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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

12/1北極ネトラジ試験放送の要約

オタク趣味 おしらせ

 
 以下に、先日12/1に【北極ネトラジ試験放送】脱オタと自己承認問題 のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容のメインの筋と、質疑応答の簡単な要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。
 


 【前半:なぜ僕らは脱オタせずにはいられないのか】
 
 ・21世紀を迎えて、ニコニコ動画やAmazonをはじめ、オタク趣味を楽しむためのツールは十分に整備された。オタク趣味に限らず、サブカルだろうが何だろうが幾らでもある。そしてそういう所で案外楽しくやってる人というのもいる。
 
 ・しかし、それでも脱オタをする人がいたり、長々と不遇の身を文章にして表明したり愚痴ったりする人もいる。痛いニュースやニコニコ動画をみていて感じるのは、「オタクコンテンツを楽しみつつも、屈折した自意識を拭うことの出来ない人が少なくない」ということ。げんしけんでいえば、高坂的ではなく斑目的またはささやん的な。
 オタの日常は十分楽しいものになった。誰でも楽しいものになった。だのに、どうしてあれほど自意識はsensitiveなまんまなのかな。卑屈な姿勢と、自分が認められる狭い範囲での吹き上がりはなんでなのかな、と思うわけなのです。皆さんも、そういう自覚ありませんか?
 
 ・実際に個人が侮蔑されるのは(または個人が小馬鹿にされたと感じるのは)、オタク趣味そのもののせいじゃない。オタク趣味を消費している「から」差別されるんじゃない。例えばオタク趣味を一切知らせておらず、オタグッズもオタ話題も一切持ち込んでない状態であなたが低く扱われるとしたら、それはオタク差別では有り得ないだろう(非コミュ差別、とはいえるかも)。また、初めて旅行に行った街の駅であなたがもし劣等感を感じたとしても、あなたがオタクだと知ったうえで皆が優越感ゲームをわざわざ仕掛けてるってわけでもない。
 
 よって、
 1.あなたの外見なり振る舞いなり言動なりが侮蔑される源であるか
 2.あなた自身の自意識が侮蔑を拾い取りやすい傾向を持っているか、ということに。
 
 ・この1.に関しては、外見面においてディスアドバンテージを削ったほうが良いだろうということで脱オタクファッションガイドを手に取る人も出てくる。しかし、非モテオフ会とか出ても、そんなに見てくれがどうこうという人って実際には少ない。まして不潔な人とか、古典的なオタクファッションの人とか、いない。ただ、結構いい格好してて端正な顔立ちの人でも、劣等感は人一倍だったり、自分のやってることに自信や誇りを全然持ってない人もいたりする。
 
 ・結局のところ、「虐げられた気分」「劣っているという感覚」そしてそれらの帰結としての「コミュニケーションや行動への能動性のなさ、と、その受動性への苛立ち」みたいなものがあってこそ、脱オタ(コミュニケーションの実行機能の育成の試み)がなされる。これが無い人は、脱オタしようとそもそも思わないし、する必要無い。自意識を疼かせずにオタやれる人には、そういうインセンティブは無い。脱オタしようぜとも思わず、かと言って極端に脱オタ反対するでもなく屈託無く遊んでいる。
 

 ・「虐げられた気分」なり、「劣っているという感覚」なりを軽減するのが脱オタの最終的なゴールではないか。非常に難しいゴール設定だけど、等身大の自分が、そのままでいても虐げられた気分にならない、劣っているという感覚を抱きにくい状況をどうにかできなければ、脱オタのし甲斐が無いのではないか。*1。例えば、自宅で一人でいる時さえブランドものの服を着てなきゃいけないという服オタになっても、それじゃあ頑張った甲斐が無い。
 
 ・ここの所を勘違いして、オシャレさえすればいいとか、女の子とエッチができればゴールとか思っちゃうのも別にいいけど、それで自分の劣等感とか自己承認への渇望とかって消えるのか?まぁ勿論、或る程度コミュニケーション上の成果が無ければ「俺はキモオタをやめるぞジョジョー」とはいえないとは思うけれども、いつもオシャレじゃなきゃ自分が受け入れられない気分を抱えたまんまとか、女の子に奴隷のようにかしずく日々といった状況をもって脱オタのゴールとするのは違うと思う。逆に、このメンタリティの軽減が成し遂げられるなら、脱オタ以外の方法でもアリなんじゃないかと思う(あればだが)。ファッションやら何やらで常に優越感ゲームを発動していなければメンタリティが保てないというのであれば、脱オタ前と大して変らないのではないか?
 
