本当のことを書こう書こうとすればするほど、過たず出来るだけ現実を描写しようと努めれば努めるほど、世の無常と己の内からわき出る醜さにうろたえてしまう。世の醜さと無情さに気付くということは、己の内にもそういった醜さや無情さが隠れているに違いない。それが、書けば書くほど吹き出てきて、テキストのみならず自分自身にも反映され増幅される。こんなに山吹は美しいのに、こんなに桃の花は可憐なのに、僕はこんなにも汚らしく、利己的で、計算高いのか。野に咲く花の美しさも、新緑の淡いグリーンも、なにもかもが利己的で適応的な形態として再把握しようとする呪われた思考。そんな事を考えてばかりでは、山奥にようやくやってきた春を楽しめないじゃないか。たまには適応について考えるのをやめて、草の上に寝っ転がって雲や星を眺めなさい!