シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

故に、脱オタやコミュニケーション能力向上ってのは、「政治ゲーム」に勝つための手段構築に他ならない

 
 コミュニケーションが「他人の行動の確率を変化させて 自分または自分と相手に適応的な状況をもたらす プロセス」であり、脱オタだのコミュニケーションスキル/スペック向上がそれを目的としている。よって、原理的には、脱オタに含まれる諸スペック向上は、政治ゲームを優位に進める手段を確保する事、と換言することも可能だろう。脱オタのプロセスにおいて確保が期待されるコミュニケーションスキル/スペックは色々あるけれど、以下のそれぞれがそれぞれに、他人の行動を変化させて自分自身の適応上の状況を向上させることを期待されている。

  • 脱オタクファッション

 キモがられる可能性や、文化的後進性を嘲笑される可能性を回避するための手段として、政治的目的に寄与する。他人から疎まれる確率を下げ、あわよくば他人に評価される確率をあげる、という点で個人の適応を向上させ得る
 

  • 姿勢制御や振る舞いの改善(猫背回避とか)

 コミュニケーションが持つ政治性故に、相手に悪い心象を与えることは(自分のリソースや相手の価値にもよるが)避けるにこしたことは無い。せむし男をやめるという行為は、単に健康に寄与するだけでなく、他人の行動を変化させる一因子としての政治性を孕んでいる。
 

  • 会話技能

 言語・非言語レベルの情報入出力を介して、自分が意図する結果に近い影響を相手に与え、出来るだけ自分の適応を向上させる手段として重要。思い通りに自分の意図を伝えられるか否かや、相手がこちらの望んだ通りの反応をしてくれるか否かも会話技能によって幾分左右される。「空気嫁」と言われない為の必要条件(の一部) - シロクマの屑籠に書いた空気を読む能力なんてものも重要だ。相手の意図やポジションを把握し、考慮するところから政治的働きかけは始まるし、可否も重大な影響を受けるだろうから。
 

  • 自信をつけること、負け犬気分の克服(心理的脱オタ、なんて言う人も)

 自信の獲得や負け犬気分の克服は、侮蔑されがちなオタクの心象風景を変化させるだけでなく、それを眺めやる他者の評価を変化させる可能性が高い→つまりその心的傾向の変化は他者の行動を変化させてしまうという点で、既に政治性を帯びてしまっている。個人的超克の対象であった筈のこの命題は、同時にメタゲームにおける政治的目的に供する手段としても機能している、機能してしまっている。さらに、自信の獲得は次なる政治ゲームへの積極的介入を脱オタ者に許すだろうから、そういう点でも政治ゲームに寄与するといえる。
 
 どのカテゴリーをとってみても、脱オタ関連の技術は「他者への政治的働きかけを有利にするための手段」という側面を持ち合わせているのがわかる。そして脱オタは、他者との政治ゲーム(影響し、影響されるなかで個々が最大の適応を鷲掴みにしようと躍起になる一連の情報戦)を勝ち上がることを目標にしているわけか。あらゆる政治的営み=コミュニケーションが、他人への働きかけを通した適応ゲームとしての性格を帯びている以上、脱オタなりコミュニケーションスキル/スペックの向上なりは、コミュニケーションを通して自分が適応上有利になるための競争への積極的参加を意味する。この視点が明らかにするとおり、脱オタ者は、適応上の強者に近づき弱者を踏み台にするためにあくせくしているわけで、侮蔑されるオタクという立場に居残る者達からみれば「利己的な裏切り者」「仲間を出し抜いて差をつけて甘い汁をすする裏切りオタク」と謗られても仕方ない立場にあるといえる。コミュニケーションスキル/スペックの拡張し、その結果を享受する一連の行為は、メタゲームにおける搾取される側→搾取する側への転身に違いなく、不特定多数を踏み台にする事を前提とした「発展」に他ならないのだから。
 
 尤も、侮蔑されるオタクという立場に居残る者達も、そう発言した瞬間に政治性を孕んでしまうわけだし、彼らもまたモテたい&みんなに認められたい願望を防衛して生きているような「まさに人間」なので、脱オタ者がevilで侮蔑されるオタク達がgoodという選別は、軽率に過ぎると思う。そもそも、この国において(あるいは人間として生を享けておいて)こうした政治ゲームから無縁でいられる状況というのは極めて稀に違いなく、脱オタ者達ばかりを責めて自分はクリーンだ思い込みたがる夢想屋さんには、「適切な目覚まし時計」をプレゼントしてあげたいところだ。コミュニケーションという政治的銃撃戦から無縁でいられる場所は、オタク界隈においても珍しい。