シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

自己実現の為にアクセス厨になった人は、無間地獄でのたうち回る

 
[参考]:ブログアクセスアップ十訓 - 萌え理論ブログ
[関連?]:2006-08-05 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
 

 個人サイトをやっていくうえで、アクセス数の増大というのは気持ちよいものだ。沢山の人が自分に注目してくれるという錯覚や、何かひとかどの人物にでもなったような気分を味わうことが出来る。また、自分と自分のサイトが成長したような気分を堪能している人も少なくない筈だ。個人サイトだの個人ブログだのの大半は、アフェリエイトや売名などの実益を目標としてアクセス数を集めるというより、むしろ自己実現やアイデンティティなどの精神的な満足感を目標としてサイトを運営されている。だからこそアクセスアップの方法論は数限りなく消費されるし、思春期男女*1はサイトやブログに今後も執着し続ける。
 
 しかし、実益ではなく自己実現やアイデンティティ確保の手段としてアクセス数に拘るのは、喉の渇きを癒すために海水を飲み続けるような、不健康で苦しい営みのように思えてならない。悪いことは言わないから、アクセス数以外の何かを求めるなり、アクセス数に実益が連動するようなカラクリを組み込むなり、とにかく自己実現とアイデンティティの追求だけに固執するのはやめなさいな、と言ってみたい。
 

【執着に果てが無い限り、幾ら稼いでも果ては無い】
 アクセス数を稼いでも稼いでも、あなたはきっとまだ稼ぎ足りない。あなたがそこそこアクセス数を稼ぎ、そこにアイデンティティを仮託しているとしたら、アクセス数が落ちてくると胸が苦しくなってくるかもしれない。「俺ってイケてないんだろうか」とか「僕ってたいしたこと無いんだろうか」とかいった風に。ウェブサイトやブログ以外に自己実現の手段が乏しい人の場合は、とりわけそうだろう。プランテーション作物が暴落した時のモノカルチャー経済国家の如く、その人の自意識はのたうちまわるのではないだろうか。自分のアイデンティティのアクセス数への依存度が高ければ高いほど、その人のアクセス数への執着は強い筈で、渇きもまた強烈なものに違いない
 
 じゃあ一日何百アクセスも稼ぐような大きなウェブサイトになってしまえば大丈夫かというと、そういうわけにはいかない*2。欲望は、常に増大しやすい(ヒトラーも、確かそういう格言を残していたと思う)。節制のある人物で無い限り、幾ら稼いだところで満ち足りて安らう事は無いし、そもそも節制のある人はアクセス数には最初からあまり執着すまい。アクセス数に躍起になる人というのはやはりそれなりに欲深い人だろうし、欲深な人だからこそアクセス数を稼げるようなサイトを立ち上げる原動力を獲得するわけで、おそらくアクセス数に拘る己の心性からは抜け出しにくい。とにかく「もっと、もっと」である。かつて300PV/dayに狂喜していた人も、それが毎日のことになってしまえばマンネリズムは避けられない。とりわけアクセス数の上昇下降が自分の自己実現、ひいては気分にまで直結する人達の場合、マンネリズムは慢性的な飢餓感に繋がるっぽいので、急き立てられるように書くことになるんじゃないかと思う。多分、「数字を稼がなきゃ、稼がなきゃ」という強迫的な思いに支配されるまま、彼がパソコンの前でうんうん唸る姿を想像してしまう。ついに力尽きて失意のうちに更新を停止させるその日まで、ジタバタするのだろう。
 

【特定の話題に特化している場合はもっとヤバい】
 また、自サイトがたたき出すアクセス数が特定の話題に依存している場合、特定の話題への依存度が高ければ高いほど息苦しくなってくる可能性が高く、危険である。もし、あなたがアイデンティティや自己実現を仮託するところのアクセス数が、特定のアニメ一本に掛かっているとしたら?これは恐ろしいことだ。最盛期には猛烈なアクセス数を叩き出すかもしれないにせよ、ブームが去ればもうおしまいで、燻っているあなたを残して人々は去っていってしまうだろう。
 
 そこまで極端でなくても、特定の話題やスタイルへの固執は*3疲れや苛立ちやマンネリズムを惹起しやすく、苦痛にすらなりかねない。確かに、特定の話題やスタイル・ネタに特化するというのは特定層の読者を獲得するうえで有効な手段に違いない。だが、それを一年も二年も続けられるタフガイはそういない、という事はしばしば見落とされがちだ。好き勝手なことを書けるサイトと、特定のスタイルに則ったことしか書けないサイト、果たしてどちらが継続しやすいだろうか?どちらのほうが気楽に書けるだろうか?いったん特定スタイルで大きな獲得した数字を確保し、アクセス数を手放せないほど執着しちゃった人は、もう、そのスタイルを続けざるを得ない。好き勝手な事を書いているサイトを横目に、アクセス数という自分の拠って立つモノを維持する為に、数字の奴隷をいつまでもいつまでも続けなければならないのだ、疲弊し尽くしインスピレーションを吐き尽くす終の日まで。
 

【アクセス数による自己実現やめますか?それとも、サイト、やめますか?】
 このように、アクセス数を自己実現やアイデンティティ仮託対象にしている人は、幾らアクセス数を稼いでも喉の渇きを癒せない可能性が高い、と私は考える。また、特定のサイトスタイルへの特化はアクセス数の増大には貢献すると考えられる一方、執着を和らげることはなく、むしろ特定のスタイルへの拘りによって書くことの苦痛を増大させやすく疲弊し尽くしやすいリスクを負うのでお勧めできない。
 
 私の結論は、 アクセス数の増大なんてものに自分自身のアイデンティティを賭けまくると無限地獄に落ちますよ これだけである。アクセス数を稼ぐことそのものは決して悪いことでは無いし、実益を兼ねる人の場合は実益に直接影響するので好ましいことに違いない。だけれど、アクセス数なるモノに己の魂を賭け、身をよじらせながらキーボードを叩いていては身が保ちませんよ、魂が保ちませんよ、とは言ってみたい。アクセス数を通して出来る事、ひいてはウェブサイトを個人が運営して得られる事は他にも色々とある筈。
 

【追記】
 なお、アクセス数は、(良くも悪くも)ネット上における自己実現の基軸通貨となり得る数少ないファクターの一つであり、貨幣への欲求が捨てがたいのと同じく、ゼロにする事は極めて困難だろう(もちろん私もアクセス数への執着から逃れることが出来ずにいる)。とはいえ、金の奴隷が浮かばれないのと同様、アクセス数に隷属し依存しつくす事もまた、果ての無い執着と果ての無い苦悩をもたらすのは間違いなく、何らかの対策を講じておいたほうが精神衛生上好ましいとは言えそうだ。暇があったら、アクセス無間地獄対策についてテキストを書いてみたいところだが、今日はくたびれたのでいつかどこかで。
 

 

*1:おそらく、とりわけ思春期男性

*2:特に、更新頻度によってアクセス数が下がりやすいブログ系の場合は顕著だろう

*3:その固執対象以外にあなたが何も要らないという人でない限り