シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

『ハルヒ』が、ここまで優秀な萌えオタコンテンツだったとは

 
 オタク界隈でそれなりに話題になっているライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』一巻を読み終わった。凄い。これは凄いオタクコンテンツだ。萌えオタ達が雪崩をうって購入するのもわかる。オタク達がだらしなくてミーハーというよりも、『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品が、あまりにも魅力的なオタ商品だからこそこぞって消費するんだと私は理解することにした。私はラノベは専門外なのでラノベそのものとしての出来はよくわからない。だが、オタクを魅了する一作品として、過去の俺的オタ履歴やオタ感性に照らし合わせて検証した時、これはもう一流の美少女オタクコンテンツと認定せずにはいられない。ここまでの出来のものにめぐり合ったことを感謝するとともに、以下に、一個人オタクたる私が気づき得た、ハルヒ一巻の魅力について列挙してみる。
 
1.鮮やかなキャラ立ち

 誰もが指摘しているとおり、確かにハルヒのキャラ立ちはハッキリクッキリしている。登場人物それぞれの魅力は特徴が明確で、しかも「外された!」という違和感が少ない。かと言って凡庸なステロタイプに留まらず、どのキャラも、のっぺりした印象に陥ることなく生き生きしている。

「みくるちゃん、あなた他に何かクラブ活動してる?」
「じゃあ、そこ辞めて。我が部の活動の邪魔だから」
 (P63.ハルヒの台詞より抜粋)

 ハルヒは、表面だけなぞれば強気ツンデレキャラということになるが、それを提示する際の台詞回しはとても丁寧につくってある。他のキャラクターとの掛け合いにおいても、「ハルヒらしさってこんな感じ」という輪郭が鮮明。強気ツンデレキャラという古典的なキャラにもかかわらず、凡キャラとして埋没するところなく、いやその古典的ツンデレキャラにプラスαの何かを感じさせるハルヒ。これは、ツンデレ萌えなオタクにはたまらないところだろう。
 

「いやあああぁぁぁ!」
「見ないでぇ!」
「ああっ!だめえ!せめて・・・じ、自分で外すから・・・ひぇっ!」
(P87.みくるの台詞より抜粋)

 みくるもみくるでキている。ロリでメイドで巨乳というステロタイプなキャラクター像を飽きさせない、秀逸すぎる台詞。こういう属性のキャラクターにどんな台詞を吐かせたらオタクどもが「ぐっとクる」かを知り尽くしているかのようだ。

「わたしがお嫁に行けなくなるようなことになったら、もらってくれますか」とか「もう二度と。・・・(ぐしゅ)こっちに、も、(ぐしゅ)戻ってこないかと、思、」とか、殆ど神懸っている。「オタの異性キャラ萌え」という観点からみてあまりにも強力な剛速球に、私は喜びというよりも怖さすら感じた。
 
 ハルヒにしても他のキャラクター達にしても、キャラクターに附属する「属性」なり「特徴」なりが、個々の台詞や掛け合いをとおして完璧なまでに提示されているところはオタク作品として素晴らしい。オタクとしての作法や趣向を理解しつくしたうえで(あるいはオタク達の嗜好に完璧に応える)キャラが造形されていると思うし、しかもストライクゾーンや「おやくそく」を大きく逸れるような失投が無い。簡単なようで、実はこれって凄いことだと思う。
 

2.言い回しや語彙のレベルあわせ
 
 この作品は、私の知る多くのラノベに比べれば語彙や言い回しが凝っている。かと言って、小難しい文学作品ほど肩肘張って読まなければならないほどでもない。この語彙レベル調整または日本語としての難易度調整は、十代から古参のオタクまでの幅広い層にアプローチするうえで丁度良さそうだ。これ以上難しすぎれば十代のオタクが離れるだろうし、これ以上簡単では年上のオタクには幼稚にみえる、程よい按配のように思える。幅広く人気を博するうえで、こうしたボキャブラリーやレトリックのレベルにおける「難易度調整・衒学度調整」のハードルも『ハルヒ』はクリアしているようだった。
 

