シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

 萌えゲーをはじめとするオタのコンテキストは、エヴァや葉鍵の時代以降もひたすら堆積し続けている。もし私がwhite albumぐらいの時代でプレイを放棄していたら、「ひぐらしのなく頃に」に降り積もったエロゲー・オタク・萌えコンテキストの堆積物を味わう事が出来なかったんだろうなと思う。「そこ、笑うところ!」っていう所で笑うことが出来なかっただろう。いや、文献的に「ここが笑うところだよね」と気付くことは出来たかもしれない。だが、心からゲラゲラ笑えただろうか。同人オタク的に、エヘラエヘラと悦に浸れただろうか。airを、月姫を、ラグナロクを――そうした個々のオタクコンテンツに直に触れて心から楽しんだという事が、今ここで新しい作品を堪能するうえで貴重な財産として機能している。「過去の作品をプレイして心から笑った」という事が、新作を味わう際にプラスαのボーナスを私に与えてくれている。
 
 この、堆積する過去からの文脈遺産を私はあとどれぐらい溜め込み続けられるのだろうか?本当にメジャーな作品しか手に触れる事が出来ない今、新作に見いだされる「過去作品由来の、笑うところ」を何割程度堪能できているのか、自信がなくなりつつある。やがて私も、メタアナライシスは可能でも作品中の堆積物でゲラゲラ笑えない人間になっていくのだろうか?だとしたら、それはあまりにも悲しいことだ。リソースを萌えゲーに費やすのが難しくなっている今、萌えゲーの各作品由来のコンテキスト蓄積が難しくなってきている。私はあとどれぐらいの間、同人ゲーや萌えゲーを実際に手にとって遊べるのだろうか?そしてあとどれぐらいの間、過去作品のコンテキストを新作に見いだしてゲラゲラ笑う能力を維持出来るのだろうか?
 
 ここまでオタクやってきた以上、シューティングの技能と同じく、萌えゲーで笑う能力も失いたくない。オタクコンテンツを十二分に楽しむ素養も、私にとって大切な財産だという事をどうか忘れませんように。だけどあまりにリソースは乏しく、私のなかの萌えゲー部門は今にも滅亡しそうだ。社会人をやりながらオタク趣味を維持するという事は、こんなにも難しいことなのか。それとも、これもオタク界で言うところの「脱オタ」を過去にやった報いなのか。