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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

時代の最先端としての田舎。

 
 時代の最先端としての田舎。
 
 もちろん田舎が流行の最先端だと言いたいわけではありません。でも、見方によっては、下手な都会人より田舎者のほうが時代の最先端を行っているというか、未来を生きているなぁと感じてしまう瞬間があります。どちらかというと、悪い意味で。国道沿いの景色をぼんやり眺めていると、そういう奇妙な未来感覚を覚えることがあって、ふと田舎の暮らしを振り返りたくなったので、これからちょっと振り返ってみます。
 
  ・“動くファンシールーム”
 
 「自動車が普及している」という視点ではちっとも未来感の無いロードサイドですが、「動くファンシールーム」「動く子ども部屋」が路上を走っていると思いながら眺めてみると、週末の国道沿いの風景はジワジワ来るものがあります。フィギュアをびっしり並べた軽乗用車も、紫色のカーテンとふわふわのファーで飾ったワンボックスカーも、『デトロイトメタルシティ』のステッカーを車に貼りつけて大音量の音楽をがなりたてながら走るワゴンも、公道を走りながらに、きわめてプライベートな時間と空間をドライバーに提供しています。というか、あれって車というより「個人向けの部屋」に車輪とエンジンとハンドルがついているような、そんな何かでしょう*1
 
 都会人も、『iPod』や『ウォークマン』を耳に装着して自分だけの時間を過ごしてはいますし、『ウォークマン』が出た頃などは、「自分だけの世界に閉じこもるアイテム」とかなんとか言って批判していた人もいたと記憶しています。ところが田舎の“動くファンシールーム”の場合は、時間だけでなく、空間ごと自分の世界に没入できる点が違います。大都市の路上を『iPod』を聴きながら歩くよりも、格段にプライベートで、格段に自分だけの世界――そんな“動くファンシールーム”のテールランプがどこまでも続く風景を見ていると、いまや、自分の世界に閉じこもったライフスタイルの本場は都会の真ん中より国道沿いのように思えてきます。
 
 
 ・人に会わなくても買い物できる
 
 で、国道沿いに住んでいると、ロクに人に会わなくても買い物できちゃいます。“動くファンシールーム”に乗ってショッピングモールに移動し、買い物かごに食料品や日用品を詰め込んだら、後はレジで精算するだけ。レジでは黙ってお金を突き出すだけで済みますし、最近のイオンなどにはセルフレジもありますから、自分で精算を済ませることも可能です。衣類を買うにしても、イオンやユニクロで買うぶんには、誘導ミサイルのような店員につきまとわれる心配もありません。
 
 「田舎の人間はコミュニケーションしながら買い物もする」なんて遠い昔の話で、田舎で暮らしていても会話しない人は会話しなくて済んでしまいます*2。田舎なのに、会話が無い。
 
 
 ・「イオンに行けば何でもそろっている」
 
 都会暮らしの人にいわせれば、「ショッピングモールにはなんでも揃っているけれども、ちょっと気の聞いたものを探そうと思った途端、なんにもない」のかもしれません。しかし、国道沿いに心の底まで慣れている人からすれば「イオンに行けば何でも揃っている」「国道沿いに行けば何でも揃っている」です。
 
 国道沿いに暮らす者にとって、ショッピングモールやロードサイドは、買い物ができる最大にしてほとんど唯一の場所です。スターバックス、ヴィレッジヴァンガード、タワーレコードなどを擁していることもあるそれは、地方都市では最大級の文化発信装置やデートスポットとしても機能しています*3。そりゃ、埼玉や千葉に住んでいて東京都心に買い物に出るような人からみれば品揃えに不満もあるでしょう。しかし、ここは逆に考えてみるべきで、山奥や海沿いの、食料品店と雑貨店と酒屋ぐらいしか店のなかった地方の人からみれば、イオンのようなショッピングモールは桁違いの品揃えのアイテムを安価で購入できる、空恐ろしいショッピング空間と言えます。
 
 だから、田舎に生まれて田舎に育った人間の主観的感覚とすれば、「イオンに行けば何でもそろっている」「国道に出れば何でもそろっている」のほうがしっくり来ますし、田舎の個人商店がバタバタ潰れるのも無理はありません。なんたって、相手は「何でもそろっている」イオンなんですから。それにしても、イオンって凄いですね。人口数万人の街にもイオンがあって、昔じゃ考えられないほどのショッピング空間を提供しているのですから。撤退した後にはなんにも残らないんでしょうけど、それまではいい夢が見れそうです。
 
  
 ・子どもがすし詰めになっている公園
 
 「田舎の子どもは都会の子どもに比べて遊び場が多くていいですね」なんていうのは昔の話。今では空き地や道路で遊ぶ子どもの姿を見かけることはまずありません。そのかわり、平日の夕方や休日の昼下がりになると、たいして広くも無い公園にすし詰めになって遊んでいる子ども達の姿をよく見かけます。近頃の田舎の子どもは、「ここでしか遊んではいけない」という大人の言いつけを意外と守っているようです。
 
