シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

数十年後にはコンビニ弁当に手が出せなくなるのでは?という危惧

 
 中東で激しくドンパチやっている。毎度のことながらえらい事だ。湾岸戦争の時も大変だったが、あの時とは違う。十数年経った現在、中国やインドなどによる需要逼迫は全く桁違いになっているし、今後ますますひどくなることが約束されている。石油の値段は一体どうなっちゃうんだろうか?何かの間違いでもう一回オイルショックが起こったとしたら(いくら何でもそれは今は無いと思う)、庶民の人達も、自分たちの血液が石油で出来ている事を再確認することだろう、その枯渇によって。再確認するまでもなく、先進国の人間の身体は化石燃料で出来ているのだが。
 
 今日の夕食、コンビニの白身フライ弁当を眺めやってみる。ああ、石油と穀物と海産資源!どれもこれも、等差級数的にしか増加しない、或いは減少すらしかねない品々ばかりがプラスチックの容器にパッケージされている。先進国の情報化がどれほど進もうとも、どれほどのcommerceが等比級数的に生み出されようとも、これらの品々は等差級数的にしか増加しない。これらの貴重かつ希少な品々は、中国などの台頭あるいは人口爆発によって、需要逼迫を約束されている品々であり、強力な日本円によってたまたま現在の日本国にかき集められてはいるものの、本来極めて贅沢な品々に違いない。今後世界中でますます不足し、ますます購買力のある新しい人々によって買い求められるであろう品々だと思い知りながら、私はコンビニ弁当をムサムサ食べている*1。今は数百円で手に入るコンビニの食べ物が、果たして数十年後に同じような手軽さで購入出来るのか、私には全く分からない。なんとなくだが、その頃には日本円の相対的価値は弱くなっていそうだし、今以上に石油や穀物や海産資源は希少になっているような気がする*2。そのうえ産油国を巡る政治的状況が変化していたらどうなるのか?っていうか多分変化するんだろうな、今とは違う何かに。「現在よりも産油諸国と日本との関係が親密且つ友好的」っていうシナリオは、あまり思い描けないなぁ。
 
 私の乏しい想像力によれば、コンビニ弁当は数十年後には(今と比べて)気軽に購入できる存在では無くなっていそうだ。白身フライもご飯も、穀物と海産資源の逼迫によってもっと高価な品物になっているっぽい(そしてこれらの捕獲や生産にも化石燃料が必要なのだ!)。まして、流通コストだの電気代だので石油を喰いまくるコンビニ業界、ただでさえ高い品物にあれやこれやの油代が加算されるわけだから、目ん玉飛び出るほど高くなるんじゃないかと予測する。そもそもコンビニやスーパーマーケットという流通形態がどうなるのかすら、想像がつかない。ただ間違いなく言えるのは、「今より食べ物が手軽じゃない世界」が待っているということだけだ。昨今のガソリン値上げは、この不可避の将来像に再注目する手軽な材料には違いない。レバノンとイスラエルを巡る政治不安が一段落したとて、需要逼迫による将来的問題は絶対になくならない、確実性の高い懸念材料だ。人々が水と食料と石油を今まで以上に奪い合うであろう未来予想図から、私は目を逸らせる事が出来ない。
 
 石油も、水も、穀物も、海産資源も希少な数十年後世界。今、将来を不安がる人がこの国には沢山いるけれども、そのなかでも不可避の、この手の各種リソースを巡るヤバさを不安がる声は意外と少ない。気付かないのか、気付きたくないのか、防衛*3しているのか?コンビニ弁当をこんなに安く手軽に食っている自分自身は、今、途方もなく恵まれている。今の豊かで便利な生活に慣れた私は、果たして数十年後の娑婆苦に堪えられるのか?考えるのが、そろそろ厭になってきたので、酒を持ってくることにします。
 

*1:思わず『頂きます』や『御馳走様』とって言わずにはいられない

*2:『環境破壊』はこれらの問題に拍車をかけることだろう

*3:この場合の防衛とは、もちろん心理学用語の防衛機制、のことです