シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「あいさつしない子、呪われちゃうよ」――「あいさつの魔法」を裏側から考える

 
 バカだもん。-月に咆える- 暇つぶしブログ あの「広告」は本当なのか。
  
 震災後にさんざん流れた公共広告機構のCM、「あいさつの魔法」。
 
 あのCMを眺めていると、保育園や小学校低学年の頃にあいさつを教わった頃を思い出します。親や先生からあいさつをするよう教わって、その通りに元気にあいさつしていた幼少期が殆どの人にはあった筈です。小さい頃にしっかりあいさつを学ぶのは、実際、あいさつは魔法の言葉だからなのでしょう。冒頭リンク先のような“無差別なあいさつ”にはあまり意味はありませんが、これからコミュニケーションを始めるような文脈のなかでは、あいさつはかなり重要な意味を持ちます。
 
 あいさつには「私はあなたをいっぱしの人間だと認識しています」「私にはあなたとコミュニケーションする用意があります」という意思表明としての機能があり、コミュニケーションを円滑に始める手助けになります。逆に、あいさつを欠いていると「この人は機嫌が悪いのかしら?」「こいつ、無視してるのかな?」という疑問を相手に与えてしまうかもしれず、コミュニケーションのチャンスを遠ざけてしまいます。初対面の相手であれ、馴染みの相手であれ、あいさつは、微弱ではあってもコミュニケーションにプラスの確率を与え、誤解が生じる確率を下げてくれます。
 
 これって、破格の効果だと思いませんか?
 
 服装やファッションにいくら拘っても、会話の練習をしても、それでも上達しにくいのがコミュニケーションの厄介なところなのに、あいさつは、確実にコミュニケーションにプラスの修正を与えてくれるのです。しかも、テンプレート的な決まり言葉を口にするだけで良く、あいさつの効果は日々蓄積します。まさに「あいさつの魔法の言葉」としか言いようがありません。
 
 だから本来、コミュニケーションに苦手意識を持っている人は、真っ先に「あいさつの魔法」を身につけるのが妥当なのでしょう。
 
 

「あいさつの魔法」を失うと「あいさつをしない呪い」が生まれる

 
 これほど重要な、あいさつという習慣。
 
 にも関わらず、小学校の頃は元気にあいさつ出来ていた筈なのに、新大学生・新社会人・就職活動の頃にはあいさつ出来なくなっている人が珍しくありません。
 
 理由は「長年あいさつをしていなかったから」でしょうか。小さい頃にあいさつを習っても、あいさつ抜きの生活を続けていればあいさつの習慣は失われてしまいます。しばらく意識すれば再マスターは十分可能ですが、入学式や入社式の直前まであいさつ抜きで暮らしていて、翌日から元気の良いあいさつをしようとしても無理です。「あいさつの魔法」の恩恵をうけられるか否かが死活問題となるような、新しい人間関係になじんでいく時期に、満足にあいさつ出来ない状態で挑むのは拙すぎます。
 
 これでは「あいさつの魔法」の恩恵ではなく「あいさつをしない呪い」を蒙ってしまいそうです。「あの人、あいさつも満足に出来ない人なのかしら?」「今、話しかけるとまずい雰囲気なのかな?」などと思われてしまうたび、コミュニケーションの成功確率はペナルティを受けます。一日一日のペナルティは僅かでも、4月、5月、6月と積み重ねていけば相当のもので、多くの人間関係を湿らせ、腐らせてしまうことでしょう。“あいさつしないと、呪われちゃう”んですよ。
 
 そういう意味では、「あいさつの魔法」のCMだけでは片手落ちで、「あいさつしない子、呪われちゃうよ」のCMもやったほうが宣伝効果が高いかもしれません。公共広告機構は、昔、『もったいないお化け』や『ごめんなさいいえるかな?』といったおっかないCMも作っていましたから、その手のCMづくりはお手の物でしょうし。
 
 あいさつをして「あいさつの魔法」の恩恵が得られるようなコミュニケーション場面であいさつを怠ると、「あいさつしない呪い」を被る;このことを教わらないまま社会に出るのは割と惨いと思うので、もっと広く知られたほうがいいなと思います。