シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

地方の中核ゲーセンが担うサロン機能――雛見沢化する地方ゲーセン風俗

 
 地方のゲームセンターは淘汰の厳しい波に晒され、店舗の統廃合が進みまくっているため、地域の中核ゲーセンが遂に一つだけになっている例も少なくない。先日私が赴いたゲーセンもそういう地域のゲームセンターの一つで、地方都市の中心部にある唯一無二の「まともな」ゲーセンとしてプレイヤーのニーズを満たしている。
 
 その活気あるゲーセンには、地方都市とその近辺のゲームマニアがぞろぞろと集まってくる。シューティングゲームに関しても、音ゲーに関しても、格闘ゲームに関しても、そこに行けば誰かがやっている。県下で一位二位を争うプレイヤーが凌ぎをけずり、ときに数十km離れた他のマニア店に遠征を計画することさえある。立地に恵まれていることもあってか、はたまたマニアとの交流を大切にする経営方針故か、一般客だけでなくゲーセンオタと呼ぶに相応しい人達が幅広く集まり、ゲーセン全盛期を彷彿とさせる活気が今も感じられる。
 
 しかし逆に言えば、他にプレイヤーの集まり得る場所は半径数十km以内に存在しない、ということなのだ。他にもゲーセンが無いわけではないにしても、いずれも地方都市の中心部からは遠いうえにマニアが喜ぶゲームが少ないこともあって、ゲーセンオタが集う場所には向いていない。自然、集合場所や出会いの場として機能し得るのは、利便性に優れ、マニアにも配慮し、機材の整ったそのゲーセンぐらいしかない。
 
 こうした現象の帰結として、地方中核ゲーセンが単独で担うべきものが大きくなってきているように私には思える。かつてのように、地方都市の中心街にゲーセンが群雄割拠していた頃は、それぞれの店のカラーと、それぞれの店の常連がいて、一つのゲーセンが背負わなければならない機能というのは比較的限られていたと思う。だが、地方都市の商圏が抱えられるゲーセンの数が減少した現在、一つまたは二つの中核ゲーセンに人・モノ・文化が集中しやすくなっているんじゃないだろうか*1
 
 地方のゲーセン文化が中核店に集中することによって何が起こるのか?色々な変化が付随するだろうが、まず、地方ゲーセン文化の多様性というものは損なわれやすくなるだろう(尤も、プレイヤーの絶対数が少なくなっている現在、多様性もへったくれも無いのかもしれないが)。多彩なゲーセンが競り合う状況と異なり、中核店のカラーに画一化されてしまった文化シーンというのはちょっと寂しいものがある。その代わり、中核店のカラーがそのまま地方のゲーセン文化として(比較的)強力な地域性と同一性を生み出す可能性も、あるかもしれないけれども。
 
 また、プレイヤーの一極集中化→出会いの場と化すことによって、地方の中核ゲーセンは今まで以上にコミュニケーション上重要な拠点となっていくのではないだろうか?これまでの地方ゲーセンもサロンとしての機能を担ってはいたが、人やモノがここまで一カ所に集中することはなかった。しかし、中核店以外が淘汰でダメになってしまった地方では、人とモノはすべて中核店に集中し、その店舗のサロン機能は大幅に向上することになる。出会いの場・切磋琢磨の場・情報交換の場といった形のコミュニケーション触媒機能を担った地方中核ゲーセン。この、中核店のサロン化によって(主としてコミュニケーション上の)利便性が増している点には注目してもいいような気がする。地方都市のゲーマー達はみな中核ゲーセンというサロンで出会い、そして知り合っていく。お喋りまではしないにしても、そこでは誰も彼もが顔見知りだ。
 

 ただし、もちろんこれは良いことづくめの話ではないだろう。まず、中核店の“一人勝ち”が進行する事によってライバル店舗が台頭しにくくなってしまうかもしれない。中核店の寡占状態が続いた果てにマニア向けのゲームが削減されたりしようものなら、地方のゲーセンオタとゲーセン文化は全滅してしまいかねない。そのうえ中核店になにもかもが集約してしまうと、ゲーセン内コミュニケーションに失敗した者のセーフティネットがどこにもなくなってしまう点にも注意が必要かもしれない。かつて、A店でハブられてもB店でゲームを続ける余地といったものがあった(し、都会では今でもそれが可能だ)が、ヒトもモノも一カ所に集中してしまった地方では、中核店でハブられた人の逃げ場に該当するようなゲーセンがみつからない。しかも、ヒトが集中している中核ゲーセンで顔が知れているという事は、どこでゲームをやっていても「あっ!あの痛々しいH君だ!」などと気付かれてしまいやすくなるのだ。まるで雛見沢の如く、ゲーセン界隈の誰もが自分の事を知っているから、なおさら逃げ場がみつからない。もちろん、こんな「ハブられた時に逃げ場の無い雛見沢的ゲーセンサロン」においては、コミュニケーション圧というか、空気の読みあいというか、その手の気遣いが今まで以上に強く要請されることになっていくことだろう。コミュニケーションの利便性が増した一方で、コミュニケーションの圧力が強くなったという変化を、うざったく思っている地方ゲーオタさんもいるに違いない。
 
