シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

コーヒーでスプラトゥーン2の勝率が上がるか、確かめてみた

 

  
【実験のまとめ】
 
 コーヒーに含まれるカフェインには、精神活性作用がある。この効果を確かめるため、コーヒーを飲んだ時と飲まない時の『スプラトゥーン2』のナワバリバトルの勝率を比べてみた。
 
 コーヒーを飲まない時のナワバリバトルの勝率が58.33%だったのに対し、コーヒーを飲んだ時の勝率は79.17%だった。筆者がコーヒーを飲んだ際には『スプラトゥーン2』の勝率が高くなると判明した。コーヒーの作用を垣間見ることができたと思う。
 
 
【はじめに】
 
 コーヒーに含まれるカフェインは世界じゅうで広く飲まれる精神活性物質で、その作用は19世紀から知られている。『カプラン臨床精神医学テキスト』によれば、コーヒー一杯ぶん程度のカフェインには、集中力や気力の向上、仕事への動機づけの高まり、眠気や疲労の減退といった主観的効果があるという。しかし、実際にどれぐらい効くのか確かめてみたことはない。そこでコーヒーを飲んだ時と飲まない時で『スプラトゥーン2』のナワバリバトルの勝率がどれぐらい変化するのか、確かめてみることにした。
 
 
【方法】
 
 ゲームの勝率はカフェイン以外にも大きく左右されるし、コーヒーに含まれるカフェインの量によっても左右されるだろう。今回の実験では以下のような方法をとることで、できるだけフラットな条件での比較を心がけた。
 
1.同じ曜日の同じ時間帯に、コーヒー有りとコーヒー無しで勝率を測定してみた。
 

 
 2017年9月から10月にかけて勤務スケジュールが一定の時期があったた.ため、
 
 1.休日Aの午前9時から合計8回のナワバリバトル
 2.休日Aの午後3時から合計8回のナワバリバトル
 3.休日Bの午前9時から合計8回のナワバリバトル
 4.休日Bの午後3時から合計8回のナワバリバトル
 5.平日Cの午後9時から合計8回のナワバリバトル
 6.平日Dの午後9時から合計8回のナワバリバトル
 
 を、二週間にわたって行った。
 
 第一週において、1.3.5.はコーヒーを飲んだプレイ8回を行い、2.4.6.はコーヒーを飲まないプレイ8回を行った。第二週において、1.3.5.はコーヒーを飲まないプレイ8回を行い、2.4.6.はコーヒーを飲んだプレイ8回を行った。
 
 都合、コーヒー有り/無しのそれぞれで64回ずつ、合計128回のナワバリバトルを行ったことになる。
  
 比較条件をさらにフラットにするべく、1.3.は必ず午前7時30分に起床して30分後に同じメニューの朝食を食べて検証した。2.4.も必ず同じメニューのに昼食を食べた後に30分の居眠りを行い、プレイ前の条件を統一した。5.6.は帰宅時間や夕食を摂る時間、夕食のメニューをできるかぎり同一とした。
 
 
2.コーヒーの量や濃度を統一するため、市販のスティックタイプのコーヒーを使用することとした。
 

AGF ブレンディ インスタントコーヒースティック 2g×100P

AGF ブレンディ インスタントコーヒースティック 2g×100P

 
 コーヒー有りの場合には、『AGF Blendy stick ブラック 甘さなし』のスティック1本ぶんのコーヒーをプレイ10分前に飲用し、それ以外の飲食物はプレイ中には摂らないこととした。コーヒーを飲まないプレイでは、同一量の白湯を同じコーヒーカップ一杯ぶんだけ飲むこととした。
 
3.『スプラトゥーン2』のプレイ条件も、できるだけ統一した。
 

 
 ブキは「プロモデラーMG」とし、装備やギアは全プレイで同じものを使用した(画像参照)。この検証を行っている間は「プロモデラーMG」によるナワバリバトル・ガチバトルは禁止とし、クマサン商会のバイトだけを行った。
 
 
【結果】
 
 以上の方法のもとで検証を行った結果、コーヒーを飲んだプレイ群とコーヒーを飲まなかったプレイ群では、以下のような勝率の違いを確認した。
 

 
 
