シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『ガンダムAGE』は男の世代交代を描けるか

 

HG 1/144 AGE-2 ガンダムAGE-2 ノーマル (機動戦士ガンダムAGE)

HG 1/144 AGE-2 ガンダムAGE-2 ノーマル (機動戦士ガンダムAGE)

 
 『ガンダムAGE』は、フリット編が割とひどい事になっていて、一時期はすっかり絶望してしまっていたけど、アセム編に入って段々面白くなってきた。男の世代交代を曲がりなりにも描いた、ガンダム“AGE”という名前に相応しい作品に仕上がってくれる…かもしれない。
 
 

父親不在だったフリットの少年時代/父親のいるアセムの少年時代

 
 フリット編のフリットには父も母も不在で、彼はXラウンダーとしての素養と超兵器なガンダムにおんぶにだっこで戦役を生き抜き、大人になった。もちろん周囲の大人の援助もあったし、グルーデックのような年長世代が十字架にかかるシーンもあったが、親子関係が描写されていなかったためか、フリットの成長物語にリアリティを感じるのは難しかった。
 
 ところが、アセム編はかなりヤバい。親子の物語に相当首を突っ込んでいる。当初、私は「どうせつまんないでしょ」と思ってパスタを茹でながら眺めていたが、だんだん気になり始めて、今では日曜5時には完全に作業をやめてテレビにかじりつくようになった。
 
 フリットは一応父親になった。だがアセムに対して十分に理解のある父親になったとは言えず、不器用な振る舞いもある。だが彼は父親不在の環境で育ったわけで、「理解ある父親のモデル」も「思春期の息子を持つ父親のモデル」も欠いたなかで、父親を引き受けなければならなかった。“お手本的な人物を欠いていても父親をやらなければならない”というフリットの立場には、同情の余地があろう。とはいえ、父の立場ではなく専ら上司としてアセムに接してしまうあたり、アセムからすれば微妙きわまりないところだろうし、歳を取っても過去の拘りを引きずりながら戦い続けているあたり、それってどうなのよ、と突っ込みたくもなろうが。
 
 こんな具合に、フリットは完璧な父親には程遠い父親を、言葉少なげに、ともかくもやっている。
 
 一方アセムは、父親がXラウンダーにして司令という立場のなかで、(父親にも周囲の大人にも)早く一人前として認められたいという欲求丸出しで、空回りしていた。しかもアセムにはXラウンダーの素養が発現しなかったらしく、それがアセムの劣等感を刺激して、敵の怪しげなヘルメットを被るような暴挙に駆り立ててしまう。ガンダムの性能やウルフの支援に助けられてなんとか生き延びているが、こんな調子ではアセムの自己評価はいっこうに高まりようがない。
 
 そんな踏んだり蹴ったりなアイデンティティの空白に悩むアセムだが、彼は、歴代のガンダムの主人公に比べて明らかに恵まれた境遇で思春期をやっている。不器用ながら一応父親をやっているフリットはもとより、ディケやウルフといったまともな大人に囲まれて、父親だけでなく、彼らの見解や支持を得ながら育つことが出来る。特に第25話の終盤でウルフが伝えた台詞は重要だった。
 
 悩むアセムにウルフは言う。「父親と同じXラウンダーにならなくてもいい、自分なりに技量を磨いて自分なりの強さを身につければそれでいいじゃないか、この俺のように」、と。これは今のアセムにとって一番必要な台詞だったと思う。もし、アセムが父親をストレートに目指したとしても父親の劣化コピーにしかなれず、劣等感も克服できないだろうからだ。
 
 しかし、もし同じ台詞をウルフではなくフリットが言ったとしたら、アセムはアドバイスを喜べただろうか?反抗こそすれ、喜べはしなかったに違いない。これは、幼い頃から憧れの対象でもあり、父親とは全く異なった成熟を身をもって示せているウルフだからこそアセムの琴線に触れることが出来たのであって、実の父親には、絶対に出来ない仕事だったのである。
 
 擦れたアニメ鑑賞の視点でいえば、この台詞はウルフにとって命取りな台詞――いわゆる死亡フラグ――だったと推測される。しかし、命を賭して(笑)、ウルフはアセムが一番必要としている台詞を、アセムに届けたのである。たぶんウルフは、アセムに恐ろしく大きな贈り物をして死んでいくのだ。だがこの先、どのような死に方をしようとも犬死ではない。
 
 

「父親以外の成熟モデル」の必要性

 
 ここで、「思春期の子どもにとって父親とはどういう存在なのか」を思い出してみる。
 
 現実の父親は、欠点だらけの存在である。世の中に、欠点の無い父親は存在しない。男が万能の父に至るのではなく、欠点や拘りにまみれた一人の男が父という立場・役割を引き受けるに過ぎない。この事実は、子どもが成長するにつれて子どもの目にもわかるようになるので、やがて父親は息子の理想の引き受け手としては殆ど役に立たなくなる。アセム編のフリットは、特に思春期の視聴者から見れば欠点だらけの父親に見えるが、仮に、もう少しちゃんとした父親だったとしても、息子のアセムの目には似たような欠点だらけの父親が映るだろう。アセム編の、不器用な父親としてのフリットの姿は、アセム視点から見て不可避な父親イメージのそれに他ならない。
 
