シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「これからモテたい」人にファッションが寄与する可能性について

 
 
 

脱オタクファッションガイド

脱オタクファッションガイド

  
 がんばって脱オタクファッションをやったのに、モテない。だけどモテたい、モテたい、モテたい…。
 
 この手の執着は、脱オタクファッションを頑張る人には数多く見受けられるが、『脱オタクファッションガイド』を熟読し、その内容を十分に実践したからといって、“見た目でモテモテ”になれるとは限らない。「俺はフツメンになりたかったんじゃなくてモテモテになりたいんだ」という要求水準の高い人達には、脱オタクファッションに加えてプラスαが必要になってくる。
 
 しかし、このプラスαを、服飾や髪型だけで達成することは不可能だ。モテるのさらに手前、“好感を持って貰いやすい”状態すら、美容院に行きまくって新宿伊勢丹に通いまくれば必ず何とかなるわけではない。いや、ファッションオタクと化して、自分の服装に自惚れて劣等感を隠蔽したいだけならそれでも十分だが、他人から好感を持たれるうえで“ファッションの過度な高度化”は必ずしも有利とは限らない。ファッションが高度になったのに見合った物腰や身のこなしが身に付いてなければ、かえって違和感を与えるもとになることもある。そうでなくても、限られた予算と時間の多くを、ファッションという単一の分野だけに投資するのはアンバランスだ。他にも、やるべきこと・試してみるべきことは色々あるんじゃないのか?
 
 ファッションに頼ってモテたい人というのは、殆どの場合、コミュニケーションのノウハウをあまり身につけていない。対して、見た目が多少おざなりでも、周囲への配慮が行き届き、場に即した機知を働かせ、リーダーシップを発揮できるような男性というのは、好感を集めやすいものだし、女性諸氏はそういう所まできっちりとみていたりする*1。結局、コミュニケーションの様々なノウハウを身につけていかないことには、どれだけ服飾や髪型に金をかけたところで好意を抱いて貰えないし、ましてやモテるなんて夢のまた夢としか言いようがない。そこら辺が出来ていないのに、やたらと伊達者を気取ったところで、“ファッションの威を借りる狐”とみなされるのが関の山だ。
 
 

コミュニケーションのノウハウづくりに占めるファッションの位置

 
 結局、コミュニケーションに有利な諸スキル/スペックを、トライアンドエラーを通して積んでいくしかないし、そのための近道なんて存在しないのだ。泥を啜ってでもモテたいと思うのなら、宴席で隣の女性がコップをひっくり返した時にすぐリアクション出来るような意識や、相手に読み取ってもらうことを前提にした表情づくり、声のトーンやボディランゲージetc…といったものに、もっともっとリソースを割くべきなのだ。そして、自分自身が苦手意識やコンプレックスを持っていようとも、反復的な実践と、実践を通しての経験蓄積を躊躇ってはならない。コミュニケーションのノウハウ獲得にエネルギーを差し向けないで、ファッションに耽溺しているだけでモテると思うほうがどうかしている
 
 とはいえ、モテ修練にあたってファッションが無意味かというと、そうでも無いと思う。最低限の身だしなみを越えた水準のファッションも、もしかするとモテに寄与することがあるかもしれない。
 
 
 1.脆い自意識を守り、勇気を分けてくれるアイテムとして
 
 コミュニケーションを実地で試行錯誤するにあたって、自分が良いと思う服を身につけておけば、変にオドオドしなくて済むかもしれない。自分が良いと思う服は、オドオドしがちな心境の時に、ちょっとだけ勇気を分けてくれる。“要は、勇気が無いんでしょ”という心境は、足を竦ませて、コミュニケーションの修練を大いに妨げるので、この効果は意外と馬鹿に出来ない。いわゆる“服屋に行く服”というやつもこれだ。自分が良いと思う服を着ていけば、敷居の高い場面に臨みやすくなる。
 
