シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

誰かを尊敬する力、他人に敬意を抱く力

 
 自分に自信が持てるような「力」ならともかく、他人に尊敬や敬意を抱き続けることのどこが「力」なんだと言う人がいるかもしれない。
 
 けれども実際には、誰かを尊敬する力・他人に敬意を抱く力の強弱は、その人の世渡りと心象風景にかなり影響する。
 
 まず、他人からなにかを学びとるにあたって、相手を尊敬しているか・敬意を抱いているかは大きな影響を与える。自分が尊敬している人物を先生として何かを学びとるのは割と簡単だが、見下しの対象を先生として何かを学び取るのは非常に難しい。また、尊敬や敬意を抱いている相手の発言であれば苦い忠告にも耳を貸せるかもしれないが、尊敬や敬意を抱ける人物の範囲が狭い人の場合、「どうしてあいつなんかの忠告を聞かなきゃならないんだ」という風に、苦い良薬を飲み下すチャンスは乏しくなる。必然的に、ごく限られた人物にしか敬意や尊敬の念を感じられない人のほうが、唯我独尊の袋小路に陥りやすい。
 
 また、他人に対して尊敬や敬意を抱いているか否かは、コミュニケーションに際しての一挙一動にも反映されやすく、それらは対人関係に無視できない影響を与える。多くの人は、相手からの尊敬や敬意のまなざし、あるいは「ひとかどの人間として認められている感覚」に敏感に気付くものだし、その感覚を好ましく思うものだ。なので、お互いをひとかどの人物として敬意を持ちあってコミュニケーションをするのと、お互いを見下しあいながらコミュニケーションするのでは、対人関係の帰趨は全く違ってくる。もちろん他人を常に全肯定しなければならないわけではないが、部分的にせよ相手に尊敬や敬意を払える人や、ひとかどの人物として相手を認められる人のほうが、対人関係全般を円滑に進めやすいのは間違いない。逆に、他人に対して尊敬や敬意のまなざしを殆ど払えない人は、知らないうちに対人関係のあちこちで損をしてしまっている可能性が高い。尊敬や敬意が一挙一動に反映されるのと同じく、侮蔑や見下しもまた、一挙一動に反映されやすいからだ。
 
 

他人を尊敬することによる充足感

 
 それと、誰かを尊敬したり敬意を抱いている時に、それだけで何となく気持ちが強くなるというか、充たされたような感覚が得られることも、メリットの一つとして捨て難い。誰かを尊敬したり敬意を感じたりしている時の気分や、自分が敬意を感じている人物とコミュニケーションできている時のあの感覚。実はあれ、かなり充足感をもたらすんじゃないだろうか。
 
 ネット上で心の充足感について語る際には、いわゆる“承認欲求”*1が連想されることが多い。つまり、“自分が尊敬を集める側・自分が注目を集める側となることによって、心の充足感が得られる”というやつだ。
 
 けれども、心の充足感について語る際、“承認欲求”だけでは片手落ちなのではないか?本心から誰かを尊敬している時や、いっぱしの相手とコミュニケーションできている時にも、存外、心の充足感というのは得られるものじゃないだろうか。控えめに言っても、そういう時には“承認欲求”が充たされていなくても耐えやすくなるんじゃないだろうか――例えば、尊敬できる指導教官のもとで修行中のレジデントは、“承認欲求”があまり得られない境遇かもしれないが、それでも指導教官をじゅうぶん尊敬しているうちは心の充足感を維持しながら修行に励むことができるように。
 
 誰かを尊敬したり敬意を感じたりすることが、どこまで“承認欲求”を代替するのかは定かではない。しかし、少なくとも心の充足感にプラスの貢献をしてくれているのは間違いなく、尊敬や敬意を他人に抱ける度合いによって、“承認欲求”を必死に充たさなければならない度合いが変化している可能性が高い。
 
 
 
 
 ここまでをまとめると、

 ・誰かを尊敬する力しだいで、他人を介した学習効率が大きく左右される
 ・誰かを尊敬する力しだいで、コミュニケーションの帰趨が大きく左右される
 ・誰かを尊敬する力しだいで、心の充足感が大きく左右される
 
 となる。
 
 
 いずれにせよ、「誰かを尊敬する力」如何によって、心の充足感はもとより、人生行路全般が大きく左右されるのは間違いない。「誰かを尊敬する力」に恵まれている人ほど、師や友人にも恵まれやすく、円滑な対人関係にも恵まれやすく、“承認欲求”を必死にかき集めなくても心の充足感を維持しやすかろう。一方、自分以外を見下すことしか知らず、架空のキャラクターや本のなかの偉人ぐらいしか尊敬できないような境遇の人は、こうした恩恵には与りづらく、すべて、一人でどうにかしなければならない。
 
 日頃、勉強やコミュニケーションが捗ってないと感じる人は、自分自身の「誰かを尊敬する力」「他人に敬意を抱く力」を振り返ってみると、思わぬ発見があるかもしれない。もし、周囲の誰にも尊敬や敬意を抱けなくなっていたら、たぶんヤバい。
 

*1:特にA.マズローが定義したところの承認欲求