シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「おばさんたちは来ないでほしい」と「無断リンク禁止」の記憶

 
 風邪っぽいので簡単に。
   
おばさんたちはinstagramに来ないでほしい。|かおりんた|note
 
 インターネット好きの間では一騒ぎとなった「おばさんたちはinstagramに来ないで欲しい」。いろんな人がいろんな言及をしていますが、私は懐かしい気持ちになりました。
 
 ネットとリアル。自分のネットコミュニケーションやネット社交圏を見せたい相手にしか見せたくない気持ちがあるとしたら、なすべきことをなして自分で自分を救いなさい――それが数年ほど前のネットユーザー的な“常識”だったと思います。そういう時代のインターネットを知っている人間が「お前は何を言っている」「mixiに還れ」と過敏反応するのは理解できるところです。
 
 と同時に、そうやって自助努力的な作法行儀を内面化していないネットユーザーからすれば、自分が新しく見つけた(と思っている)インターネットの余白に他人が土足で入ってくることに嫌悪感を表明したくなるのも、気持ちのわかるところではあります。もちろんこれは、twitter黎明期にtwitterをやっていた人、成長途上のサブカルチャーコミュニティをやっていた人などにも当てはまる話で、人生経験のある人には既視感のある風景かもしれませんが。
 
 で、こちらの記事を読みながらふと私の口から漏れたのは、「これって、「無断リンク禁止」に似ているんじゃないか」でした。
 
 まだインターネットにSNSはおろかブログもなかった頃に、ウェブサイトのホームページに大書されていた「無断リンク禁止」の文字。
 
 「読まれたくないならオープンなインターネットを使わず、クローズなインターネットに行け」という話がなかなか成立しにくかった頃に、オープンなインターネットの一角にその民俗は存在していました。mixiも無かったような時代のお話です*1
 
 「同好の仲間以外にはみられたくない」という思いは、いきさつや時代の違いはあれど昔からあったわけです。それは素朴な願いであり、ネットリテラシー的なものが確立途上だった時期に現れたローカルなネット民俗でした。後のインターネットの潮流からは完全に取り残され、SNSの台頭とともにこうしたネット民俗は消えていきましたが。
 
 今回、「おばさんたちには来ないでほしい」という文章を読んで、私が懐かしい気持ちになった理由は、たぶんこの「無断リンク禁止」に相通じるところがあったからだと思います。イコールではないんですが、「おい、おまえインターネット世間に疎いな、なに懐かしいこと書いているんだ」って思わせるような、イノセントな筆致が過去を思い出させたのでしょう。
 
 皆が皆インターネットに繋がり、繋がり過ぎてしまえば、自分達だけの別天地なインターネットが欲しい、という気持ちが現れてくるのはわかる話です。かつてのアーリーマジョリティ勢であれば、そういう気持ちが湧いてきたら「新サービスに行けや」って話になるんでしょうが、最近instagramを始めるような人達においては、そういう「新サービスに行けや」的な感性になびけるわけもなく、「おばさんが来るなや」ってなるわけですかね? この「私達が出立するのでなく、おまえらが来るな」的感性って、やっぱり「無断リンク禁止」に相通じる何かがあるように感じるんですよ。「イヤなら新しいサービスに引っ越そう」ではなく、「ここは私達の別天地だ!来るな!」って立札を求めてしまうセンス。これは似て非なるインターネットの態度だと思います。
 
 このたびの“謝罪”なる所作がどのような意味を持つのかは、私にはわからぬところです。が、とにかくインターネットを巡る価値観が270度ぐらい巡って、新旧が摩擦を起こした一件ではあるな、とは思います。「無断リンク禁止」的なセンスがfacebookやinstagramといったサービスに降りて来るのは面白く、しかし考えてみれば必然的な出来事なのかもしれません。「実名でインターネットやってるんだから、そういう可能性は最初から頭に入っていて然るべき」とは言ったって、ねぇ。
 
 本当はみんな、「無断リンク禁止」的な、排他的なインターネットを誰にも邪魔されずにやりたい願望を多かれ少なかれ持っているんではないでしょうか。
 
 そういうサイレントな欲求が「おばさんたちには来ないで欲しい」という文字列によって掘り起こされ、焦点化され、ボウボウと燃えた本件は、言及の水面下に広がる願望や葛藤を垣間見せてくれる現象のように私には思えたのでした。
 
 他の炎上もそうですが、インターネットって、衆生の願望や欲求や葛藤が一点集中するような article はホントよく燃えますね。こういう水面下の欲求や葛藤を見抜いてコントロールする人が、炎上と消火の――というよりメディア上の――マジシャンになれるのでしょう。私は遠慮しておきますが。
 

*1:mixi等が普及していった後も、数年程度はこの表記民俗は存続しました