 ただし、高価な服で自意識を守ることに依存し過ぎると、コミュニケーションのノウハウを蓄積させるよりも服で自意識を守るほうばかり達者になってしまう恐れがある(ファッションオタの多くは、これに該当する)。また、特定の服やブランドに心理的に入れ込み過ぎると、今度はその服やブランドがアキレス腱になってしまうことがある。つまり、その服やブランドが批判されたり非難された時に、冷静さを失って顔を真っ赤にせずにいられない、という弱点を新たに抱えることになりかねない。こうした依存や弱点を周知したうえで、ほんの少しだけ勇気を分けてもらう分には、良い働きをしてくれる。
 
 
 2.なりたい自分の目標点として・背伸びの目標として
 
 自分の身の丈よりもちょっと高いと思うようなファッション/ブランドを購入するのも、時には良いかもしれない。「俺はまだこんな有様だけど、いつか、この服が似合うような自分になりたい」という気持ちを抱き、自分の現状とファッション/ブランドとのギャップを埋めるべく粉骨砕身するというのは、けっこうな励みになる。「俺様は、これぐらいのブランドで偏差値60かな?」とふんぞり返りながら服を買うのではなく「この服に俺は追いつきたい!」と思って一張羅を買うほうが、“ブランドにあぐらをかく”ような事態を招きにくい。自分がこれから向かっていくライフスタイルと矛盾しない服に憧れておけば、地に足の着かないブランドに手を出してしまうリスクも下げやすい。
 
 ファッションを背伸びの目標として使うなら、まず、背伸びの目標に相応しいブランドなりファッションなりを探し出す必要がある*2。なりたい自分・目指したい自分を象徴するようなブランドやファッションが見つかったならしめたものだ。今はまだ遠くても、そのブランドやファッションがぴったりと似合う自分自身を目指して、あれやこれやと挑戦すればいいと思う。個人的には、二十代のうちは、少し大きめの身の丈を目指すぐらいでも構わないと思う。
 
 なお、背伸びの目標は、遠すぎず近すぎないものが良いだろう。自分の身の丈をあまりにも無視して、高すぎる目標のブランドやファッションをいきなり選ぶのはお勧めしない。
 
 
 3.ライフスタイルに調和したファッション
 
 ある程度ライフスタイルの方向性が確立したうえで、そのライフスタイルと矛盾の少ないファッションを提示できれば、そこでようやくファッションは加点として生きてくるのではないか。ファッションだけが浮いた形で突出しても、“違和感という名の減点”を免れないが、ライフスタイルや志向と自分が選ぶファッションの方向性が相矛盾しないものであれば、この“違和感という名の減点”を最小化しやすい。しかし、ここまで到達した頃には、既にモテているか、モテるモテないで悩む境地を抜けているような気がするので、これからモテたい人は、この項目をあてにしないほうが良いような気がする。
 
 ちなみに、違和感という名の減点は、ライフスタイルとの矛盾だけではなく、コミュニケーションの諸技能が拙劣すぎても発生しやすい。「あいつ、あんな高そうな服着て、キョドりまくってやがるぜ」という事態は、良くない印象を与えやすいのをお忘れなく。
 
 
 

ファッションを、ちょっとだけ味方につけよう

 
 ここまで挙げたように、ファッションはあなたの自意識をちょっとだけ後押ししてくれるかもしれないし、背伸びを助けてくれるかもしれない。また、完成型まで到達すれば、ライフスタイルを好ましい形で自己主張できるかもしれない。こうした可能性を考えるにつけても、劣等感をひたすら糊塗する為だけにファッションに依存するというのは、なんとも勿体ないことだ。それよりも、自分自身をwash upする為の触媒として・自分自身のコミュニケーションをトライアンドエラーする為のお守りとして生かしていきたいところだ。
 
 
 [関連:]脱モテない系!その1~脱オタでモテるのか? - Alcesteのお洒落徒然草
 
  

*1:中学生ぐらいの幼い女の子は、まだそういう所をみていないで、見た目だけに惹かれる傾向が強い…と思いきや、それぐらいの年頃の女の子でも、彼女達なりにそういう所をガッチリと見ていたりするから恐ろしい。

*2:そもそも、背伸びの目標も無いのにファッションをこれからはじめるというのも実は奇妙な話で、もし、自分がどういう背伸びをしたいのかが全くみえてこないとしたら、何か重大な問題がある筈だ。服に金をかける前に、立ち止まって考えたほうが良いかもしれない