 コーヒーを飲まない64回のナワバリバトルにおいて、勝率は58.33%だった。対してコーヒーを飲んだ64回のナワバリバトルにおいて、勝率は79.17%だった。
 
 コーヒーを飲んだプレイにおいて、筆者の『スプラトゥーン2』のナワバリバトルの勝率が高くなるという結果が得られた。片側検定で有意差が得られたことから、今回に限らず全般的に、私はコーヒーを飲んだ時のほうがナワバリバトルの勝率が高いと考えられる。
 
 
 【考察】
 
 予想どおり、コーヒーを飲んだ時のほうが勝率が高くなったが、コーヒーの有無で勝率がほとんど変わらなかったこともあった。これは、体調の微妙な違いによるものかもしれないし、バトルに参加したメンバーの違いによるものかもしれない。また、「新しいステージが追加されて、不慣れな状態でバトルを余儀なくされた」影響もあったかもしれない。
 
 今回の検証の真っ最中に、『スプラトゥーン2』に「モズク農場」というステージが追加された。これまで無かったタイプのステージに苦戦した記憶があり、このステージが検証に与えた影響はあるかもしれない。
 
 そもそも、本検証ではステージの統一はできていない。これは『スプラトゥーン2』のナワバリバトルのシステム上どうしようもないことで、同一のステージで検証を統一しようとすると、今度はプレイする時間帯がバラバラになってしまい、それはそれで結果にバラつきが生じることを避けられないだろう。
 
 この検証のデータをとり終えた直後、『スプラトゥーン2』には大規模なアップデートが施され、「プロモデラーMG」をはじめとする多くのブキの仕様が変更されてしまった。アップデートにより内容が変わってしまうゲームを用いている以上、短い期間でデータをとり終えてしまわなければならないため、ステージの統一は諦めることとした。
 
 また、今回の検証は私がAGFのスティックタイプのコーヒーを用いて行ったものであり、他のプレイヤーが検証した場合に異なる結果が出る可能性を否定できないし、よりカフェイン含有量の高い飲料や糖分を含んだ飲料を用いた場合は違った結果が出るのかもしれない。いずれにせよ、このあたりは検証してみなければわからないことではある。
 
 なお、この検証は二重盲検試験のような厳格なデザインをとっておらず、エビデンスとしてはあまり頼りにならない。「コーヒーを飲んだ」という心理的バイアスも結果に含まれている。あくまで日曜研究としてご笑覧いただければ幸いである。
 
 カフェインにはさまざまな薬理作用があり、過剰摂取は心身に良くないとされている。私の場合も、コーヒーがきつく感じられるきらいがあるため、普段はカフェインを摂らないようにしている。今回の検証で「私がコーヒーを飲めば『スプラトゥーン2』の勝率が上がる」とはっきりわかったが、飲む機会は限定して、コーヒー無しでも勝てる技量を磨いていくつもりである。
 
 コーヒーを飲むとゲームの勝率が上がる・勉強や仕事がはかどる、という人は珍しくないだろう。しかし、コーヒーに頼る者はいつもコーヒーを飲んでいなければならなくなってしまうし、それは、ありていに言って不健康である。カフェイン含有飲料の過剰摂取による死亡事故が報じられているのをみるにつけても、コーヒーをはじめとするカフェイン含有飲料の取扱いには注意が必要だろう。
 
 コーヒーを飲めば『スプラトゥーン2』の勝率は上がるが、コーヒーに依存したプレイヤーにはなりたくないものである。
 

攻略wikiっぽくない「自称攻略wiki」を見かけるようになった

  
 ややこしいゲームを遊ぶ時や、新しいゲームを購入する目星をつける際に役立つのが、「攻略wiki」。そのゲームをはじめるにあたっての注意点やおおまかなシステムの把握、キャラクターデータや主な攻略指針など、調べたいことがだいたい載っていて、2000年代の前半から重宝してきました。
 
 でも最近は、あまり攻略wikiっぽくないけれどもwikiを名乗っているブログみたいなものを見かけることが増えました。
 
 

私が馴染んできた攻略wiki

 
 私がお世話になってきた、いや、今でも時々お世話になる攻略wikiっていうと、こんな感じです。
 
 
Civ3wiki - トップページ
 
艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
 
トップページ - Xbox360/PlayStation3「The Elder Scrolls V:SKYRIM」日本語版wiki - アットウィキ
 
 
 これらの攻略wikiは、

 ・基本、営利を目的としておらず、
 ・ゲームに関心のある有志が何人も集まって作成していて、
 ・情報の通覧性が高く、必要な情報にたどり着きやすい
 ・スマホで見るよりもPC向きのつくり。ときにはスマホに対応していないことも
 
