はあんなことしたくない、それよりも自分自身の成長とキャリアだ!」と思うのが「若者」的なメンタリティであろう。だが、「若者」的なメンタリティを変えないまま挙児や子育てに突入してしまうと、子育ては、自分自身の成長やキャリアを阻害するストレスに満ちた活動、ということになってしまう
 
 じゃあ、一体いつになったら「若者」的なメンタリティに区切りをつけ、挙児や子育てに向いている、せめてストレスの彼岸に意義を感じられる「大人」的なメンタリティに切り替われるのか?
 
 近著『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』でも触れたが、「若者」から「大人」への気持ちの変化は、アイデンティティの安定・確立の度合いによって左右される。人間関係やキャリアが安定せず、自分の発展可能性が不透明な時期にはアイデンティティは不安定で、そのような時期の「若者」は自分自身の成長やキャリアに夢中になりやすい。*1
 
 高卒や高専卒のクラスメートが早々に結婚し、おじさんらしい風格を身に付けていったのも、彼らの人間関係やキャリアが早期に確立して、「若者」的なメンタリティを維持する必要性が乏しくなったからだろう。そして彼らのメンタリティは子煩悩な「大人」に難なくシフトチェンジしていった。彼らの場合、卒業してすぐに「大人」にならないとしても猶予の時間はある。なぜなら、彼らはまだ若いうちに社会に出るし、キャリアの見通しもつきやすいからだ。
 
 だが、高学歴者はそうはいかない。大卒で22歳、大学院卒で24歳──あくまで大学浪人も留年もしなかった場合の数字である。卒業後も、高学歴者はキャリアがすぐに定まらない。転職も増えているので、最初に入った企業で働き続けるとは限らない。よしんば同じ企業に居続けても、入社後しばらくは転勤異動のたぐいで落ち着いていられないことも多い。ホワイトカラーの宿命とはいえ、これではキャリア面のアイデンティティは固まらないし、都会のスピードを追いかけるにも「若者」的なメンタリティを維持したほうが都合が良い。そういう境遇のなかで、「若者」的なメンタリティのままではストレスになってしまうであろう挙児や子育てを決断するのは、なかなか難しいことではないだろうか。
 
 高学歴者が24歳ぐらいで社会に出て、28歳ぐらいで仕事や世間にちょっと慣れてきて、それで30代の中頃から卵子や精子の老化が実質的なものになってくるとしたら。事実上、高学歴者は非常に短い期間しか挙児・妊娠の適齢期を持てないということになる*2。わずか数年のうちに、キャリアのフレキシビリティや都会のスピードについていきつつ、パートナーや家族にリソースを捧げるのに適した「大人」的なメンタリティへとシフトチェンジしていくのは、アクロバティックなことだと思う。だが、そのアクロバットが、大都市圏の高学歴者には問われているのである。
 
 出生率の高さで言えば、首都圏や大都市圏は軒並み低い。また、高学歴者の出生率が低いこともよく知られている。
 


 合計特殊出生率、2016、都道府県別統計とランキングで見る県民性 より引用

 


 国勢調査における、女性の教育歴別出生率 『日本における教育別出生力の推移(1966~2000 年)』より引用

 
 マクロな目でみると、現状は「高学歴者に妊娠や出産のチャンスを僅かしか与えない社会」に他ならないし、少子高齢化の一因でもあるだろう。また、高学歴者という、文化資本の塊のような人々のもとで子どもが生まれ育つチャンスが少なくなるということでもある。長い目でみれば、これは巨大な損失であり、絶対に何とかするべきと思われるのだが、ほとんどの国において、こうした現状はあまり改善していない。
 
 マクロな社会がすぐには改善しない以上、ミクロな個人は自力でこの状況に挑まなければならない。高学歴になっていく人は、全員、自分たちの生物学的な適齢期が非常に短い期間であることを知っておかなければならない。と同時に、「若者」的なメンタリティのままでは挙児や子育てはストレスフルなものになるわけだから、自分自身のキャリアアップやスキルアップにすべてを注ぎ込みたいメンタリティをいつまで維持し、どこからパートナーや家族のために励むメンタリティにシフトチェンジしていくのかを、将来あり得る課題として意識したほうが良いと思う。
 
 不幸なことに、これらの課題に答えを出すための猶予期間はあまり長くない。いや、社会的にはいくらだって引き延ばせるのだけれど、精子や卵子の老化をはじめとした生物学的な制約は不可避なので、答えを出す時期が遅くなれば遅くなるほどコストやリスクが嵩むことになる。
 
 10~30年ほど前に「若者」だった世代においては、こうした「高学歴者のライフスタイルと結婚・妊娠・出産の問題」をちゃんと意識している人は少なかった。それより、思春期の延長や「若者」でいられる期間の延長をイノセントに寿ぐ人のほうが、高学歴者の世界では注目されていたように思う。
 
 しかし、「元・若者」たちが結婚・妊娠・出産を延長した挙句に苦労し、卵子や精子の老化が広く知られるようになった今はそうではあるまい。とりわけ高学歴者にとって、こうしたライフコースにあわせたメンタリティのシフトチェンジは、時間的猶予が短いだけに切実である。
 
 「若者」をやるべき時期に「若者」的なメンタリティを持ち、自分自身を成長させるのは素晴らしいことだけど、ライフコースの先まで見据えるなら、いつまでも「若者」的であり続けるのが正解とは限らない。その次にやって来る「大人」の季節についても考えを巡らせておいたほうがいいんじゃないだろうか。
 
 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 
 

*1:アイデンティティの定まらない時期に自分自身の成長やキャリアに夢中になるのは悪いことではない。むしろ、それぐらいの時期には自分自信のことに夢中になれることのほうが大切である。ここが、「大人」とはメンタリティの面でも立場の面でも違っているところである。

*2:そのくせ動物のように発情期があるわけでもないから、この短い期間に頑張って子をもうけようとするような遺伝的配慮を人間は持っていない。