3.自己投影対象としてのキャラクター
 
 キャラクターに自分自身を重ねて泣いたり陶酔したり憎悪したりするのも、オタクメディアへの耽溺においては重要な作法なことは皆さんもご存じのことと思う。『涼宮ハルヒの憂鬱』のキャラクター達は、単にキャラが立っているだけでなく、自分の好みに合わせてキャラクターに自己投影するにもなかなか優れている。
 
・「空気読んでよね」という圧力に抑圧され、常に閉塞感を感じているオタクさんには、ハルヒに自己没入して爽快感を得てもらうのがいいかもしれない。退屈な日常・思うに任せない人間関係・世のしがらみを一刀両断する彼女に、カタルシスを感じろ!また、恋愛に不器用な自分自身を(スカート履いた)かわいい女の子にダブらせたい人にも、ツンデレな彼女は自己投影対象として十分魅力的なキャラクターといえる。

・少なくとも第一巻における主人公は、存在感こそあるものの、キャラクターとしての影がうすい。一応「キョン」というあだ名はついているが、誰の名前を代入することも容易である。こうした男性主人公の造形は、エロゲーの主人公の造形に非常に似ている。しかも、ラノベという活字中心のメディアの性質上、彼の視覚的性質を明示する必要が無い*1。「きょん」は、他の超人的登場人物達に比べて特徴もない(だけど恋愛にウブで女の子には優しく正しくありたいと思っている!:重要)男の子で、しかも名前も何もない。よって、平凡なオタクが「エロゲー的ハーレム」として作品を消費するための藁人形としては、優秀なキャラクターだ。

・みくるも、なかなかどうして没入対象として捨てがたい魅力を放っている。二十一世紀、女の子に声をかけられないオタクが自己没入する異性キャラは、戦闘美少女である必然性など無い。か弱く、美しく、清純で、ハルヒのような存在に陵辱されかねない存在すらオタク達は自己陶酔のツールとして利用することが出来る。胸を揉む側としてだけでなく、胸を揉まれる側としても悦びを味わえるほどに洗練された(あるいは堕落した)昨今の美少女萌えオタクにとって、彼女のような存在も、自己投影対象として捨てがたい。
 

4.読者のみえざる願望にアプローチするギミック・世界観
 
 『涼宮ハルヒの憂鬱』を消費するオタクの多くは、かわり映えしない日常を、(非オタクやスクールカースト上位などによって)抑圧されながら生きていると私は推測している。こうした1970年代以降生まれのオタク達(第三世代以降のオタク達)の、ひそやかで阻害されがちな願望を刺激し補償するようなギミック・世界観を『ハルヒ』はたくさん備えているように思えた。
 
 例えば「情報統合思念体」なんて代物。情報が錯綜し、文化ニッチが断絶した現代社会において、情報を統合した思念という概念は誰もが案外あこがれるものではないだろうか?まして肉体による制約を超えているというんだから、ぶきっちょな肉体に嫌気すらさしているオタク達にアピールするところは大きいだろう。また、デジタルで不連続な時間(まさに現代的発想だ!)に辟易する者にとって、それをハルヒが歪めるなどという話なども魅力的なものかもしれない。さらに、「考えたら空間が生まれる・変わる」「非日常の描写」そのものも、娑婆に嫌気がさしている空想がちなオタクには好適かもしれない。ここに挙げられている各ファクターは、勿論他の作品で既に登場している“既知のスパイス”に過ぎないわけだけれど、それらを上手くふりかけて料理しているなぁと思わずにはいられない。
 