 といった特徴を持っていました。ただ読むだけでなく参加するものでもあり、私自身もwikiの編集にかかわったことがありました。
 
 

従来の攻略wikiとは違ったタイプの「自称攻略wiki」

 
 
 ところがここ数年、それまでの攻略wikiとは雰囲気の違う、しかしwikiを名乗っているブログみたいなサイトに出くわすことが増えました。
 
pokemongo.gamewith.jp
 
wiki.denfaminicogamer.jp
 
game8.jp
 
 これらの新しい「攻略wiki」は、
 
 ・おそらく営利を目的としているらしい、たくさんの広告
 ・運営者が複数なのか個人なのか企業なのか、はっきりしない
 ・情報の通覧性よりも、新情報やトピックスを優先的に表示する
 ・スマホで見ることに特化している。PCでの通覧性は二の次っぽい
 
 といった特徴を有しています。いわゆる「コメント欄」にはプレイヤーの意見がいろいろ書かれてはいるものの、記事の筆致や構成には統一感があるため、運営者は一人か二人ぐらいとおぼしき雰囲気がみられます。このこともあってか、「みんなでつくったゲーム攻略wiki」という雰囲気より「個人が営利のために立ち上げた攻略サイト」といった趣があります。また、
 
 ・ひとつのゲームに複数の攻略wikiが存在していて
 ・書いてあることがそれぞれの攻略wikiで違っていることも多く、
 ・結果として、ひとつの攻略wikiだけでは不十分
 
 といった感想を持たざるを得ないこともよくあります。攻略wikiを名乗るからには、一か所を通覧すればだいたいのことが把握できるようであって欲しいのですが、たとえば『スプラトゥーン2』に林立している自称攻略wikiなどは、一つだけではまったく足りない感じです。
 
 

いまどきの「自称攻略wiki」は、いまどきの「ゲーム攻略サイト」

 
 そうやって考えると、今、「攻略wiki」を名乗っている諸々は、00年代の攻略wikiよりも、むしろ00年代までは存在していた、個人の「ゲーム攻略サイト」に近い性格なのかもしれません。ただし、どこへ行っても似たようなフォーマットで書かれている点や、スマホでページをめくるたびに広告に追い回される点は、過去の個人サイトとは違っていますが。
 
 かつて、インターネットには「集合知」という考え方があって、wikipediaはもちろん、それぞれのゲームについての攻略wikiにもそういった趣があったように思います。
 
 しかし、今日のインターネットで「集合知」という言葉や思想を見聞きすることは少なくなり、個人で広告収入が稼げる時代にもなったので、みんなで情報を出し合って攻略wikiをつくる、というネット習俗じたいが衰退しているのでしょう。
 
 もちろん、外国ゲームの翻訳などの領域では今でも「集合知」としか言いようのない活動は息づいていますし、こちらの『アズールレーンwiki』のように、昔の雰囲気っぽい攻略wikiが盛り返して検索順位でもトップを奪還することもあるんですけどね。
 
 新旧両方のタイプの「攻略wiki」を行き来しながら時代の流れを感じる、ゲームおじさんの感想でした。 
 
 

現代社会には、イライラした人間の居場所が無いとわかった

 
 ここ一週間ほど、ずっとイライラとしていて情緒が安定していなかった。そうなってみて、改めて自分と自分を取り巻く環境への影響を考えてみたら【イライラしているおじさんやおばさんがいて構わない場所は現代社会には存在しない】ということに気づいたので書き留めておく。
 
 
 【イライラした人間は、どこへ行ってもイライラを伝染させる】
 
 イライラしている客、イライラしている職場の同僚というのは、迷惑な存在であろう。
 
 想像してみて欲しい。
 
 ショッピングモールに、家電量販店に、苛立ちを隠せない客がうろついていたら周りはどう感じるだろうか。イライラした客だな、と思うに違いない。苛立ちは伝染する。「あいつはどうして苛立ちを表に出すんだ」、と思う人も出てくるだろう。
 