 
 【前半質疑応答】

 
 Q:準備時間ほしいよ ><
 A:今回の放送は告示から放送までが一日しかなく、しかも土壇場でトラブるなど手際が悪かったです。次回以降気をつけます。
 
 Q:善良な市民氏の言う「動物化したオタク」が再び承認願望や劣等感を取り戻すのは可能かどうか、また可能ならその方法はどういうものなのか。
 A:そもそもここでいう「動物化したオタク」が承認願望や劣等感に飢えているのか、がまず問われなければならないと思います。実際には、コンテンツ消費だけで満足している人もいるのではないか?仮に飢えているのであれば、(年齢などによって期待値は違うにせよ)脱オタのような方法で、それをどうにかする機会は手に出来るのではないかと考えるのが、私の見解です。
 
 Q:自意識と劣等感の問題のあるオタクと、そうでないオタクの内ゲバ的物言いにもみえます。
 A:確かにそういわれるとそうかもしれませんが、そのような視点は自意識と劣等感の問題とは縁遠いオタクの人にはどうでも良いことのように思えるような気がするので、仮に内ゲバ・切り分け的だとしても、それは「こちら側」だけで問題とされるのではないかと思います。
 



 
 【後半:脱オタする人が陥りやすい罠】
 
 脱オタの根本的な目標が、「自分を出したら馬鹿にされる」「自分じゃ上手くいかないといったチキンハートをどうにかすること」、そして「行動やコミュニケーションの選択可能性を大きく拡張すること」であるという前提にたった上で、脱オタにおいてはまりやすい袋小路について考えてみるのが後半パート。
  
 ・「俺は脱オタして彼女できました!」「お洒落になりました!」というコメントを聞くことがあるけれど、そういったプロセスを経てもなお劣等感とコンプレックスにさいなまれていたり、過剰なお洒落に突っ走ってしまったりしていることがある。オタク井戸から2chのファッション板にお引っ越し→だけど井戸の外では相変わらず劣等感でコミュニケーションの幅が広がらないという袋小路。ファッション以外にも、サークルクラッシャー女性に傅く日々とか、サブカルの狭い井戸のなかで優越感ゲームにはまりこむとか、色々。

 ・井戸の内側優越感、井戸の外側劣等感の構図を変更しないような、またはもっとひどくしちゃうような脱オタというのは、前述の目標を満たすのに寄与しているのか?それってサブカル優越感ゲーム・オタクガジェット自慢優越感ゲームとどう違うのか?住んでいる井戸がオタク趣味の井戸から、新宿伊勢丹という井戸に変わっただけ。それで女の子に積極的に話しかけるでもなく、職場で明るく振る舞うでもなく、自意識の内側で・自分の得意なセグメントの内側でだけ優越感に浸るという。
 
 ・普段劣等感にさいなまれていて、特定の狭い狭い井戸のなかでだけふんぞり返ることが出来る人ほど、ふんぞりかえりがひどくなりやすい。よく訓練されたオタならともかく、不十分な訓練のオタのなかには、女の子の前でも薀蓄披露の優越感ゲームをやっちゃって(ほめてもらいたくて!)ドン引きされる人もあるかもしれない。で、これはオタク趣味だけでなく、お洒落なサブカルとかコスメティックとかでも同じ。これじゃあ袋小路。メンタリティは劣等感たっぷり、自意識はケンケラケンにとがったまま、コミュニケーションの相手は全然広がらない。
 
