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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

これからのシューティングゲームは脱-弾幕していくか

 

ダライアスバースト オリジナルサウンドトラック

ダライアスバースト オリジナルサウンドトラック

 

 2010年のアーケードシューティングゲームは、『赤い刀』『ダライアスバーストAC』と、弾幕をかいくぐることに重きを置かない作品が久しぶりに続いた。もちろん以前から、弾幕に依存しすぎないシューティングゲームを創ろうという動きはあったし、個々の作品レベルでは『斑鳩』のような成功作もあったにせよ、老舗二社から続いて出てくるというのは本当に久しぶりのような気がする。
 
 CAVEの『赤い刀』は、ある程度派手な弾幕が登場するものの、弾を避けることより念身モードで弾を斬ったり弾いたりする感覚にゲームシステムの主眼が置かれ、弾幕をかいくぐる能力は求められない作品だった。スコアシステムも、シビアな弾避けを達成したか否かではなく、沢山の敵を敵弾ごと斬り倒せたかどうかがによって評価づけられている。演出としての弾幕も、『赤い刀』ではあまり重視されておらず、いわゆる“弾幕美”に依存していない。
 
 そしてTAITOの『ダライアスバーストAC』は、ダライアスの名に恥じない作風に仕上がっている;いわゆる弾幕らしい弾幕というのも少なく、敵弾の多くはバースト攻撃などで打ち消すことが可能なので、まともに弾幕を回避するシーンが無い。実質的な脅威は、レーザーや爆雷攻撃、そしてさまざまな挙動をみせるホーミングレーザー各種などである。大型筐体のアドバンテージを生かすような演出と攻撃を駆使したことで、『ダライアスバーストAC』は弾幕にまったく依存することなく楽しい作品として仕上がっている。
 
 これらの作品を実際に遊んでいると、メーカーが“弾幕系の次”を模索しようとしているように感じられる。“シューティングゲームといえば弾幕”という時代が長く続いてきたが、それももうすぐ終わりなのかもしれない。
 
 

アーケードシューティングで脱-弾幕の動きがみられる背景

 
 では、なぜ今になってアーケードシューティングが脱-弾幕するのか?
 
 いちばん単純な理由は、“みんな弾幕に食傷気味だから”というものがあるだろう。もう十年以上にわたって、シューティングゲームのスタンダードは弾幕という流れが続いてきたが、さすがに飽きてこないほうがおかしい。
 
 弾幕シューティングは、その出始めの頃は見栄えとインパクトが良かったけれども、弾幕や難易度のインフレが進行しすぎた結果、これ以上弾幕を増やすだけではインパクトとなりえないところまで到達してしまった。難しさという意味では『怒首領蜂大往生』の緋蜂の時点で、弾幕の量という意味でも『虫姫さまふたり』のウルトラモードの時点で、既に限界と言って良いほどインフレしてしまっており、とっくに天井が見えてしまっている。“眺めて美しい弾幕”の価値はまだあるかもしれないが、ダライアスバーストACをみていれば、弾幕に頼らなくても美しい演出というものは幾らでもあると気付かざるを得ない。
 
 そして『東方シリーズ』をはじめとする同人系の弾幕シューティングゲームの台頭もあるだろう。美しい弾幕を避けるという楽しみなら、このご時世、ゲーセンにお金を落とさなくても同人界隈に競合作品がいくらでもある。そうでなくてもX-box360などを使えば一時代前の弾幕シューティングが遊べる時代なんだから、弾幕が派手でゲームバランスが優れているだけの新作をリリースしても、これらに競り勝つのはかなり大変である。
 
 結局、ゲーセン以外の場所に高クオリティの弾幕シューティングがあまりに溢れかえってしまっている現在、新たに弾幕シューティングを制作するというのは競争相手がいっぱいいるレッドオーシャンに飛び込むようなものになってしまった*1、というわけだ。
 
 こうした背景があって、各メーカーは弾幕になるべく依存しないシューティングゲームづくりに傾いているのではないかと推定する。もちろん、2011年においても「優れた弾幕シューティング」を制作するのはそれほど難しくないだろう。けれども弾幕シューティング然とした作品である限り、いくら優れた出来栄えでもマンネリズムの印象を免れにくいし、他作品との差別化が難しいのは事実である。
 
 そう考えると、“アーケードシューティングゲーム”という分野において、弾幕シューティングは商品としての賞味期限がそろそろ限界に近づいているのかもしれない。たぶん、弾幕(避け)は消費され過ぎたのだろう。
 
 

*1:対して、ダライアスバーストACなどは、競合ゲームの少ないニッチの再開発を狙った野心的作品と言える。