 職場でも、やけにイライラしている同僚とデスクを囲むのはどんな気分だろうか。職場の空気はたちまちギスギスしてしまうだろう。「明るい職場」という言葉があるが、イライラした人間が一人混じるだけで「明るい職場」は失われる。「明るい職場」にはイライラした人間はいてはならないのだ。内心はともかく、少なくとも、言動から苛立ちがほの見えるような人間がいてはならないのだ。
 
 家庭でも同様である。
 
 イライラした父、イライラした母を、家庭という小さな器は受け止めきれるだろうか。否。
 
 苛立ちは家庭という小さな器をたちまち満たし、安らぎの場であるべき家庭は針のむしろとなる。子どもの情操教育とやらにも苛立ちはよろしくあるまい。かろうじて、子どものイライラや癇癪ならば、親がなんとか対応できることもあるが、昨今の子育て事情や子どもの抑うつの話などを聞くに、子どものイライラが家庭から溢れ出てしまうことも稀ではないように思われる。
 
 さて、冒頭で触れたとおり、私はここ一週間ほど、ここ十年来なかったほどイライラしていた。ということは、行く先々で、イライラしているおじさんであるところの私は迷惑をかけていたことになる。
 
 私は「明るい職場」に水を差す存在であったと推定される。申し訳ない。
 
 私は店舗でイライラした客だと思われる存在だったと推定される。申し訳ない。
 
 私は家庭でイライラした父親だと思われる存在だったと推定される。申し訳ない。
 
 いや、「推定される」というのは遠回しだ。イライラした存在だったのだ。申し訳ない。
 
 そういう、どこへ行っても情緒面で迷惑であっただろう我が身について反省してみた時、では、ストレスなり内因的な要因なりによってイライラしているおじさんやおばさんが居ても良い場所というのは一体どこにあるのだろう? と疑問を感じた。
 
 答えは見つからない。いまどきは、インターネットも「王様の耳はロバの耳」の洞穴の役割は果たせそうにない。付言すると、インターネットに口汚いことを吐き散らしたところで内的興奮や情緒不安定はほとんど改善しないように思われる。ただカルマが下がるのみだ。
 
 街の盛り場に出ればイライラが減るのか? わからない。ただ、イライラし続けている時の飲食や娯楽というのは、言うほど気を紛らわせるものではないし、イライラはやはり周囲の人に伝わっておそらく迷惑であろうということだ。
 
 結局、誰にも会わずに引きこもり、ただただ眠ることが正解のように思われるが、勤務に出なければならない・家族の一員でなければならないといった務めを思うと、それができる余地は少ない。せいぜい、休日にアナグマのように閉じこもるだけだ。それは家庭に不安をもたらすものではあろうけれども、イライラした人間が家庭を闊歩するよりはまだしもマシな選択だろう。
 
 イライラしたおじさんやおばさんは、どこにも居てはならないのだ。ひょっとしたら、子どもすらそうなのかもしれない。
 
 こうしたイライラのたぐいが一定期間持続すれば、いや、抑うつが一定期間持続したとしても、現代の精神医学は診断基準にもとづいて鬱病をはじめとした「気分障害」の病名をくだすだろう。私のようにせいぜい数日程度の苛立ちの連続ではそうとも限らないかもしれないが、一定期間を超えれば確実に疾患とみなされる。
 
 疾患は英語で「disorder」という。「dis-order」だから、直訳すれば「秩序の外」という意味になる。イライラや抑うつは現代社会には要らない、持続するようなら「disorder 秩序の外]だ‥‥ということは、翻ってみれば、現代社会の秩序とは、イライラの無い生活、抑うつの無い生活なのだろうと思う。
 
 誰かがイライラしていれば、「明るい職場」も「明るい家庭」も望むべくもない。健康で望ましい生活からは、イライラや抑うつは追放されるべきなのである。伴って、イライラしたおじさんやおばさん、抑うつなおじさんやおばさんも追放されるべきなのだろう。いや、治療されるべきなのだ。治療を受けて、イライラしないおじさんやおばさんにならなければならない。それがあるべき姿であり、それが現代社会の秩序にとって必要不可欠なありようだからだ。
 