 残念ながら、地方ゲーセン(特にアミューズメントパークではなくゲーセンとしての機能を持ったゲーセン)の淘汰は今後ますます進行し、中核ゲーセン一極化を呈する地方都市は増えていくんじゃないかと思う。そういう地方の中核ゲーセンは、ゲーセンオタク達が集うサロンとしての機能を益々強めていき、コミュニケーションの場としての功罪を抱えながらゲーセン文化を担っていくと私は推定している。
 

*1:そして、店舗側もそうした中核ゲーセンたろうと目論んでいる場合が少なくない

地方オタク達とのオフ会

 
 今週末は、旧いオタク仲間達とのオフ会にお邪魔することが出来た。彼らは東京のオタクではない。人口20万〜30万人規模の、地方都市在住のオタク達だ。はてな上で遭遇するオタクや東京のオフ会で遭遇するオタク達と違うところも多い。ここ数年の私は、ネット頼み&東京頼みの孤独な山奥オタク生活をやっているので、こうやって直接オタ仲間達の生き様に触れたり考えを聞いたりする機会は貴重で、楽しく、刺激的な体験だ。今日はその体験のメモを書き残すことに。
 
・今回のメンバーは俺を除いて男性三名、女性一名。成員を結びつけているkeyとなるオタク趣味はポップンミュージックらしかった。とりわけ、男性側オタと女性側オタを繋げる重要な接点としてコナミ音ゲーが果たしている役割は大きい。男性オタと女性オタを(やおいに供される少年誌のような捻れ現象も無しに)繋いでくれるオタクコンテンツって、実は結構貴重なんじゃないか。一方、男性側同士はMMOや漫画の分野で共通理解を保有している模様。その他、個人個人のオタ達はスパロボ・やおい・エロゲーなどに一家言を持っているが、それぞれがバラバラに保有している為、会話には用いにくい様子だ。
 
・オタク同士の共通理解が会話の重要な潤滑油を占めると推測されるものの、東京における各種オタオフ会の時に比べて「狭く深く」知識が共有されているかもしれない。このため、濃密で狭い分野が共有されている部分については途方も無いオタ会話が起こる一方、はてなオフ会に比べると幅広い知識・流行のトピックスが共有されにくく、ごく普通な話題も多用される傾向。(ただし、このような展開は女性参加者がいたからこそかもしれず、判断を留保したほうが良いか)
 
・女性の方は、お会いした瞬間に「オタ娘発見!」と感付くことは出来た。熟練のオタだな、彼女は。ところが、彼女のオタ的詳細にアプローチするのは簡単では無い。これはある種の「空気読め」という無言の圧力がコミュニティのなかにあるのかなと思い、「空気を操作」しようとあがいたが、失敗。俺自身がオタク話題をまき散らしていこうかと頑張ったが、やりすぎると「おっさんが独りオタ芸に有頂天」というレッテルを貼られるのではないかという警戒があって動きが鈍かった。
 
・とはいえ、男性三名、女性一名、という何とも言えない精神力動のなかで女性側のオタ趣味にアプローチすると考えること自体がナンセンスだったのかもしれない。アプローチの対象と方法を間違えたか?そもそも一度だけの出会いで色々な事を知ったり知られたりするのは無理というものだと心得るべきか。むしろ、今後二度三度とお会いするなかで自然に知り合っていく事をこそ望むのが適当か。
 
・オタ分野の流行トピックスの追いかけ方・評価は、はてな界隈とは大分違う印象。例えばハルヒは殆ど評価されていなかった。まぁ、ハルヒ放送してなかったし、つい最近までラノベコーナーにすら揃ってなかったし。ネットで情報が共有されているとか何とか言うけれども、それはあくまでネット的万能感による錯覚なのかもしれない。ニッチや情報ソースが一本違うだけで感染率が大きく違うのか?
 

・地方の同人ショップに東方妖々夢・東方永夜抄・東方花映塚が沢山並んでいて驚く。通販でも売られていないし、先月秋葉原の同人屋を歩いても無かったし。この同人ショップに陳列されている同人アイテムはいつも首都圏よりも少し遅れているが、ここまで東方がちゃんと揃っているのには驚かされた。どこで仕入れたんだろうか?そういえば、『月姫』ファンディスクの『歌月十夜』が秋葉原で入手不能になった時、何とかゲットしたのもこの店だったな。首都圏で手に入らなくなってしまった同人アイテムは、ここでもう一回あたると良いことがあるかもしれない。
 
 
 とても楽しいオフ会だっただけでなく、オタク界隈の勉強としても大変有意義な会合だったと思う。特に、自分がネット・はてなから引っ張ってくるオタ的トピックスが必ずしも共有されるとは限らないという経験は、忘れてはいけないっぽい。これを、オタクコンテンツのデリバリー地域間格差によるものとみるか、オタク同士の文化細切れ状況に由来する現象とみるか、はてさて。やっぱ山奥でネットやってるだけじゃダメだなぁ。東京のほうばかり向いていてもダメだなぁ。地方のオタ仲間の声や価値観に触れないと、色々と見誤りそう。