シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

尊敬の世代間継承断絶――老人を尊敬できない時代は誰にとって不幸か

 
 こないだ、大学病院の資料庫でパーソナリティ障害(人格障害)の調べ物をしていたら、勤め先のY先生の1990年代の論文が出てきた。論文は該当分野の先駆け的なもので、インパクトファクターも抜群、びっくりするほど良い仕事だった。
 
 翌日、ふだんはウイスキーとヨーロッパ史以外には寡黙な、初老のY先生にこのことを話すと、「いやーそれほどでもないですよ」と謙遜しつつも満更ではない御様子。この出来事を機に、Y先生への尊敬を新たにしたのだった。
 
 



 
 
 最近、老人が若者に尊敬されない風潮を嘆く声をよく見かける。
 
 けれどもそれだけでなく、逆に若者が老人を尊敬したくてもできない時代になってしまった、というのも嘆くに値することじゃないだろうか。かつて私は、『老人が尊敬される時代は終わった』という文章を書いたことがあった。しかし最近、老人が尊敬されないということだけが問題ではなく、若い世代が年長世代や老人を尊敬するチャンスが得られないということも、実は同じぐらい大きな問題なんじゃないか、と感じはじめるようになってきた。世代間で尊敬が継承されない時代――これは、尊敬される側である老人だけでなく、尊敬する対象に恵まれにくくなった若い世代においても、埋めがたい喪失なのではないか、と。
 
 テクノロジーや生活環境の激変を経て、老人が尊敬される時代は明らかに終わったが、同時に、若い世代が、年長世代を敬意をもって「この人、昔はマジ凄かったんだ」「この爺さん(婆さん)には一目置いておこう」と感激や敬意をもって接する機会も失われた。自分の身の回りの年配者の偉業に胸を打たれるチャンスなんて、今、どれぐらいあるだろうか?年長者が敬われなくて“カワイソウ”というだけでなく、若年者の間近に、尊敬できる人や、目標に出来る人がいなくなったというのも、それはそれで“カワイソウ”なことではないか。「自分(や自分の世代)だけが利口で、年長世代には価値がない」という心象風景は、若さに支えられた優越感や万能感を維持するには都合良いかもしれないが、どこか、寂しい心象風景ではないだろうか。そして、若さに支えられた優越感や万能感に浸っていようとも、いつかは必ず老いる。
 
 実は、尊敬されること・賞賛されることだけではなく、尊敬できる人が間近にいるということ・その人のようになりたいという憧れの気持ちを持てることも、メンタルヘルスにとって重要なファクターなのではないか、と、私は常々思っている。だからこそ、冒頭のように、私がY先生への尊敬の念を抱く機会を得られたのはラッキーな出来事だったとも感じている。なぜなら、尊敬できる師や敬愛に値する年配者の傍で仕事や生活に打ち込んでいるほうが、(少なくとも私などは)心強く感じられるからである。そして、かつては若く強かった人が、次第に老いていくということについて教わるにも適している。年上世代から得られるもの・学べるものは、けして少なくない。
 
 
 老人を尊敬できない時代は、誰にとって不幸な時代なんだろう?