 イライラし続けている自分自身を内省という名の鏡にうつしてみると、ああ、イライラしているとは「dis-order」であり、秩序とは、職場でも家庭でも居酒屋でも朗らかで楽しげで寛いだ余裕のある態度であって、そこにイライラや抑うつや怒りが入り込む余地は無いのだと痛感させられる。秩序の一員に戻るためには、イライラや抑うつをどうにかしなければならないのであって、どうにかできない限り、秩序の一員には戻れないのである。もし私がもっと長くイライラし続ければ、「明るい職場」や「くつろいだ家庭」やを壊す秩序の敵となってしまうのであり、社会的信用も社会的立場も真夏のかき氷のように溶けてなくなってしまうのだろう。わざわざ烈しい躁状態になどならなくとも、秩序の外の人間であり続ければ秩序の明かりのもとでは暮らせなくなる。それを踏まえれば、なるほど、現代社会においては、苛立ちや抑うつは早急に治療しなければならないというのはわかる話である。
 
 
 【イライラしたら迷惑な社会】
 
 本来、イライラや抑うつは人間にあってもおかしくない情緒の一種である。しかして、現代の秩序は職場でも家庭でも居酒屋でもそれを許容するようにはできていない。
 
 「明るい職場」や「くつろいだ家庭」をデフォルトの秩序とする現代社会は、一面では過ごしやすい社会である。
 
 しかし別の一面として、そのような社会でイライラしてしまったり抑うつになってしまったりしたら、どこにも居場所はないし、どこへ行ってもそれは迷惑になってしまうのである。果ては、「治療」という枠組みが適用されることさえある。
 
 職場や家庭からイライラや抑うつを追放した「明るい社会」は、いざ、イライラや抑うつに見舞われてしまった時に、どこにも居場所が無くなってしまう、包摂度の低い社会ではないか、といまの私は思ってしまった。
 
 もちろん、寛大な職場の人々や家庭の人々は、そのようなイライラや抑うつに見舞われた人を許容するのだろう。だが、いつまでもというわけにはいかないし、どうあれ社会的評価や社会的立場は真夏のかき氷のような速度で溶けてゆく。溶けきってしまう前にイライラや抑うつを回復しなければならないし、なんとなれば「治療」されなければならない。
 
 現代では、職場のメンタルヘルスだの、心のケアだのを大切なものとして、誰もが健康的な精神生活をおくれるように一大運動が展開されている。ストレスケアの一環として、マッサージだのアロマテラピーだのも盛んにおこなわれている。そうやって、誰もが躍起になって社会からイライラや抑うつを追い出して、社会はますます過ごしやすくなって、快適になって、職場にも家庭にもショッピングモールにもイライラした人間がいなくなって住みよくなるのは良いことに違いない。ああ、良いことに違いないとも。 
 
 だが、そうやってイライラも抑うつも追放された社会のなかで、イライラがとれない一人のおじさんとして数日程度を過ごしてみて思い知らされたのは、そういった健康的な社会秩序のなかに、イライラしてしまった自分自身の身の置き場などどこにもない、ということである。イライラした人間がいないことを前提に、職場も家庭もショッピングモールもできあがってしまっていたのだ。自分が秩序の側に長らくいたせいで、私はそのことを忘れてしまっていた。
 
 どこもかしこも明るくなってしまった社会には、暗いもの・ネガティブなもの・憂鬱とみなされてしまうものは、あってはならなくなってしまう。それが社会の進歩だとしたら、ああ、寿いでみせるとも。だが、その進歩から取り残されてしまった時代遅れで「不健康」なエモーションは、どうすればいいのだろうか? 推し殺し、我慢するしかないのか。そうだ。そうだとも。私のやっている仕事とは、「不健康」なエモーションを発見し、駆逐する仕事ではないか。メンタルヘルス。ああ、メンタルヘルス。メンタルヘルスは正義で、そうでないものは不正義。だとしたら。だとしたら。だとしたら。
 
 

フォローすると景色が変わるTwitterアカウント30選

 
 Twitterで今すぐフォローすべき おすすめアカウント30選 - はてな村定点観測所
 
 先月、今すぐフォローすべきTwitterアカウントとして、胃もたれしそうなアカウントリストが公開されていました。面白いリストだと思いますが、全部フォローしたらタイムラインが胃痙攣を起こしそうなしそうなリストでもあります。
 
 それなら、自分が知っているTwitterアカウントから、ちょっと景色が変わるような30個を選んでみようじゃないかと思って作ってみたところ、意外とすんなりできたので公開してみます。
 
