シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

子ども時代に愚行から学ぶ機会が減ったら、思慮分別が身に付きにくくなるのでは?

 
 チビ男を相手に、彼女の前で返り討ちにあった…死にたい。
 
 上記リンク先には、繁華街ですれ違った見知らぬ男に因縁をつけて、酷い目に遭った男の話が書かれている。何歳なのかは明記されていないが、おそらく、大学生よりも年上のようにみえる。大の大人が、見知らぬ人間にケンカの火種を売りつけて回るというのは、たいへんな愚行に違いない。
 
 この愚かなエピソードを、大人に限って考えるなら「アホですね」の一言で終了だろう。けれども、この手の愚行を頻繁にやらかすのは、本来、大人ではなく子どもの筈である。ヤクザのベンツにカンシャク玉を踏ませて縮み上がる思いをしたとか、オバサンの悪口を言ったらバットを持って追いかけられたとか、そういう思い出のある人は結構いるんじゃないだろうか。私も小学校五年生の時に、路上で大きな声で「ファミコンやってない奴ってアホだよね」みたいな悪口を言っているうちに、近所の中学生にそれを聞かれてボコボコにされたことがある*1
 
 人は、生まれたときから思慮分別を身につけているわけではない。子どもの頃から、まったく過ちを犯すことなく渡世のルールを身につけた大人になれる人など、そうそういまい。少なくとも私自身の記憶を振り返る限り、学童期〜学生時代に愚行のしっぺ返しに遭うということなしに、渡世の基礎ルールを身につけることは出来なかったと思う。子ども時代の、まだ取り返しのきく範囲の愚行とペナルティは、“社会勉強”していくうえで大変貴重な機会だった、と今にして感じる。
 
 
 【愚行から学ぶ機会が、どれだけ子どもに与えられているか】
 
 ところで、今の子どもは愚行から学ぶ機会があるのだろうか?
  
 他人に迷惑をかけてはいけない・イタズラをしてはいけないと物わかり良く躾けられ、放課後もスケジュールに管理されがちな子どもであれば、オイタやイタズラをやらかすこと自体が少ないかもしれない。しかし、もし愚行をやらかしてしまったとしたら、都市空間のなかで遭遇した街の大人が、どれだけ寛容に(あるいは手加減して)懲らしめてくれるのかは予測が難しい。教育的指導よりも嗜虐や搾取を選ぶ大人が何処に潜んでいるのか、見当をつけるのもなかなか難しい。知っている地域の大人であれば、危険を事前に察知したり手加減を期待したりも出来るかもしれないが…。
 
 くわえて、インターネットという問題もある。インターネット上での愚行にも様々な種類があるが、出会い系や詐欺のように、痛い目に遭って教訓とするには痛すぎるような・非常に危険で搾取的な種類のものも少なくない。それでも子どもは、インターネットという新しい娑婆のフィールドを渡り歩くノウハウを身につけなければならない。インターネット上の危険から子どもをひたすら遠ざけて安全保持することと、インターネット上の危ない危なくないを嗅ぎ分ける嗅覚を培っていくことは、(全部ではないが少なくとも一部において)相矛盾するところがある。
 
 こうした現況のなか、今の子どもが「取り返しのきく範囲で痛い目に遭って、渡世の基礎ルールを身につける」チャンスというのは、思いのほか少ないんじゃなかろうか。子ども時代に、【極端に安全に匿われる状況】と【一発ノックアウトのハイリスクな娑婆世界にいきなり晒される状況】の中間にあたるような環境で、適度に手厳しい教訓や、手加減してもらった制裁から渡世のルールを学び取っていく機会は、あまり残されていないようにみえる。
 
 子ども時代の愚行&教訓をろくに経験していない人なら、成人した後になっても幼稚な愚行が抜けきらないのは、まあ仕方がないような気はする。少なくとも私だったら、子ども時代に十分に愚行をやらかし懲らしめられていなかったなら、同じようなことをやらかしていただろう。
 
 そういう意味では、冒頭リンク先の男性なども、渡世の基礎ルールを身につける機会に恵まれなかった運の無い人だったと言えるかもしれない。子ども時代にもうすこし愚行を懲らしめられる機会に恵まれていれば、彼はもっと慎重に振舞えたかもしれない*2
 
 
 

*1:つまり、アホは私自身だったわけだ

*2:尤も、なかには痛い目に遭っても学ばない・学べないという人もいるにはいるが