シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

愚者が勧める迷ったときに読みたい5冊

 
www.houdoukyoku.jp
 
 
 リンク先は「賢者が勧める5冊」となっていて、そこに自分の名前が入っているのは汗顔の至りですが、たくさんの人にお勧めできる本として以下の二冊を紹介しました。
 
 
 

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

 
 こちらはともかく、
 
  
 
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 
 こちらの、分人主義のお話に私は100%同意しているわけではありません。
 
 「コミュニケーションは場で起こっている。場によって変わる」という発想には親しみを覚えます。でも、根っこのところには自分というものがやっぱりある、自分からは逃げられない、という発想を私は捨てられないのです。
 
 分人主義の話は、柔軟で穏やかなパーソナリティの人にはかなり当てはまると思います。そういう人は、Aさんと喋る時にはAさんと会う時の顔をして、Bさんと喋る時にはBさんと会う時の顔をして……といった使い分けが自然と起こるでしょう。ならず者のCさんに出会った時には、ならず者に遭遇した時の顔をするでしょう。
 
 しかし、世の中には、Aさんに会ってもBさんに会ってもほとんど同じ反応をする人もいます。ならず者のCさんに会った時ですら、あまり反応が変わらない人もいます。精神医療の世界では、そういう人を少なからず見かけます。
 
 「コミュニケーションは場で起こる」という分人主義の考え方は良いものですが、それだけでは、どこの職場でも似たようなコミュニケーションになってしまう人、どんな異性と付き合ってもパートナーを駄目にしてしまう人の、個別性を忘れてしまいます。人によっては、「コミュニケーションがうまくいかないのは全部相手のせい」と勘違いしてしまうかもしれません。

 要するに、個人のメンタリティや精神病理も忘れちゃいけないでしょう、と。
 
 でも、よほど偏っていない限り(=精神病理が特殊でない限り)は、分人主義の考え方でおおむね構わないでしょうし、人間関係で迷っている人が発想転換するためのメソッドとしては優れているので、お勧めした次第です。
 
 

迷える愚者が読み耽っていた本5冊

 
 本題はここから。
 
 不特定多数にお勧めするなら上の2冊ですが、私に近い感性を持った、ごく狭い範囲の人にお勧めしたい本、迷える愚者としての私が読んでいた本を5冊挙げてみます。
 
 以下の本は、私が迷って苦しんで、「死にたいなー、でも、死ぬわけにもいかないから仕方なく生きるかー」と考えていた頃に読み耽っていたものです。
 
 私は、迷っている時にはストレートに迷いを晴らそうとするのでなく、ドン底気分を這い回るのが好みなので、それが反映されています。ストレートに迷いを晴らしたい人はご遠慮ください。心が灼けますよ。
 
 
 

侏儒の言葉

侏儒の言葉

 
 芥川龍之介が晩年に書いた、シニカル全開の箴言集。「人間なんて、こんなものですよ」という醒めきったアングルですが、読んでいると暗い笑いがこみあげてきます。本のボリュームが少ないので、気力を失っていても読めます。
 
 これに限らず、オロオロしていた頃の私は芥川龍之介の作品を読み漁っていました。生きる元気も、明確な指針も得られませんでしたが、ため息をつきながら生きていくしかあるまい、という諦念のようなものは得られたと思います。あと、文章に硬い感じがあって気持ち良いですね。
 
 
 
平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 
 平家物語。ところどころ華やかですが、世の中の儚さと人間の愚かさがいっぱい詰まっていて、悲しい物語です。個人的には、「炎上」が平家物語の素敵なところだと思います。清水寺、善光寺、都、燃えること燃えること。ダークな気持ちになっている時には、この炎上がアポカリプスな感慨を与えてくれるので、ツボにはまると効くと思います。
 
 
 
賭博者 (新潮文庫)

賭博者 (新潮文庫)

 
 『罪と罰』もいいんですが、なにしろ大部なので気力を失っている時には読めません。その点、『賭博者』や『地下室の手記』はボリュームが少ないので助かります。今の私は、ドストエフスキーの作品には暗くても悲しくても人間として生きる・生きるっきゃない、みたいな裏返しの明るさを感じますが、迷っている時に読むと、人間の悪しき情念に引き込まれてしまうかもしれません。というか私はそんな感じだったので、ドン底気分を這い回りたい時にもいいんじゃないでしょうか。
 
 
 
クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

 
 こちらは恋愛で悩んでいる人向けに。男性限定ですが、片思いでも両想いでも効くんじゃないでしょうか。脳天をかち割られてください。
 
 
 
グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

 
 「古典」ではないので、もう古くなっているかもしれません。鬱屈した思春期を過ごしていた私は、大槻ケンヂさんの音楽や文章のお世話になっていました。グミ・チョコレート・パインは三部作ですが、私は、物語の筋を追うよりも、鬱屈した思春期心性に溺れるのが楽しいかなぁと思っています。駄目っぽい雰囲気ですが、この5冊のなかでは一番明るいような気はします。
 
 
 

迷っている時は迷えばいいと思う

 
 私の場合、迷っている時に「すぐに迷いから覚める正解を求めよう」「他人や本から解答を得よう」とはあまり思いません。
 
 迷っている時って、なんとか迷いから醒めたいと願うのが人間の常だとは思います。でも、そういう時に正解や解答を得ようともがいても、結局、ダメだとも思うんですよ。
 
 もし、本や他人から正解や解答らしきものをいただいたとしても、それは本や他人が与えてくれた以上に、自分自身のなかで既に次の道筋が立ち上がってきて、正解や解答を受け入れる準備が整っていたからじゃないでしょうか。
 
 だから、迷っている時は思いっきり迷えばいいと思うし、ダークな気持ちの時はそれに見合ったものを読んだっていいんじゃないのかなと、私個人は思います。
 
 あとは、メンタルヘルスを悪化させないように、迷っている時こそ規則的な生活を。色彩を失った機械的な生活も、必要な時期ってのはあると思います。迷いが晴れるにも、落胆から立ち直るにも、時間こそが絶対的に必要な状況ってのはあって、そういう時に無理をして立ち直ろうとしても、消耗するばかりで一層迷ったり落ち込んだりすることが往々にしてあります。まあ、迷っている時のほうが、かえって色々やりたくなってしまうのもわかるんですが。
 
 「迷っている時って、案外、じっとしていたほうが上手くいくことも多い」と年を取るにつれて思うようになりました。急いては事をし損じる。そういう、じっとしているべき時期には、読書は悪くない選択肢かもしれません。