 なお、アンテナ1群~6群の呼称と分類分けは個人的なもので、深い意味はありません。
 
 

アンテナ1群(はてなダイアリーから)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
  

アンテナ2群(世間A)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
 

アンテナ3群(世間B)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
 

アンテナ4群(オタ)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
 

カテゴリー5群(インターネット生命体)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
 

カテゴリー6群(others)

 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
twitter.com
 
 

幾つかタイムラインに組み込んだり、遠くから眺めるのがお勧め

 
 これらのアカウントをまだ知らない人は、ちょっと覗いてみて、気に入った二つ三つをタイムラインに組み込んでみるとタイムラインがピリッとするかもしれません。刺激が強すぎると感じるなら、フォローせず、時々覗いてみる程度にするのも良いでしょう。
 
 タイムラインは、変化に富んでいれば良いというものではありません。刺激的なアカウントをたくさんフォローしているうちに、タイムラインが四川料理の出来損ないのようになってしまった、ということもあり得ます。無理の無い範囲で、自己責任でどうぞ。
 
 

悪魔がインターネットに降りて来る時間にぼやきを書く

 
 日曜は昼間から原稿や読書に取り組み続けてへとへとになってしまい、午後7時頃にうとうとしてしまった。疲れが溜まってかワインを呑む気にもなれず、そのまま夕食&就寝。しかし早くに寝れば早くに起きてしまう。七転八倒しても眠れなくなったので、やけを起こして今ブログを書いている。
 
 十年前は、私も若くて――というより若さゆえの過ちによって――深夜まで起きてブログを書いたりtwitterで叫び声をあげていたりした。昼間の仕事の質は下がるし、ブログにハチャメチャなことを書いてしまったりするおそれもある。一度、午前2時にオフ会のおしらせをブログに書きこみ、翌朝まったく覚えていないという「やらかし」を経験したことがあった。また別の時には、午前3時に一本3万円のブルゴーニュの特級ワインを購入して頭を抱えたこともある(しかも、それが不味かった!)。
 
 私以上に古くからインターネットに精通している人々は、0時をまわったインターネットには悪魔が住んでいる、といった成句をよく言っていたと思う。実際、インターネットのベテラン級のアカウントでも、0時を過ぎるとタガが外れやすくなって、きわどい書き込みが増えるように思う。それを一種の放送事故のように楽しむネットウォッチ勢もいたし、私もその一人を気取っていたこともある。だが、深夜のインターネットをウォッチしている者は、深夜のインターネットからもウォッチされているのである。ウォッチしているつもりが、たまらずtwitterのタイムラインに飛び込んで、みっともないパフォーマンスをしでかしてしまうこともあった。ま、そうやってお楽しみを増幅させても社会的ダメージには繋がりにくかったのが10年ほど前のインターネットとtwitterだった、ということでもある。
 
 さて、ここからがぼやきタイムだ。
 
 私は今、とても良い仕事をさせていただいているつもりだ。本業では本業の良い仕事をさせていただいているが、執筆という点でもなかなか良いお話を頂戴していて、どれも、それなりにスケジュールに負けないように進めてはいる。私は原稿の〆切日を過ぎてしまったことは今までに一度もないので、たぶん、そういう点では先方にご迷惑もかけてはいまい。はてなのシロクマすなわち熊代亨らしい文章をそれなり宿した文章を書かせてもらっているのはありがたい限りのことだ。
 
 それでも、そうやって複数の文章作成ミッションに携わっていると懸念が生まれてくるところもある。自分はこんなことをやっていて本当に大丈夫なのか?
 
 自分が本当にやりたいこととは、現代人の社会適応のバリエーションを知って、その背景にある社会構造や個別的なパーソナリティや精神病理もまじえながら紹介していく、さながら「現代人の社会適応の総説的な書籍、または適応大百科」をつくることだ。この200年ほどの欧米と日本の社会システムやメディア構造の変化を踏まえたうえで、現代人の社会適応とは歴史的にどう位置付けられて、現代という時代の枠組みのなかでどのような社会適応を彼らがキメているのかを詳らかにする書籍を書いてみたい。今、取り組んでいるミッションは、多かれ少なかれ、その最終ミッションの予備的考察として役に立つものだと信じてやっている。
 
 だが、そんなご大層な目標に向かって、私は本当に進めているのだろうか。進み続けるだけのバイタリティはあるのだろうか。自分の頭があとどれぐらい明晰な時間を確保し続けられるのだろうか。
 