 もちろん、女の子と仲良く一緒に遊びたいというオタク達が望みながらも叶えられない願望に対しては堂々と真正面から描写して思いっきり惹きつけている*2
 

5.ベタなんだけどベタベタじゃない。臭みの処理が上手い
 
 「これなんてエロゲー?」っていいたくなるようなキャラクターと情景描写に富んだ作品にもかかわらず、文章中心でそれなりのレトリックを用いているためか、「ベタベタさ」「臭さ」が感じられない。例えばラブひななんかに比べると、メディアそのものから叩き込まれるすえた性欲の臭いが比較的抑えられているところもポイント高いんじゃないかと思う(あとは想像力で勝負だよね?)。
 
 また、3.や4.に挙げたような願望充足に際して、(特に実写テレビドラマなどに比べれば)ファンタジーっぽさやSFっぽさが程良い現実との距離感を保証してくれるのも良い。この作品は実はかなり露骨に3.4.を満たしているっぽいのだが、現実離れしたストーリーのお陰で露骨さ加減が上手く脱臭されているようにみえる。この臭みの少なさは、「文学としてのぬめりやSFとしてのディテール」に拘る例外的読者はともかく、気楽なオタク的娯楽を求めて『ハルヒ』を買い求めるオタク達にとってはありがたいところだろう。男性萌えオタクは、自分自身が露骨に性欲欲求や願望充足を満たすメディアを貪っていることに気付くと凄く気まずい思いをしてしまいがちなデリケートな生物だが、この『ハルヒ』なら問題ない。
 

【とにかく凄かった】
 
 『ハルヒ』には幅広いオタクを惹きつける魅力が複合的かつ丁寧に埋め込まれているっぽい。私が気付いていない魅力も、まだまだ含まれているかもしれない。幅広い年代のオタク達の多岐にわたるニーズを満たし、しかも「キャラに裏切られた!」と思うことも無いというのは、萌えオタ娯楽としては素晴らしい出来だと思う(文学としてどうかはこの際二の次)。これが、マーケティングを意識した周到な作戦なのか、それとも作者さんの「オタクとしての洗練そのもの」なのかは分からないが、とにかく凄い萌えコンテンツだと思う。作者の谷川流さんは萌えオタというものをよく知っていらっしゃるんだと思うし、そうでなければ以下のような台詞はちょっと書けない。
 

「みくるちゃんというもともとロリーで気が弱くて、でもグラマーっていう萌え要素を持つ女の子をさらにメイド服で装飾することにより、萌えパワーは飛躍的に増大するわ。どこから見ても萌え記号のかたまりよね。もう勝ったも同然よね」
(P129.ハルヒの台詞より抜粋)

 
 ロリ・グラマー・メイド→萌え、というところまでなら、昨今の“萌えブーム”で飛び込んできた新参者でも思いつくところかもしれない。だが、そこに「気弱さ」が加わった時にどれほど猛烈な化学変化が起こるのかは、やはり萌え界隈をよく知っている人間でなければピンと来るものではない。間違いなく、これはオタの感性を持った者の仕事だ。
 
 『涼宮ハルヒの憂鬱』、手にとってみて本当に良かった。情念をぶちまけたような作品ではないにしても、「萌えオタの作法と欲求」を具現化したような、優良コンテンツだ。歴史に名を残すかというと微妙なところだが、さしあたりよく売れるだろうし、同人活動もさぞかし盛り上がりそうだ。二巻以降も買って読んでみよう。どんな展開が待っているのかすごく楽しみだ!
 
 
 ※補足:書き忘れていたけど、いとうのいぢさんの絵も滅茶苦茶ハマってると思う。キャラクターの魅力を存分に伝えてる素晴らしい絵の数々!
 ※5/24朝補足:はてなブックマークのコメントをみる限り、読み進めると印象が変わってくるものらしい。これはこれで楽しみだ。どう印象が変わるのか?変わっても面白いのか?先はまだ長い。
 

*1:アニメじゃそうはいかないだろうけれど

*2:そしていつものお約束通り、主人公はスケベだけれど性的に真面目を装わなければならないムッツリで、自分の意志や願望よりも女の子を大事にするんだというパフォーマンスに満ちたキャラクターとして描写されるわけである、オタク達自身がそうありたい・そうであるべきと考えているとおりの姿に