 「至らぬフリットという男が、それでも父親という役割を引き受けていた」という驚愕の事実にアセムが気付くとしたら、そのタイミングは、ビジュアルノベル『CLANNAD』に描かれたように、自らが父親という役割を引き受けるようになってからだろう。それまでの思春期の十数年間、子どもは――特に息子は――やたら欠点が目に付く父親を恨めしく思いながら、許すことも、認めることも出来ないまま過ごす。ときには父の急逝をきっかけに気付くパターンもあるが、父親が死んでさえ、ネガティブな印象しか持ち得ない息子というパターンも世の中には多い。
 
 そんなわけで、思春期以後の男の子がまともに男になるためには、どれほど立派な父親であろうとも父親自身だけではおそらく上手くいかない。もちろん父親の劣化コピーを目指してもしようがない。だから父親以外のモデルになってくれるような年上の人物、それも、親身に自分のことを考えてくれる同性の人物がいたほうが良いが、アセムは幸運にもそのような年長の男性(=ウルフ)に既に出会っていた。これは、アセムの成長という意味では間違いなくラッキーなことである*1
 
 そして、アセムがXラウンダーではないのも、この視点で見ればラッキーである。もし彼がXラウンダーだったら、おそらくアセムは今以上にフリットの劣化コピーへの道を突き進もうと藻掻いただろうし、Xラウンダーではないウルフのことをを見下していたかもしれない。それこそ“エリート意識ばかり先行した、けれどもフリットを縮小再生産したような、たいしたことのない奴”になっていたかもしれないのだ。目下、アセムは父親とは異なる道・異なる“やりかた”を進もうとしている。これは間違いなく福音である――アセムにとってだけでなく、おそらくフリットにとっても。
 
 

減点法でガンダムを眺めるか、加点法でガンダムを眺めるか

 
 私は、『ガンダムAGE』が男の世代交代の物語を描こうとしているように感じる*2。これは、今までのガンダムシリーズでは真面目に取り上げられていなかったテーマだと思うし、だからこそユニークだと思う。今という時代の、思春期という世代の人々が、このユニークネスにどの程度の価値を見出すのかはさておき、今という時代に、こういうテーマがガンダムという作品で描かれるという事がどういう事なのか・未来においてどのような意味を持つのか、注視していきたいと思う。
 
 残念ながら『ガンダムAGE』は傑作にはならないと思う。というより、よほどの事が無い限り、駄作として記憶される可能性の高い作品だと思う。『魔法少女まどか☆マギカ』のような完成度を誇るでもなく、『ガンダムUC』のようなクオリティの高さを誇るわけでもない。ご都合主義な描写も多く、絵や演出で人を魅了するような柄でもない。同時間帯に放送された『コードギアス 反逆のルルーシュ』や『鋼の錬金術師』などと比べると、完成度の低い雑な作品だと私は思う。
 
 けれども、「他の作品・他のガンダムシリーズが描いていない(または描けない)テーマ」に切り込んでナンボのガンダムシリーズという見方をするなら、『ガンダムAGE』はガンダムの名を冠するに相応しいトライアルをやっているように見えるし、日曜午後5時という“子どもの時間”に、こんな青少年に受けの悪そうなテーマをぶつけてくる蛮勇っぷりも興味深い。『Vガンダム』をバイク戦艦やら何やらで減点しまくって「クソアニメ乙」で片付けてしまっては勿体ないように、本作品をひたすら減点法で採点して「クソアニメ乙」で終わるのは勿体ないかもしれない。今はまだ可能性の段階だとしても。
 
 まあ、『ガンダムAGE』を加点法で採点したとしても、フリット編にはうんざりさせられるし、Blue-Rayで愛蔵したくなる作品かというと、それはそれ、これはこれ、ではある。そもそもアセム編すら終わっていない段階で「この作品は、加点法で採点するに足りる新しいインパクトを提供した」と言い切ることには無理があり、すべては今後の展開にかかっている。それでも、現代の青少年向けアニメが描写を避けがちなテーマに食いついている姿勢は評価したいし、今後の展開を見守りたいと思う。しっかり完走して、「『ガンダムAGE』は今までのガンダムに無い新境地を開拓した」と後世に言われるような作品になって欲しい。
 

*1:ちなみに『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジの場合、加持リョウジが唯一理想的な年上モデルになり得る人物だった。しかし実際には加持と過ごす時間が短すぎたうえ、父親たる碇ゲンドウがフリットより数段駄目な父親だったというハンディがあり、うまくいかなかった。

*2:ここでも『CLANNAD』を思い出す人がいるかもしれないが、『CLANNAD』は「父の行いの意味に気付く」所までは描いていたが、父と息子との直接的なやりとりはあまり描写されなかった。また『CLANNAD』では、主人公が父親を引き受けて比較的早い時期に娘が生死を問われる状況になってしまったため、話のフォーカスがそちらに移ってしまい、父親を引き受け続ける点までは掘り下げられていなかった。また『花咲くいろは』も世代の問題を描写していたが、祖母-母-娘というラインで、しかも娘視点にフォーカスが寄っていて時間経過的にも比較的短い期間を掘り下げていたという点で『ガンダムAGE』とは狙いどころがだいぶ異なっていた。