 田舎なんだから、山や川で遊べばいいという人もいるかもしれません。でも、山や川は立ち入り禁止ですし、道路で遊ぶなんてもってのほかです。親の立場からすれば、事故防止とか犯罪回避といったセキュリティ面で、危ない場所で遊ばせたくはないでしょうし、土地所有者の側としても、自分の土地で子どもを遊ばせておいた挙句、万が一、子どもに何かあったときに怒り狂った親に糾弾されるなんて御免蒙りたいでしょうから。結果として、子どもが遊んで構わない場所は田舎にもそんなにありません。
 
 都会よりもはるかに遊び場の候補があるように見えるのに、透明なガラスの檻にでも閉じ込められているかのように、小さな公園にすし詰めになって遊ぶ子ども達。公園にたくさんの子どもが集まっている風景は、一見、のどかで心温まる風景に見えるかもしれません。しかしちょっと見方を変えるなら、都会よりずっと空間的に恵まれているはずなのに、小さな公園にすし詰めになって、さほど喧嘩をするでもなく遊んでいる風景には、なんとなくディストピア臭が漂っているように(私には)感じられます。
 
 
 ・お年寄りだらけ
 
 道を歩いていても、コンビニに入っても、お年寄りにはよく出会います。週末のショッピングモールの平均年齢はそれなり下がるんですが、平日の県道や市道にはお年寄りの運転する車がいっぱいで、畑仕事をしているのも殆どが年配者。あちこちに大きな老人介護施設が建っていることまで加味して考えると、本当にたくさんのお年寄りがいるのでしょう。尤も、過疎地の最近の老人介護施設には、大都市圏から流れてきたお年寄りが結構な数住んでいるので、全部が全部地元のお年寄りというわけでもないでしょうけど。
 
 高齢化社会の先頭を走っているのは、大都市圏ではなく過疎の進んだ田舎です。耕す者のいなくなった田畑を潰して新しい老人介護施設が竹の子のように生えてくるさまは、そのような未来を予感させるものがあります。
 
 
 ・朽ちていく道路と、無駄に広いバイパス
 
 道路が古くなっていくのが体感できます。アスファルトがあちこち欠けたままになっていたり、谷を跨いだ集落に向かう市道の橋が通行止めになっていたり。結構大きめで交通量の多い橋が、延々と補修工事を受けていたりもします。こちらによれば、統計上も日本の道路や橋の耐用年数が迫ってきているのは事実のようですが、体感的にも、交通量の大きな道路から小さな道路まで、それなりボロくなっていると感じます。手入れしない橋や道路って、駄目になっていくんですね。
 
 その一方で、高速道路のインターチェンジに向かう道や県庁所在地に向かうバイパスの類は、どんどん用地が買収されて、どんどん新しくなっていきます。人体にたとえるなら、太い血管だけ最新にして、毛細血管はボロボロ、といった感じでしょうか。このあたり、地元の色々な事情や思惑も絡んでのことなんでしょうけど……空き家や廃屋の増加も相まって、地方環境が末端から壊死していくような景色にも見えてしまいます。
 
 

田舎という名の最前線

 
 ここに挙げたものの幾つか――例えば“動くファンシールーム”の話にしても、子どもがすし詰めになっている公園にしても――は、大都市圏では“時代遅れ”“刷新されつつある古いもの”とみなされるかもしれません。けれども田舎には田舎の事情がありますし、大都市圏の先進的な試みが地方の末端に届くまでには、早くても十年、もしかすれば数十年の歳月がかかります。ですから、大都市圏での新しい試みのうち、幾つかは田舎には届かず、変化が訪れる前に体力が尽きて朽ち果てていく村落や地域もあるでしょう。
 
 若者向けの流行や、新しいライフスタイルのテンプレートという意味では、今後も大都市圏が発信地であり続けるでしょう。その一方で、生活環境が末端から壊死していく風景や、お年寄りに偏りまくった人口動態という点では、田舎こそが最前線です。そのフロントラインはもはや山奥や離島の小さな村落ではなく、人口数万人程度の地方都市にまで押し寄せていると、肌で感じる今日この頃です。
 

*1:一昔前の国道沿いだったら、シャコタン改造されたマジェスタやセドリックや、気合いの入ったホイールをつけたランサーエボリューション、スカイラインGTRなどを乗り回す若い人の姿を見かけたものです。ところが最近は皆お金が無いのか、それとも「車」に対する興味をなくしてしまったのか、見かけるのは「動くファンシールーム」「動く子ども部屋」と化したワンボックスカーや軽乗用車ばかりです

*2:興味深いのは、そんな田舎のイオンやコンビニでも、年寄りは店員さんや通りすがりのお客さんと割と会話しているように見受けられる点です。買い物に際して会話をするのがデフォルトになっている年代の人達が死に絶えたとき、また少し景色が変わりそう。

*3:あと、地方の文化発信装置を語るならコンビニを外すわけにはいきませんが、田舎とコンビニの話をしはじめると非常に饒舌になってしまいそうなので割愛します