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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

四畳半の正義

コミュニケーション

 
 NHK_PRにつぶやくなと言った人がアンフォローを勧められキレる - Togetterまとめ
 
 世の中には、さまざまな常識・さまざまな価値観を持った人がいる――リンク先は、そんな事を思い出させる事例だった。
 
 インターネット上、特にtwitterのような場所では、一般大多数の常識から懸け離れた振る舞いは炎上案件としてクローズアップされやすい。本件の場合もそうだが、togetterのコメント欄には「痛すぎる」「これはひどい」「かわいそうです」といった非難が並び、やがて投稿者はアカウントを削除するか非公開にする。こうした現象を揶揄して、最近はtwitterのことを“バカ発見機”と呼ぶ人もいる。
 
 一方、サービス業の窓口業務などをやったことのある人なら、「うわっなんだこの人は?!」と驚いたことも多いだろう。とんでもない常識を振りかざして無茶無体な要求をする人、エキセントリックな習慣が世の一般習慣だと思いこんでいる人、自分の言うことは絶対に通るべきと思いこんでいる人は、世の中には案外いる。「ああ、この人がこの台詞をtwitterに書き込んだら、一発で炎上するだろうな」という非常識は、ちょっと見えにくいだけで、実際にはほうぼうに存在しているし、たぶん、あなたの家の回りにもいる。ときには会社役員や議員といった人々が非常識をスラスラ口にして憚らず、周囲を驚かせることもある。もちろんこちらは炎上しないが。
 
 件のtwitterの人もそうだが、こうした人達には、自分が世間の常識感覚とはズレているという自覚は無い。自分の振る舞いは社会的に妥当だという確信があるからこそ、ストレートに非常識な常識を振りかざせるのだろう。これまで接してきた人間関係の質・量が著しく偏っていたり欠けていたりすれば、このような“四畳半の常識”はいくらでも生じ得る。
 
 高度成長期以降は、地域コミュニティのような付き合いを欠いたまま、核家族で育ち、学校を出て、職場で働くような人生が珍しくなくなった。このため、核家族・学校・職場での人間関係いかんによって、常識として身につけるものの個人差が大きくなりやすくなった。地域コミュニティという“しがらみ”から開放されたのとひきかえに、個人の選好と選択によって形作った生活圏に引きこもりやすくなり、その外にいる人々の常識や価値観を垣間見る機会を失った、とも言える。
 
 いや、実際には、自分の生活圏の外にいる人々に関心を向けるなら、それを知るチャンスは幾らでもある。オンラインはもとより、オフラインの世界にも、無数の出会いの場があり、無数の会話のチャンスが転がっている。けれども、そういった関心が乏しい人は、己が小さな生活圏の外の常識や価値観を知らぬまま、箱入りのまま、人生を過ごしていく。
 
 かくして、マンションやニュータウンに“箱入り息子”“箱入り娘”が続々誕生することとなった。そんな人々も、歳を取れば“箱入りおじさん”“箱入りおばさん”になっていき、ときには“箱入り二世”を育てることもある。地域の常識から身内の常識へ。身内の常識から家庭の常識へ。そして四畳半の常識へ……。
 
 もちろんこうした“箱入りおじさん”“箱入りおばさん”を他人事として語るのは危ない。生活圏が個人の自己選択によって形作られ、それに基づいて個人の常識が形作られる以上、自分が一体どれぐらい世間の一般常識とずれているかは、意識的に確かめない限り難しい。意識的に確かめると言っても、その確かめる行為自体が自己選択に委ねられているという難しさもある――例えば『2ちゃんねる』で常識をチェックした者は、世間の常識よりも2ちゃんねるの常識に馴染んでしまう。
 
 「私はあらゆる分野で常識人である」と思いきや、ある分野では世間の大多数から見て奇異なものを常識と信じてしまっているリスクは、割と誰にでもあると思う。
 
 

インターネットが、「四畳半の正義」を白昼のもとに曝す

 
 インターネットというツールは、そうした四畳半の常識を世界じゅうに公開してしまう。特に、四畳半の正義を振りかざして有名なアカウントに噛みつこうものなら、凄まじい勢いで情報が拡散し、強烈な反応を引き起こす。これは、悪いことだろうか。
 
 「四畳半の正義」を振りかざした人の、短期的なメンタルヘルスについて言うなら、そうやって炎上すればストレスになるだろうし、自分の常識が大多数にとって非常識だったことを知ればショックだろう。だから短期的に見れば、あまり良いことではないかもしれない。
 
 しかし中〜長期的な視野に立つなら、「インターネットでは、自分の常識と世間の大多数の常識がどこまでズレているかを気にする必要がある」というコンセンサスが浸透することで、ネット上のトラブルを減らせるようになっていくかもしれない。そして個人のレベルで見ても、その場ではショックだとしても、自分自身の常識のズレを知る機会はやはり貴重だとも思う。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とも言うわけで、多くの人達との意識のズレをネットで指摘されること自体はそんなに悪いことでは無い、この機会に、自分の常識を見直し、そのうえでこれからの振る舞いを考える機会になればとも思う*1
 
 [関連]:常識がプライベート化していく――Common Sense からPrivate Senseへ - シロクマの屑籠
 

*1:ちなみに、世間の大多数の常識のズレと、自分の常識のズレを認識した後、どう振る舞うかは、まだ個人の判断に委ねられている。常識はずれであると知ったうえで、自らの考えを貫くという道が無いわけではない。きわめて稀に、世間が間違っていることだってあるかもしれない。それによって生じるあらゆる結果を引き受ける覚悟があるのなら、そういう選択肢を検討する自由はあると思う