シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

了解可能性について検討したくなる事例でも、その前に触れておくべきこと

 
はてなブックマーク - 数学屋のメガネ - 人間の主観を客観的に理解できるか
 
 まず、上記のリンク先の秀逸なテキストを楽しむのはokとして。テキストを生起させるトリガーとなった「母親の首を切って自首した少年の事件」について思うところを。例の「母親の首を切って自首し、家には塗装済み右手が植木鉢に植えてあった」件については、上記リンク先のような「間主観的な理解が可能かどうか」を検討する前にやっとかなければならないことがあると私は思っているし、(メディアには出てこないけれども)多分それをやっている人もいるんだろうな、と思う。続報がメディアに報道されないから「やっているんだろうな」という推定の域を出ないけれど。
 
 何が言いたいかというと、例の少年は「主観」がどうとか、「承認」がどうとか、「アイデンティティ」とか言う前段階として、幻覚妄想状態、とりわけ統合失調症圏の症状でなかったかがまず十分に検討されなければならない、と私は思うわけだ。インターネットなどで統合失調症を研究し尽くした少年が自分がそう誤認される手続きとして色々小細工した可能性はあるにせよ、以下のいくつかの条件が整った思春期症例に遭遇した時、精神科医は統合失調症をはじめとする精神病圏の鑑別を真っ先にやらなければならない、と思う。
 
<件の事例において、統合失調症などの精神病状態をまず鑑別すべきものとして気にしたほうが良いポイント>
・思春期前期からの性格変化
・とりわけ引きこもり気味方向への変化
・植木鉢に手
・効率性の悪い、頚部切断による殺人、特に身内の殺人

 ※しかも、サカキバラ事件やバスジャック事件のような、顕示性はそれほど強くない、ときたもんだ。
 
 上記の特徴を持った思春期症例と遭遇したとしたら、やっぱりまずは統合失調症の可能性を除外診断しなければならない、と思う。統合失調症幻覚妄想状態が関与しての殺人、または幻覚妄想状態が主要因としての殺人ということになると、アイデンティティがどうとか社会システムがどうとかいった議論を通して「説明づける」前にやらねばならぬこと、対処しなければならないことがたくさん出てくる筈だ。そして、統合失調症の了解不可能性について思いを馳せておくべきだ。責任能力の検討においても、統合失調症などの精神病圏の鑑別は不可欠だ。
 
 勿論、この事例が思春期の承認要求や社会システムに由来する少年殺人である可能性はまだまだ高い*1わけだし、だとすれば、(例えば)共感なり何なりの手続きを通して対象少年にアプローチすることは有用だろう。また、ある種の社会システムが自己承認を困難にしている帰結として、ある種の問題多き主観を抱えた人間が増加する可能性について腑分けしていくことにも意味があると思う。「一般人には理解不能の興味深い事件」が起こるたびに真っ先に社会システムやアイデンティティを議論する誘惑に駆られるのは私も同じだ。エリクソンやら何やらを持ち出して語ってみたくなる。
 
 しかしその前段階として、統合失調症などの精神病状態についてしっかり吟味するのが精神科医の仕事だし視点だよな、とも思う。措置入院を要するか否かは、自首という形式によって消えてしまった(警察官通報を経なかったから:精神保健福祉法第二十四条参照)のかもしれないけれども、この少年の事例は統合失調症に伴う幻覚妄想状態か否かが十分に検討された後で、「そっち系の」色々な議論を進めるのが適当なのだと思う*2
 
 精神鑑定の必要性はどうなんだろうか?やるとしたら結果はどうなんだろうか?
 
 その後、どのような対処があったのかを私は知らない。実際は、多分何らかの形で精神科的状態に関する鑑定作業は行われているんじゃないかな、と推定する。だけど、マスメディアではそういう「精神病状態の可能性」「シンプルな統合失調症幻覚妄想状態」の可能性を言った人ってぜんぜんいなかったような気がする。「語る側」も「聞く側」も、「社会システム」「本人の主観」といった鮮やかな話題に終始して、(言説的には面白みが無いかもしれないけれども臨床的には重要な)精神病状態の可能性について語られることは無かったと思う。それはまずいんじゃないかなぁ、少なくとも精神科や心理をやる人達にとっては。メディア側に盛り上げたいという要請があったかもしれないにせよ、まず「幻覚妄想状態をはじめとする思春期の精神病状態の可能性」を話題としたうえで、しかる後に「社会システム」「本人の主観」について語って欲しかった。少なくとも、そういうことに気づける立場にある人達には「精神病状態を鑑別したうえで」という但し書きのひとつでも言って欲しかった。
 
 私よりも精神医療に識見のあるメディア上の人達なら、「まず精神病状態を除外」することの重要性をよく知っているはずだ。だのに、あの事例が真っ盛りだった頃、あれほど精神病状態の疑いも考えられる事例にも関わらず「精神病状態の鑑別・除外」について留保することもなく「華やかでソシアルな話題」ばかりを目にしたものだから、ついつい私は一抹の不安を感じてしまった、というわけだ。
 

*1:あるいは、そういったものに由来する割合がまだまだ高い、と書くべきか

*2:尤も、警察署において精神保健福祉法第二十四条の警察官通報が発生する、ということはあってもおかしくないわけで、それが無かったということは、一応警察さんは精神科的に自傷他害の恐れがある、とまでは感じなかった、ということだろう。だけど、そのことが精神病症状の存在を否定するものではないことは言うまでも無い。逮捕にはなっても、医療保護入院が妥当な水準の、病識を欠いた幻覚妄想状態などである可能性は依然として存在する