シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

二次元キャラは、本当に使い捨てられるだけなのか

 
 http://d.hatena.ne.jp/si-no/20111127/1322382556
 
 アニメやゲームといった“二次元”の世界から、少年少女が売られてくるのは今に始まったことではない。「コンテンツ消費」「二次創作」といったお題のもと、数え切れないほどの少年少女が、オタク界隈の消費者達によって買われ、消費されてきた。これからも、そうだろう。
 
 同人誌即売会で取引*1される二次創作作品を見ればわかる通り、そうやって消費者集団の前に差し出された少年少女は、しばしば性的にも消費される。同人誌を売っている現場に行ったことのある人なら、年端もいかない少女が大きく股を開いている図像や、少年同士がねっとり絡み合っている図像を見たことがあるだろう。ああいうエッチなまなざしと想像力が、二次元村から売られてきた少年少女にはまとわりついている。
 
 二次元村で少年少女をクリエイトしている人々も、最近は心得たもので、「どうせお前ら、こういうの好きだろ?」と気を利かせて、少年少女達を市場に送り出す。かわいいフリルやパンチラぐらいは朝飯前、誤解されそうな台詞や、ちょっとしたキャラ同士の掛け合いにも、近頃の“萌え豚ども”は目を光らせている。
 
 そしてオタク界隈全体で見れば、消費者集団(というより市場、と言うべきか)はグルメではなく、貪欲で、節操が無い。「ブヒーブヒー」とキャラクターをむしゃぶり尽くした後、次のアニメ放送が始まれば*2、多くのキャラクターは捨て置かれる。ここで“今年の最萌キャラ”として栄冠に輝いた御坂美琴でさえ、いずれは玉座から転げ落ちるのが定め。いつかは飽きられる。
 
 

“キャラを「オワコン」扱いしているのは、あなた自身じゃないんですか”

 
 ここまではオタク界隈全体というマクロな傾向の話。マクロな市場の流行り廃りは、誰もどうすることもできない――オタク界隈の市場が現在と同等以上の規模を維持するためには、飽きられ産業廃棄物となっていく少年少女(とそのグッズ)を大量生産し、大量消費してもらうサイクルを回さなければならない、のだろうから。
 
 しかし、個人のレベルで見れば、全てのオタク消費者が“俺の嫁”や“脳内彼氏”を取っ替え引っ替えするわけではないし、取っ替え引っ替えするよう強制されているわけでもない。消費者個人は、いつまでも一人のキャラクターを愛し続けることだって出来るし、特別な気持ちを抱き続けることも出来る。二次元村から二束三文で売り飛ばされてきたその少年少女と巡り会った後、どのようにお付き合いするのかは、消費者たる一人一人のオタクに委ねられている。“このキャラクターだけは忘れるべきではない”“このキャラクターは特別だ”と思ったら、そのように遇することができるし、また、そうすべきだろう。
 
 逆に言えば、個人のレベルにおいて、御坂美琴なり暁美ほむらなりを「オワコン」という名のゴミ箱に追いやるのは、その人自身だとも言える。新しいキャラクターやコンテンツが現れたら、いそいそと“俺の嫁”を買い換え、昔のキャラクターを忘れてしまうような人間は、市場の歯車を回すには都合良い存在であると同時に、キャラクターへの愛・執着という視点から見れば、薄情なことこの上ない“ご主人様”だ。そのような“ご主人様”は、誰でも“俺の嫁”と呼ぶ代わりに、明日にはその“俺の嫁”を忘却の焼却炉に放り込むだろう。
 
 

大切なキャラクターには“心の神棚”を

 
 リンク先には、

 「オワコン」という言葉が呟かれる度に、二次元村からやってきた少女が消費物として忘れ去られる。そうするとおれたちは「フィクションや二次元は次々と使い捨てていくもの」という思考回路を無意識のうちに埋め込まれてしまう。フィクションを愛しているように振る舞いながら、やっていることは奴隷貿易みたいなものではないのか。二次元少女は辱められ、豚の餌にされ、忘れられ、始めから存在しなかったかのように消え失せて行く。

http://d.hatena.ne.jp/si-no/20111127/1322382556

 と書いてある。市場というマクロなレベルで考えるなら、その通りかもしれない。
 
 しかし先に述べたように、消費者個人のレベルでは、自分自身が好きになったキャラクターを覚えておくことも、忘れてしまうことも、その人の自由だ。人気投票から脱落しようが、世の中の薄情者共が「オワコン」認定しようが、そんなのは大した問題ではない。
 
 大事なキャラクターは“心の神棚”にお祀りすればいい。
 市場が忘れても、あなたが覚えていればいい。
 
 二次元の濁流のなかから拾い上げた、自分にとって間違いなく重要なキャラクター・自分の人生を左右する衝撃を与えてくれたキャラクターを、他のキャラクターと区別し、特別扱いするための“心の神棚”。単なる消費コンテンツと言うには惜しい何かを提供してくれたキャラクターには、相応のリスペクトがあって然るべきだろう。もし必要なら、“薄い本”的な脳内補完や二次創作を拒むという形で、(自分自身の)エッチな想像力による浸食から保護したって構わない。
 
 マクロな市場動向や人気投票だけを見ていれば、キャラクターの栄枯盛衰はとても残酷に映る。けれども実際には、こういう“心の神棚”を大半のオタクが持っていて、一人(または数人程度)のキャラクターを別格扱いとして、大切に記憶にしまっているのではないか、と私は疑う;普段ブヒーブヒー言っている“萌え豚”な人々にも、しまりなくブヒブヒ言うのが憚られるような、「このキャラだけは豚のエサにしてはいけない」と思えるキャラクターの一人や二人、いるのではないか。そういったキャラクターを持たない“真の萌え豚”って、それほど多くないのではないか?
 
 市場から姿を消したキャラクター達は、大半の消費者から忘れ去られているように見えて、実際には、どこかの誰かの心のなかでは今も生き続けている。マルチも、惣流アスカも、長門有希も、市場的には「オワコン」かもしれないが、必ず誰かの心のなかに根を下ろし、愛されている。そうやって“心の神棚”にお祀りされる確率は、1/100かもしれないし1/1000かもしれないけれど、ともかくも多くのキャラクターは、どこかの誰かの心の琴線に触れて、不憫とは言い難い余生を送っている。
 
 “捨てる神あれば拾う神あり”。
 
 そう考えれば、二次元キャラクター達の運命も、そう悲壮ではないかもしれない。世のオタク達の、“心の神棚”の数だけ、いつまでも愛される幸福なキャラクター達が微笑んでいる、と思う。
 
 

*1:この文脈の場合、“頒布”という通常の言葉は避けたいと思ったので“取引”と書く

*2:ラノベなら、連載が完結すれば