シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。現在、忙しいうえブログは実験モードに移行しています。

『三体X』のジェンダー観の懐かしさ

 
※この文章はSF小説『三体』の抽象度の高いネタバレを一部含み、その二次創作的位置づけの『三体X 観想之宙』についてはほぼネタバレは含まないと思います。ご承知おきください。※
 
 
SF小説が無性に読みたくなるのはだいたい疲れている時だ。で、先週末はとても疲れていたので、頑張った私へのご褒美として『三体』の二次創作的作品を読んでみることにした。
 

 
この『三体』の二次創作は、二次創作とはいっても後にプロとして活躍する作家さんの手によるもので、版元が原作と同じところであることからも、厚遇された二次創作であることがわかる。
 
で、ネタバレをできるだけ避けて書くと、これもとても面白かった。現在のインターネットでは、こうした作品のネタバレにセンシティブな風潮があるので、ここでそのSFっぽい面白さを詳らかにすることはできない。
 
しいて書くなら、原作がなにかと「物理」で殴って事態が進んでいく作品だったのに対して、この二次創作は「  」で殴って、というより「  」を巡ってSFっぽさが広がっていく感覚だろうか。私は原作の「物理」で殴る感覚にすっかり虜になってしまったけれども、こちらもこちらでなかなか雄大だ。
 
それでも個人的には『三体』原作のテイストのほうが私は好きだ。二次創作だから特に比べやすいのかもしれないが、原作『三体』の、文鎮のごとき重厚さは原作ならではだったのだと再確認できた。『三体X』にも、漢詩や聖書の引用がバッチリ決まっている場面などはあるけれど、それでも原作『三体』のほうが重たさに巧さがあるよう感じられた。
 
 

その懐かしいジェンダー観

 
作品そのものについてはこれ以上おしゃべりできなさそうなので、作品の枝葉について、ここでは女性の描かれ方、男女の描かれ方について印象に残ったことを書く。
 
原作『三体』でうっすらと感じ、この『三体 X』ではっきり感じたのは、女性の描かれ方がなんだか古いSFや古い男子向けエンタメ作品っぽいこと、それに伴って男性役割や女性役割といったジェンダーっぽい表現でまとめられそうな役回りが古風であることだった。
 
作中にも名前が出てくるので比較すると、『三体』シリーズに出てくる女性の描かれ方や役割は、『銀河英雄伝説』に登場するアンネローゼやフレデリカ・グリーンヒル、カリンの役割に似ている、と感じた。もちろんこれらの女性キャラクターも『銀河英雄伝説』の作中ではそれなり活躍しているのだけど、それでも物語全体を主導するのは男たちだった。
 

 
『銀河英雄伝説』が男たちの英雄譚であるのに似て、『三体』もまた、男たちに主導される物語と感じる。女性キャラクターが活躍する場面が皆無なわけではないが、その度合いは、『銀河英雄伝説』に出てくる女性キャラクターぐらいの比率のように感じられた。
 
だから『三体』が駄目だと言いたいわけではない。
とはいえ歳月は感じる。
 
『銀河英雄伝説』と『三体』の間には二十年かそこらの歳月が横たわっている。その間に日本社会は変わり、日本社会のジェンダーに対する感覚も、諸ジャンルで描かれる女性キャラクターの役割も変わった。だから『三体』『三体 X』で『銀河英雄伝説』を連想させるジェンダー観に出会った時、あたかも20世紀の作品のような感触をおぼえ、けれども内容的には21世紀のSF作品なのでえもいわれぬタイムスリップ感が伴う。
 
外伝である『三体 X』においては、原作『三体』以上にそうしたタイムスリップ感が強く感じられ、男性性と女性性が素朴に描かれていると感じた。まるで、めしべとおしべは必然的にくっつくかのようじゃないか、とも思った。人によってはそれを批判的に捉え、「遅れている」「押しつけがましい」だなんて言うのかもしれない。私には、それらが性や性欲に対する信頼の篤さのようにもみえた。
 
なお、私がこう感じた理由は、直近で見てきた作品の印象が残っているせいもあると思う。この直前に読んだSF作品の『プロジェクト・ヘイル・メアリー』や『われらはレギオン』は、ジェンダーやセクシャリティの面で淡泊だった(そしてその淡泊さが私には心地よかった)。
  
これらの作品からは20世紀のジェンダー観は想起されない。そのことも、『三体 X』の印象にいくらか影響していた可能性は、ある。
 
 

『三体』や『三体 X』がそうなのか、中国SFがそうなのか、中国社会がそうなのか

 
ところで、この、『三体』や『三体 X』から感じたジェンダーの20世紀っぽさは、これらの作品に特異的なものなのだろうか?
 
それとも中国のSFの書き手や読み手のジェンダー観がだいたいそんな感じなのか? ひいては中国社会のジェンダー観がだいたいそんな感じなのか?
 
中国は日本ではない。もちろんアメリカやカナダとも違っている。そしてジェンダー観にしても家族観にしても、欧米化のスピードには 欧米ー日本ー中国 の間にズレがあり、中国の人々の通念や慣習は、きっと日本より遅くから欧米化し、けれども日本より急速に欧米化しているのだろう。その、欧米化の圧縮具合とスピード具合のあらわれの一端が、東アジアでは少子高齢化を促している部分もある。
 
ある面では間違いなく21世紀の最先端をゆく中国社会が、にも関わらず、ジェンダー観も含めた通念や慣習の欧米化の面で20年ぐらい日本とタイムラグがあり、いってみれば、当地の人々の心は20世紀末ぐらいを生きているのだとしたら、彼らには2022年はどのように見えているのだろう? そして日本やアメリカのジェンダー観をどのよう眺めているのだろう?

韓国小説『82年生まれ キム・ジヨン』に出会ってしまった時ほどではないにせよ、『三体 X』の読後感の一部分として、中国の人たちがどのような時の流れのなかで男女を捉え、どのような心の布置のなかで生きているのか知ってみたくなった。その興味を膨らませてくれた点でも、『三体 X』は私にとってありがたい作品だった。やがて私は、その手の中国の小説を読むことになるのだろう。