シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「炎上すればするほど喜んじゃう人」って、“私達”のことですか?

 
mubou.seesaa.net
 
 時間が無いのでザッと打ってみます。
 
 リンク先の主旨は「炎上芸をやってPVを稼ぐ今時の連中は、2ちゃんねる時代で言えば“荒らし”に相当するから、スルーして養分与えないようにしようね」だと思います。
 
 これに対して、はてなブックマークの反応には「詐欺師のたぐいは放置しないほうが良いのではないか」というものがありますし、これも尤もな指摘です。ともあれ総論的には「炎上狙いなアカウントはなるべく拡散しない」で良いのではないかと思います。
 
 ただ、なんていうんですか、「炎上すればするほど喜んじゃう人」ってフレーズを眺めていると、私のようなへそ曲がりはつい思っちゃうんですよ、それって、炎上狙いでブログ記事や動画を公開している人だけじゃなく、炎上アカウントを見つけては大喜びで罵倒し、攻撃し、キャンプファイヤーに興じている、あの炎上愛好家の人達もそうなんじゃないかって。
 
 ネットメディアに限らず、ゴシップ誌なども含めての話ですが、そもそも、なぜ炎上は炎上として注目を集めるのでしょうか。
 
 炎上するようなものをアップロードする人・やらかす人がいるから炎上が起こる、という事実は否定されるべきではありませんが、炎上するようなことを読む人・観る人・喜ぶ人がいるからこそ、炎上が炎上として成り立っているという事実も忘れてはいけないでしょう。
 
 視点を変えて考えるなら、炎上芸アカウントの人達は、人々のなかにあまねく眠っている炎上を眺めたい欲望・何かを罰したい欲望・何かを攻撃したい欲望に応えているんだと、私は思うんですよ。そういった、現代社会の日常生活ではなかなか充たされ難い欲望を充たすためのサンドバックとして、炎上芸アカウントには大きな需要があるのではないでしょうか。いや、これだけ頻繁に炎上が起こっているということは、需要は間違いなくあるのです。仄暗い欲望を充たしてくれる貴重な機会を、炎上芸アカウント達が供給してくれる。
 
 リンク先でしんざきさんは、
 

「人を嫌な気分にさせつつPVを稼ぐこと」が目的のような人達が一切報われない世界に来て欲しい

 と書いておられますが、ある種の炎上芸アカウントって、炎上にたかっている人々を嫌な気分にさせているようにみえて、なにげに良い気分にさせながらPVを稼いでいたりしませんかね? それも、大っぴらにはできないようなタイプの良い気分を。
 
 そうやって仄暗い欲求を充たしていても、なにせ、“炎上するような事をネットにアップロードしている奴が悪い”わけですから、良心の呵責に悩まされることも(あまり)ありません。むしろ、“正義の鉄槌を下している俺は良いことをしている”ぐらいに思っている人もいるでしょう。正義を示すって、気持ち良いですからね~。
 
 もう少し知性派っぽく振る舞うなら、「炎上芸アカウントをtwitterやfacebookで拡散しないようにしよう」になるのでしょうけれど、これもこれで、社会正義のために利口に立ち回る貴重なチャンスです。炎上芸アカウントをスルーすることによって、私達は、インターネット社会にちょっとした貢献が為せるのです。良い事をすると気持ち良いですから、攻撃欲や処罰欲をストレートに充たすより、こっちのほうがスマートです♪
 
 どちらにせよ、こういった欲望をインターネット上で頻繁に充たせるのは、炎上芸アカウントがそこらじゅうにいて、炎上に加担したりスルーしたりする機会を供給してくれるからにほかなりません。
 
 だから、「炎上すればするほど喜んじゃう人」ってフレーズを聞くと、私のような人間は、炎上芸アカウントだけでなく、私自身のうちに潜んでいるいろいろな欲望や、炎上に加担する人やスルーする人が垣間見せる欲望を思い起こさずにいられないのです。
 
 

「炎上すればするほど喜んじゃう人」をどうすべきか

 
 以上を踏まえて、炎上について考え直してみます。
 
 世の中には、然るべき批判を集めて爆発四散すべき案件もあるでしょうから、そういった案件は今までどおり燃え続けて構わないのではないかと、個人的には思っています。
  
 でも、爆発四散すべき案件は少数派で、単に私達の炎上ウォッチ欲や処罰欲や攻撃欲を刺激しているだけの案件のほうが多いのでしょうから、そういう案件はなるべくスルーするのが適当でしょう。
 
 そして私達自身の心の内面としては、ストレートに処罰欲や攻撃欲を充たす頻度をなるべく少なくし、スルーによって社会貢献欲を充たす方向にコンバートするのが望ましいと思います。
 
 本当は、あれこれの仄暗い欲望を無くしてしまえればベストでしょうけど、そんな聖人じみた事が、人間たる私達に本当に可能なのか、私は懐疑的です。ですが自分自身の内面に「炎上すればするほど喜んじゃう人」が潜んでいて、炎上を待ち望んでいる部分があるかもしれない、という自覚ぐらいはしておいたほうがいいんじゃないかと思うんですよ。
 
 そして社会全体に対しては「ああ、娑婆世界はゴシップや炎上が好きな人間だらけだなぁ」という諦念をもって眺めるのが、血圧を無暗に上げない、健康的なライフハックではないでしょうか。
 
 冒頭リンク先のしんざきさん同様、私も、炎上芸アカウントには目立って欲しくないと思っていますし、炎上に油を注ぐようなことはなるべくしたくないなとも思っています。ただ、炎上アカウントだけでなく炎上を取り囲む“俺ら”、すなわちネットユーザー全般との一種の共犯関係によって炎上が成立していることまで踏まえると、立ち向かうべきは、炎上芸アカウントだけでなく、自分自身でもあるなぁと思わずにいられないのです。
 
 このあたり、もっと意見交換したいところですが、疲れてきたので今日はこのへんで。