シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

褒められるためのスキルよりも、褒めるスキル、おだてるスキルのほうが大事

 
togetter.com
 
 借金玉さんのツイートがtogetterにまとめられていた。タイトルは「AD/HDの仕事の進め方について」だが、後半パートには全ての人に役立つことが書いてある。
 
 心に響いたのは以下のフレーズだ。
  





 
 こういうのって、何歳になっても忘れてはいけない処世訓だと思う。
 
 

人の良いところを見つけて、褒めること、惚れ込むことの重要性

 
 現代人の多くは、自分が褒められたい・評価されたいと願うあまり、自分の良いところを見てもらおうとする。だから「コミュニケーション能力=自己表現力」とみなす人もいるし、そういうスキルも大切だろう。
 
 でも、それより重要なのは、人を褒める・人をおだてるスキルだ。借金玉さんがおっしゃっているように、「これさえあれば死ななくて済む」と言えるぐらいに優先順位が高く、コミュニケーション能力の根幹にかかわるものだと思う。
 
 こういった、人を褒めたりおだてたりするスキルを馬鹿にする人もいる。――「そんなのは無能な下っ端だけに必要なスキルだ」、と。
 
 だが、そういう認識は絶対に間違っている。下っ端時代はもちろん、人を動かす立場になっても、他人の良いところを見つけて、褒めたりおだてたりするスキルは必須だ。むしろ、人を使う立場になればなるほど、そこが死活問題になるのではないだろうか。
 
 大学教授も、病院長も、実業家も、会社役員も、編集者も、コンサルも、みんなそうだ。私の知っている限り、人の上に立つリーダー達、人を動かす立場の人達は、人の良いところを見つけてそこを褒めたり評価したりするのがものすごく上手い。
 
 反対に、人をおだてる・立てるスキルの乏しい人が出世しているところを私はみたことがないし、成功し続けているところも寡聞にして知らない。あるいは作家や芸術家ならそれでも成功するのかもしれないが。
 
 いわゆる“世間”で仕事をしている人達に関するかぎり、自分自身が褒められるためのスキルもさることながら、他人を褒めること、他人の立場をたてること、なにより「私はあなたのことをしっかり認めているんですよ」とメッセージを発するのがみんな上手い。
 
 しかも、そういう人達が「お世辞」を言っている風にはみえないのだ。
 
 自分自身が褒められている時には「お世辞」と「本心」の区別はつきにくい。自分自身の承認欲求が充たされているせいで、酔っぱらったような状態になっているからだ。
 
 だが、彼らが第三者と会話している時、あるいは、その場にいない誰かの話をしている時には、なるほど、この人は他人の良いところを見つけてちゃんと惚れ込んでいるんだな、という気配が感じられる。
 
 ということは、他人を褒めたりおだてたりするスキルの根本には、他人の良いところを見つけて惚れ込むスキルがあるのだろうと思う。
 
 もっと踏み込んで言うと、コミュニケーション能力のかなりの部分は、他人の良いところを見つけて惚れ込むスキル次第、と言っても良いかもしれない。
 
 こういうスキルは、ひょっとしたら本心からのものではなく、訓練や躾によって身についた“形式”なのかもしれない。だが、よしんば“形式”だとしても、それが十分に身に付いて習慣化していれば、他人からみれば内心そのものと何も変わらない。
 
 本心であれ、形式であれ、他人を褒める・立てる・評価するのが上手な人は、それによって人の心を動かし、上司にかわいがられ、部下をエンカレッジするのだろう。その結果、巡り巡って自分自身も褒められたり評価されたりしやすく、出世しやすく、好かれやすくもなるのだろう。あと、敵も作りにくい。
 
 日頃、「自分はコミュニケーション能力が足りない!」とお嘆きの人は、自分自身が褒められようと頑張るより、他人の良いところや魅力的なところを見つけて、そこに惚れ込んで、そこをきっちり評価できるような未来を目指してみてはどうだろうか。
 
 

さあ、皆さんもご一緒に!

 
 最後に、借金玉さんの素晴らしいフレーズをもう一度。
 
 「いいか、圧倒的に自分より優れた人間を褒めるスキルなんてのはいらないんだ。そんなことは誰でも出来る。犬でも猿でも電信柱でも褒め上げるスキルをつけろ。」
 
 「承知しました!」
 
 「流石ですね!」
 
 「勉強させていただいてます!」
 
 すごく沁みる。
 明日も頑張って社会に適応していこう。