シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「あなたは淫乱ですか?」というソナー

 
 強迫的な禁欲の表明こそが、しばしば淫蕩の最も雄弁な証明になる。
 
 人間は投影・抑圧・反動形成その他色々の防衛機制を機能させることで、淫蕩に対して幾らでも施錠を施すことが出来るし、施錠が厳重であればあるほど、意識下から淫蕩を遠ざける*1ことが出来るだろう。程度の差こそあれ、誰もが欲望に対する施錠を行っている事からも察せられる通り、この手の防衛は心的適応にとって必要なものと言うことも出来る。
 
 とはいえ、淫蕩を意識から遠ざける為の施錠があまりにも強固な人の場合*2、当人には淫蕩は全く意識されない一方で、あまりにも露骨なそれら鉄条網や南京錠は第三者の目に丸見えとなってしまう。防衛機制は、多くの場合、強迫的で徹底したものになればなるほど当人には気付きにくく第三者には気付きやすくなってしまうし、淫蕩に対する防衛もおそらく例外ではない。
 
 例えば「あなたは淫乱ですか?」と問うた時、大抵の人はNoと答えるのは間違いない。だが、このNoと言う時の手応えに着目してみると、何かが判るかもしれない。さあ、被質問者はどのようなNoを呈示するだろうか?ちょっと顔をひきつらせながらNoと言うだろうか?躍起になって否定するだろうか?或いは、隣の人への質問なのにわざわざ割り込んできて「私は違いますよ!私を疑っているんですか?!」と怒鳴り込んで来る困った人だろうか?被質問者がNoと答えたことそのものは、大した情報をもたらさないが、被質問者がどのようにNoと答えたかには沢山の情報が隠れている、と私は読む。被質問者がNoと答えるか否かなんて半ばどうでもいい。それよりも、被質問者がどんな風にNoと答えるのか、またはどんな風にYesと答えるかを通して、防衛の強弱の手応えを確かめるってもんだろう。必死な態度か否か、関係の無いことまで答えてないか否か、反応速度は早いのか遅いのか、いつの間にか文脈を逸らせていないかetc…。
 
 その人が実際に淫蕩かどうかは誰にも判らないわけだけれど、金庫に入った淫蕩を取り囲む鉄条網や錠前の存在ならば、外部の人間なら気付き得るかもしれない、というわけである。見つかるのは南京錠だろうか?鉄条網だろうか?地雷原だろうか?時には、空金庫を囮の鉄条網で取り囲んでみせるほどの策士に瞞されることすらあるかもしれない。防衛機制と、その背後に隠された各種欲望を巡る探り合いには果てが無い。無論、私自身も周囲の人からそのような探知に日々晒されている*3。「ちなみに僕は淫乱ではありません」。
 
 ところで、「あなたは淫乱ですか?」
 
 

*1:=防衛する

*2:あるいは、淫蕩を意識下に置くことが当人の心的適応にとって重大な脅威・不安・絶望への直面に繋がる人の場合、と言い換えることが出来るかもしれない

*3:そういえば夏頃には、fromdusktildawnさんにぐさりとやられた事があった。この手の防衛探知は、専門家だけの専門技術ではあり得ない。多かれ少なかれ人間は本能的に他人の防衛機制を探知する素養を持っているんじゃないかと疑っている

脱オタ症例10(要約)

 
 本家のほうの脱オタ症例報告もこれで十例目。読み返すと本当に色んな人がいて考えさせられます。
症例10(汎適所属)
 
 Jさんは、まともに受容され得ない幼少期を過ごすなかで人格形成と処世術の原型を形成していきました。おそらく、このような生育上の*1特徴は、Jさんをして感情表出を不得手たらしめたと推定されます。また、自分の快感を素直に肯定するよりも他人の顔色にすべてが左右される子になりやすかったのではないかとも思われます。
 
 果たして、Jさんは幼稚園〜高校時代までを通してクラス内における弱者として生活せざるを得ませんでした。女子に嫌われ、臭いと言われ、そんな過酷なJさんの生活にいっときの休息を与えてくれたのがオタク趣味でした。林原めぐみのラジオ番組を端緒として、Jさんはアニオタの道へと傾倒していきます。クラスメートの陰口にストレスを感じつつも、Jさんはオタク趣味を通してストレスを発散していくのでした。
 
 しかし、そんなJさんにも転機が訪れます。オタク仲間が進路相談に「声優専門学校」と記入するのをみたJさんは、いたたまれない気持ちになってしまったのです。その瞬間、Jさんはオタな自分の有り様に疑問を抱いてしまいました。本当は、恋愛だってしたいし嫌われたくない、という元から抱いていた気持ちに気付いてしまうのです。
 
 大学進学後、Jさんの脱オタが本格化していきます。しかし、まだまだ脱オタのプロセスの途上にあり、必ずしも男女交際などで成功しているわけではありません。自分自身に自信を持つことが出来ないJさんですが、しかし、彼の友人はそんなJさんにダメ出しするわけでもなく、見守ってくれているようです。
 
 今回のJさんの件で私が着目するのは、「失敗しても大丈夫な経験」「怖じ気づいてもダメ出ししない友人との交流」です。ファッションをどうやろうが、女の子と付き合おうが、(Jさんのような)能動性に乏しく自分に自信の無いオタクさんは失敗に対して極度に敏感なことが多いわけですが、現在のJさんにはそうした経験をうんうんと聞いてくれる友人がいる、ということなわけです。これはとても重要なことのように私には思えます。「思った通りに行かずに失敗したり怖じ気づいたりしていても、ダメ出しされない、という経験」は、Jさんの次の正念場において、ちょっとだけ背中を押してくれるのではないでしょうか。たとえ失敗しても自分の価値を切り下げずに付き合ってくれる人がいる、という体験の蓄積が、Jさんの気弱さに漸進的な影響を与えていくことを祈念しています。
 

*1:あるいはそれに加えて遺伝的傾向も?

メタ防衛の縦深陣

 
 私が性悪説をとっているのも、結局のところ「性善説を採用していると他人に看過されてしまうかもしれない、ろくでもないほど性悪な自分自身を防衛する」為、という心的要請によるものなのかもしれない。
 
 と、表明することによってもう一枚防衛を噛ませようという魂胆だな、シロクマめ。
 
 と、告白することによってもう一枚防衛を噛ませようという魂胆だな、シロクマめ。
 
 と、繰り返すことによってメタ無限後退しようという魂胆だな、シロクマめ。
 
 と、大枠で括って読者を煙に巻いたと思いこみたいわけだな、シロクマめ。
 
 と、判ったような風にして、自分だけは灯台もと暗しから無縁と思いこむつもりだな、シロクマめ。
 
 と、表明することによってもう一枚防衛を(以下繰り返し)
 
 
 …自分でもわけがわからなくなってきたので、そろそろやめます。