・脱オタの為に新しいアイテムに手を伸ばすのはコミュニケーション拡張の面からみても、新しい楽しみを得るという視点からみても、望ましいことには違いない。だけど、そこで薀蓄に溺れて優越感ゲームの新しい道具としてだけ用いるのであれば、到底コミュニケーションは広がらないし、「井戸の内では優越感、井戸の外では劣等感」という図式は持ち越されることになる。そんなことで、本当にコミュニケーションの機能拡張と自意識の問題軽減は達成できるのか?むしろ、より一層厳しくさえなってしまうのではないか?コミュニケーションの機能拡張で始まった色々な試みが、新しいジャンルの内側で同じ優越感ゲームに明け暮れるだけという袋小路に、脱オタ施行者は気をつけたほうが良いのではないだろうか
 
 【後半パート質疑応答】
 
 ブクマコメント:脱オタして嫁を見つけて結婚しないと、まず昇進出来ないんだよ!
 A:うーん、嫁をみつけて結婚することと、昇進することは別個の命題のような気がします。
 
 ブクマコメント:趣味とプレゼンスと内面は全部別の問題。内面からプレゼンスは変えられるけど、プレゼンスから内面は変えられないんですよね。そこは女子大生のファッション・フォロワー達=スイーツ(笑)も同じ
 A:プレゼンス、という単語の意味を取り違えていたらすいませんが、プレゼンスそのものが内面を変えることは無いかもしれませんが、プレゼンスの過程と、プレゼンスの結果が内面を変えることはあるかもしれません。そこの所には、注目しておく価値があると思っています。
 
 Q:善良な市民さんは「コンテンツの内側で優越感ゲーム」に該当するのではないか?
 A:かもしれません。しかし善良な市民さんは自身の日常生活に関する情報をあまり書いていないので、本当のところは分かりません。仮にそうだとしても、その優越感ゲームがコミュニケーションの実行能力を欠いているが故に要請されるものなのかも、分かりません。個人的にはある程度の実行機能があるのではないか(なければああは振舞えない)、と思ったりもしますが。
 
 Q:80年代の頃にクリエイター気取りに退避する事で適応と自意識問題から一時的に退避できたが、しかし40歳を目前にしてリバウンドが来た人の復帰の困難さと可能性についてコメントを。
 A:大変だと思います。歳をとるほど路線変更というのは難しいものですし、長年にわたって「井戸の内では優越感、井戸の外では劣等感」を続けている人なら、優越感ゲームが出来ないフィールドにおける自意識の抑圧もひとしおに違いない筈で、今更恥をかけと言われても若い人よりずっと抵抗が強いのではないかと思います。
 
 Q:「目の前にいる人たちと仲良くやっていこう」と開き直ったわけですがこんな感じでいいんですかね?
 A:いいんじゃないでしょうか*2。間近にいる人達のなかには、趣味が同じ人もいればそうでない人もいるでしょう。価値観だって十人十色だと思います。優越感ゲームの内側でしか会うことの出来ない人と会うというのではなく、そうでない人と会っていくというのは、今日お話したような内容を深刻化させないうえでも重要だと思います。また身近な人であれば、全く疎遠な人と比べれば優越感ゲームの井戸の外で会うこともやりやすいかもしれません。
 
 ブクマコメントより:長すぎる。1/3ぐらいの長さにしてはどうか?
 A:今回の内容は、確かに冗長になってしまったと思います。もう少し時間を短くして内容を凝集できないか、次回試みてみようと思いました。
 



 
 【本放送を聴いた人の感想や反応など】
 
 http://d.hatena.ne.jp/i04/20071202/p1
 http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20071203/1196657485
 http://d.hatena.ne.jp/TsumuRi/20071202/p1
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 ラジオのまとめではない。 - 原野商法1997
 れいま@はてなダイアリー
 

 
 沢山の方のご静聴とご意見に、改めて感謝いたします。
  

*1:等身大の自分、という表現は微妙なニュアンス孕んでいて使いたくないけど使いました。注意!

*2:以下ちょっと失念したので今もう一度答え直し