シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

子育てスキルを身につける機会がどこにもない

 
 
 児童虐待やネグレクトをはじめ、現代の子育てが大変なことになっているという話はよく聞く。そんななか、「子育てをどのように支援していくべきか」みたいな議論をあっちこっちで見かけるわけだけど、どちらかといえば生んだ後のサポートにフォーカスがあてられているみたいで、生む前の準備というか、生む前の体験の有無みたいなものを気にする人は少ないようにみえる。
 
 確かに、生んだ後の社会的・経済的サポートが重要には違いないし、今、親をやっている人達にとって大切なのはそっちだ。けれども、これから親になっていく人達のことを考えるなら、生む前に子育てスキルを何処でどれだけ身につけるか、という視点も大事なんじゃないかろうか、と常々思う。
 
 

子どもに触ったことも無いのに、子育てできるほうがおかしいんじゃね?

 
 多くの人は、「子どもが生まれたら、親は父や母として振舞えて当然。」と思い込んでいるかもしれない。でも実際の人間はそんな風に出来ていない。子どもが生まれたら自動的に父や母として十分に振舞えるほど、人間は子育て一直線にプログラムされているわけではないし、まただからこそ、条件が悪ければ色んな問題も発生するのだろう。
 
 父が父として、母が母として相応に振舞うためには、父や母として振舞うゆとりのある環境が与えられていなければならないし、また、父や母として振舞うための予備知識や予備経験がなければ結構辛い。時代や社会によって子育てに求められるものには違いがあるけれども、その違いを踏まえて good enough な父や母をやるには、それなりの学習や経験も必要だ。なんの前知識もなしに子育てに突入したところで、泣いて言うことを聞いてくれない赤子を前にパニックになったり抑うつ的になったりするのがオチであり、程度問題はあるにせよ、まっさらな状態では厳しかろう。
 
 では、今、親になっていく人達のうち、どれぐらいの割合がどの程度子育てスキルを事前に身につけているだろうか?もっと言うなら“子どもに慣れている”だろうか?多分、ろくに子育てスキルを身につけていないんじゃないだろうか。
 
 まだ子どもの放課後のスケジュールが塾や稽古事で塗りつぶされる以前、多産多死〜多産少死な地域社会では、(よほどの坊ちゃん嬢ちゃんの家でない限りは)兄弟をあやしたり、近所の小さい子どもの相手をしたりする場面が豊富に存在したし、大人が乳幼児の面倒をみる姿を間近で見る機会もたくさんあった。学校の勉強はあまりさせてもらえなかったかもしれないが、子どもの面倒をみることについて、予備的に知識や経験を身につける(というより身につけざるを得ない)機会が豊富に存在していたわけだ。
 
 しかし、核家族化と地域の希薄化や、放課後スケジュール管理化が進んだ時代に生まれた世代は、そうではない。親や近所の人が子育てをしている姿を間近に見る機会はすっかり減ってしまった。放課後、幼児をおぶったり世話したりしている小学生や中学生など、もはやどこにも見かけない。小さな子どもを相手にするための知識や経験を手に入れる機会が、たいていの子には欠落しているし、その欠落を気にしている大人も殆どいない。「うちの子は勉強が出来ないから心配なんです」という声はどこでも聞くが、「うちの子はネンネの相手をしたことがないから心配なんです」とは誰も言わないだろうし、そんなことを言うぐらいなら「もっと先に身につけて貰わないと困ることが沢山ある」というわけだ。
 
 現在の子育て世代は、子育てについての知識や経験を予備的に身につける機会があまりにも少ない----少なくとも昔の世代の平均に比べれば、かなり少ない。にも関わらず、昔の世代と同じクオリティで子育てをスムーズにやれと社会から要請されているのだ。これはなかなかムチャな要求じゃなかろうか。子育てスキルを予備的に身につけられた世代ならともかく、その手のスキルや経験を全く欠いた世代が、孤立した状況下で子育てをやるというのは不可能に等しく、それでも巧く子育て出来るほうが不思議というほかない
 
 

社会が子育てスキルを軽視し続けるなら、まあ仕方ないんじゃないですか。

 
 では、どうやって親になる前に子育てスキルを補うのか?
 
 最近は、産婦人科や小児科が産前産後にレクチャーを行ったり、自治体が子育て支援のためのセンターを設立したりと、子育てスキルを補うための体制づくりはそれなりに進んでいる。ただ、すべての父母がレクチャーやセンターを利用できるわけでもなく、諸般の理由で受けてくれない層においてこそ、事態は深刻だったりもする。
 
 ならいっそ、学校にこれを任せて“義務教育化”してしまうか?
 そうもいかないだろう。ただでさえカリキュラムの厳しい現在の教育事情のなかで、子育ての知識と経験まで学校にお願いするのはいかにも大変そうだし、現在の価値観のなかでは子育てそのものが必須義務とは看做されていないことを思うにつけても、“義務教育化”という形式には反対の声もありそうだ。万が一、義務教育のなかに子育ての知識や経験を補填するようなカリキュラムをつくったとしても、教室で教科書を読んでいるだけでは殆ど効果が無いだろう。コミュニケーション全般と同じで、こういうのは座学だけではどうにもならない
 
 現状では、結局、個人個人の父母が(時間や金銭を対価として)自発的に子育てスキルを補うしか無いのだろう。だが、こうした個人の選択に委ねざるを得ないやり方では、子育てスキルを完全欠落させたまま子育てに突入する父母の発生を防ぐことは出来そうにない。子育ての難易度が高すぎるという状況も変わることなく、少子化も仕方ないですよね、という話になってしまいそうだ。
 
 ここはやはり、子育てについての知識や経験を予備的に身につける機会を若い年代がもちやすいよう、社会が変わっていく他ない、と私は思う。乳幼児が世話される風景に親しみやすく、子ども時代〜思春期の頃に小さな子どもに触れて経験蓄積する機会のあるような社会へと変貌していけば、いざ親になった時に対応不能に陥るようなケースの発生確率は下がるだろう。加えて、貧困家庭などに対する経済的支援のような仕組みが必要なのは言うまでも無い。
 
 とはいえ、社会の側が、子育てスキルというものを必要とは評価せず、「そんなもののために社会が変化する必要などどこにもない」「経験や体験がなくても、父母は子育てに通暁して当然」と考え続ける限りは、社会が変わっていくというのは夢物語でしかない。そして不幸なことに、子育てスキルや子育ての知識や経験を予備的に身につける機会をありがたいと思っている人は、現在の日本社会では少数派のようにみえる。
 
 むしろ、年寄り世代は「子育てはできて当然、若い連中は軟弱だ」と言い、子育て真っ最中の世代は「子育てスキルよりも学業のほうが大事」と言い、思春期以前の世代は「ガキの相手なんてしたくねぇ」と言っているのが現状なのだろうから、社会の総体としてはまだ、子育てスキルをたいして重視していないとみるのが適当なのかもしれない。子育てスキルを身につける機会が欠如した社会状況は、まだ当分は続いてしまいそうだ。