シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

インターネットを楽しむ人達って、そんなにお利口なんですか?

 
 インターネットを楽しむ人達は総じて、お昼のワイドショー番組などを馬鹿にする傾向が強い。曰く、「俗悪なゴシップ記事」であり「思考停止」であり「メディアに洗脳されるがまま」である、と。そしてインターネットを楽しむ人達は、ワイドショー視聴者たる主婦層にも嫌悪と侮蔑の念を向ける。曰く、「俗物趣味」「脊髄だけで動く人」である、と。ワイドショー番組を通して芸能人の醜聞に現を抜かし、ゴミを溜める近所の困り者をテレビの前で罵倒し、健康食材の煽動に右往左往する視聴者というのは、なるほど美しい光景とは言い難い。
 
 だが、インターネットを楽しむ人達、例えばブロガーであったり2ちゃんねらーであったりする人達というのは、ワイドショー視聴者達を笑えるほど本当にお上品でお利口なのだろうか。この疑問について検討してみると、なんのことはない、大して違わない人種であることがすぐに分かるしみえてくる。つまり、目くそが鼻くそを笑っているという図式であり、マスメディアの一次消費者たるワイドショー視聴者もブログ視聴者もまず第一に動員されるマスであるという事実だ。*1彼らの「優越感ゲーム」には、何ほどの根拠があるというのだろうか。
 
 例えば、はてなダイアリー/はてなブックマークという狭い世界に目を向けてみると、どうだろうか。注目を集めるトピックスもトピックスに食いつく人々も、ワイドショーとどれほどの差があるだろうか。彼らは芸能人の醜聞を好まないかもしれないが、ブロガーやウェブサイトの炎上はというと、興味津々の様子である。近所の困り者報道を愉しむことはないかもしれないが、ネット上の痛い人にはカラスのように群がって啄ばむ。あんなに健康食品の番組は馬鹿にするくせに、「○○に役立つTIPS」やら「職場で巧くやっていく為の○つの方法」とかにはコロリとやられてしまう。自分の嫌いな新聞記事などには疑いの眼を向けるくせに、自分好みの2chの書き込みには全然免疫が無い。閲覧している媒体こそ異なれど、コンテンツに対峙する姿勢にどれほどの違いがあるというのだろうか。いや、あまり違わない。
 
 結局のところ、「視聴者の過半数」に関する限りにおいては、ワイドショーを愉しむ人もブログを眺める人も、コンテンツに対峙する姿勢なり、仕掛け手に対する免疫なり、判断が願望に歪曲される度合いなり、そういう次元では大同小異でしかない。そして、メディアでもそうだしブロゴスフィアでもそうなのだが、そんな事はとっくにお見通しの何割かの仕掛け手連中が、マジョリティを煽ったり、敢えて反抗して噛み付いてみたり、色々と画策して空気をかき回す。またかき回すことが出来てしまっている。
 
 仕掛け手側の視点からみれば、確かにインターネットは仕掛け手に新しい可能性を提供しただろうし、そこにはロングテールなチャンスなり、小さな仕掛け手がマイクロメディアとして幾ばくかの機能を果たす余地なりが生みだしたとみることが出来る。それはもちろん有意義な“進歩”だと思う。その一方で、インターネットメディアの「視聴者の過半数」の視聴者としての力量を考えた時、果たして私達は、煎餅をかじりながらワイドショーを楽しむ人達を笑えるだけの根拠なり、差異の証拠なりを提出可能なのか、私にはよく分からない。少なくとも、インターネットメディアなるものが、コンテンツの消費者達を“考える消費者”へと教え導いたという兆候は見出し難い*2
 
 メディアが変遷しても、人は、消費者は、それほど変わらないのだろう。スキャンダルを楽しみ、炎上を楽しみ、井戸端会議に花を咲かせ、「わかりやすいtips」には飛びつくという構図は、21世紀も続く。勿論、この現象を善悪という尺度で云々しても意味は無い。それもまた人の営みの一部と理解したうえで、そのなかで自分自身がどう振舞っていくのかを唯考えるだけだ。自分自身もまた、動員されるマスの一人であるという前提のうえで。
 

*1:勿論、私はそれが悪いことだとは思っていない。せいぜい単なる事実の指摘でしかないものに、善悪という属性を付与する意図を私は有していない。

*2:勿論、インターネットメディアの消費者にも、考える消費者は、いる。しかし彼らは少数派のようだし、仮にインターネットメディアが無くても彼らはやはり考える消費者ではなかったのかな?