 詳しいことは書かないが、私は、かつていじめに遭って不登校になっていたことの爪痕とおぼしき、身体に弱い部分を持っている。たいしてバイタリティが無い私が、本業をこなしつつ、子育てという名のハードコアな育成ゲームに真摯に取り組みつつ、なおかつアニメやゲームといったオタク文化圏由来のサブカルチャーにも目を通し続けるというのはなんだか無謀のようにも思えてくる。この調子でいくと、私は十年以内にモノを書けなくなってしまうのではないだろうか。
 
 今、一緒に仕事をやっている皆様の仕事は、どうにかやってみせますとも。でも、次のミッション、その次のミッションまで私はこなしきれるのだろうか。ちょっと自信が無いところもある。あるいは一年間ほど、書籍を読んだり、オフ会に出まくったり、インタビューに行きまくったりして、ちょっと違った風にやらなければならないのかもしれない。『艦これ』の甲勲章を毎回勝ち取っているのも良くないのかもしれない。
 
 こうした問題は、ある程度は良質のワインで緩和できるのだろう。しかし、ちょっとムサクサした日に、シャンパーニュを家内とがぶ飲みできる余裕は、子育てしている自分には無い。ブルゴーニュの一級は、かつては月2-3本のペースで対峙していたが、とても今はそんな気にもなれないし、そもそも疲れすぎていて立派なワインをあけようという気力が足りないことが増えている。
 
 私は単著を出してまだ5年しか経っていないひよっこだが、私が望むような社会適応の本を出すためには、あと10年はこのような活動を続けなければならないだろう。これ、うかうかしていると途中で過労死するやつじゃないだろうか。今死んだら、子どもをはじめ、家族に大変に迷惑なことになってしまうから、死にたくない。さりとて、命を重視していると文章を書くいとまも閃きも生活リズムや健康最優先の思想の前に遮られてしまうことになる。
 
 私は睡眠不足が祟ってしばしばハイテンションになってしまうことがあって、そのような時の自分は「モノ書きの神様がついている」と例えたくなるような突貫工事に成功することがある*1。反面、夜間に悪魔がインターネットに降りて来る時には、もう、目を覆いたくなるようなやらかしやご迷惑をまき散らしてカルマを下げてしまうこともあって、それが怖くて仕方がない。
 
 さて、今は午前1時11分である。
 
 悪魔は降りてきたのだろうか。面倒なので振り返ってみることはしないで投稿ボタンを押すことにする。誰かが何かを言ってきたら「むしゃくしゃしてやってしまいました。ゆうべは、モニカというサルディニア島の土着ワインを飲みながらブログにぼやきを垂れ流していたので、詳細は記憶にございません」と答えて、頭をかいてごまかそうと思う。それで許してくれない人がいるのがインターネットだが、それで許してくれる人がいるのもインターネットだ。一年間に1000回近く、いろいろな人から馬鹿にされ、問題点を指摘され、批判され、えぐるような言葉をぶつけられて、それでも一応正気を保てている自分のことを誰か褒めてくれ。褒めてくれよー! しかし、こんなことは普段は言っちゃだめだし「ブロガーは褒められねど高楊枝」なのである。
 
 あー、なんかわけのわからないものを書いてしまったがスッキリしたな。これ、明日の朝になってがっかりするやつだ。やはり0時を過ぎたインターネットには悪魔がいて、俺の自制心とか戦略的思考とか麻痺させていったようだ。しかし、昔は私がブログでサバトやったって良かったはずなのだ。twitterで地霊や妖精や魔獣とお話しても良かったはずなのだ。頼むよインターネットよ、眠れない午前1時のいら立ちと酒に曇った指先が産み出す過ちを、懐深く包んでくれ。そうして欲しいんだ、きっと今の俺は。
  
 このブログの読者にとって役に立ちそうな情報は、何一つ書けかったような気がしてきたが、少し眠くもなってきたので、これで寝ることとする。この文章の後半は意識がもうろうとしていたので馬鹿なことを書いているかもしれないが、たまには許して欲しい。
 
 午前0時を過ぎたインターネットには悪魔が憑いていて、書く人間をかどわかすのだから。
 おやすみなさい。
 

*1:そのかわり風邪をひくなど、体調を崩す