シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

自分は常に合理的・理性的だと思いたがる人達

 
 「自分はつねに合理的・理性的に判断する」という前提でモノを語る人を見かけますが、あれってどうなんだろう?って思いませんか。
 
 
 「自分は冷静に公平な議論ができるし、そんなの簡単だよね」という人や、
 「自分が損をしない選択肢を合理的に選べないやつはアホだ」という人。
 インターネット上でも居酒屋でも、こういう人をよく見かけますよね。
 
 
 だけど、それってホントに簡単なことなんですかね?
 
 ああ、なるほど、“自称、冷静な議論者”さんや“自称、合理主義者”さんには簡単なことなのかもしれない。だけど、世間で暮らしている大半の人達のうち、自分の馴染みや贔屓に否定的な見解に直面した時にも冷静公平でいられる人ってどれぐらいいますか?損をしない選択肢を合理的に選べる人ってどれぐらいいるでしょうか?例えば、あなたはどうですか?
 
 

じゅうぶんな情報が自分に与えられているという“思いこみ”

 
 ほんらい、合理的・理性的に判断するには、合理的に判断するに足りるだけの情報が手元になければなりません。けれども実際に手に入る情報の精度にはピンからキリまでありますし、充分な情報が与えられていると確信できる状況のほうが少ない筈です。だというのに、自分が集めた情報が信頼に足りるクオリティなのかを確かめようともせず、いきなり「俺様は合理的に判断できる・理性的に判断できる」って思いこむ人、多いんじゃないでしょうか。
 
 例えば2ch系まとめサイトを一読する・twitterの非公式RTで伝わってきた一文を見ただけで決断するって、こんなのは端から合理性も何もあったものじゃないわけですが、案外、そういうことを平然とやっている人が、「自分は冷静に公平な判断ができます」なんて胸をそらしちゃってるパターンって多いように見受けられるんです。
 
 あるいは彼らは、マスコミが伝える情報は“偽物”で、2chやtwitterから伝わってくる情報は“本物”だから、俺様には真実が与えられている、とでもいうのでしょうか?もし、そのような思いこみが何処かにあるとするなら、既にその思いこみ自体が非合理的であり、非理性的であり、感情的だと言わざるを得ません。
 
 2chやtwitterから得られる情報が有用な場合も勿論あるでしょう。ですが、それらはしばしば断片的で、情報の根拠も不明確なことが多いものです。“個々の情報に注目はしても、判断はあくまで慎重に”というのがまともなネットリテラシーだと私は思うんですが、どうも、そういうことをしないで脊髄反射的に真偽を判定して「自分はつねに合理的で“○○”は間違っている」と思いたがる人が後を絶ちません。そんな調子だからでしょうか、これまでにも何度か、ネット上でデマが流行るという現象を見かけることがありました。例えば2010年チリ大地震の際には、twitter上では随分と様々な“津波情報”が飛び交いましたが、そのなかから妥当性の高いものを鑑別するのは難しかったと記憶しています*1
 
 

感情やコンプレックスに左右されるリスクを否認している

 
 それと、どれだけ情報に恵まれていようとも、自分自身の感情や情動やコンプレックスによって判断がいくらでもブレるって可能性を、多くの人が全く計算に入れてないのも不思議です。
 
 私自身もそうですが、自分の感情とかコンプレックスって、他人からはよく見えても自分自身には見えにくい、いわゆる“灯台もと暗し”じゃないですか。理性的判断がどうしても困難になってしまうような、情念の盲点のような領域が、誰にだって一つや二つは必ずあるものです。
 
 そうでなくても、人間は気まぐれに出来ています。その場の状況や天気によって、気分なんてすぐに変わってしまいます。情念、気分、コンプレックスetc…。こうしたものが、いわゆる合理性や理性的判断に対して強烈なバイアスとなってかかってくるのが人間の常というものです。
 
 だからこそ然るべき訓練や習慣づけによって、合理的・理性的判断を研磨していきましょうという方向性自体は私も賛成です。しかし忘れてはならないのは、合理的・理性的判断を研磨してバイアス混入を少なくすることは可能でも、ゼロにするということはほぼ不可能、という点です。いや、ゼロにできないからって悲観する必要は無く、自分が専攻している分野でなら大丈夫だとか、自分自身が過つこともあるという前提にたって行動する分には、問題を最小化できる筈なんですけど。
 
 ところがどっこい、こうした情念や感情やコンプレックスの忍び寄りに対して無防備すぎる振る舞いをしているのに、「私は冷静だ」と主張している人達がいるわけですよ。
  
 これって、ほんとに合理的、理性的、なんですかね?
 
 初代ガンダムに出てくるガルマ大佐が、冷汗流しながら「私は冷静だ…」と口走れるぐらいには、人は情念に揺さぶられている最中でも、自分自身を冷静だと思いこめるものです。あんな風に情念の虜になってしまっている状態を、あなたは嘲笑するかもしれませんが、誰の人生にだって、情念やコンプレックスの虜になってしまっている状態のひとつやふたつ、ある筈です。そういった可能性を認めず、情念やコンプレックスによるバイアスをひたすら否認し続ける態度というのは、あんまり合理的・理性的な見方ではないように私には思えます。
 
 情念やコンプレックスの混入に対して用心深い人であれば、自分の判断力を完璧だと思いこみすぎずに済むかもしれませんが、自分だけは情念やコンプレックスに左右されないと思いこんでいる人は、自分自身が感情やコンプレックスによって幾らバイアスづけられていても、それを認めようとしないでしょう。そういう人が、ガルマ大佐を嘲笑しているのをみると、ああ、この人は自分の盲点をガルマ大佐に投影して安心してるんだろうなーなどと思います。まあ、それはそれで有用な不安解消法かもしれませんが、合理的・理性的を自認する人の身振りとしては、ちょっと迂闊なんじゃないかとも思います。
 
 

あんまり己の理性を過信しないのが一番

 
 そんなわけで、一番マシなのは自分を過信しないこと、これに尽きるでしょう。
 
 情報収集上の限界や、情念やコンプレックスのバイアスの混入をじゅうぶんに踏まえて、理性的・合理的判断の主体者としての自分には限界があることを認め、過信や万能感に溺れすぎないようにすること。その限界を意識したうえで最善を尽くしていくこと。簡単なことのようにみえて、自分自身を過信することが習慣になっているネットユーザーには難しいかもしれません。でももうやめましょうよ、その、百害あって一利無しの、思いこみは。
 
 自分自身をいい加減な生き物だと思って暮らしてたほうが、過ちが少ないだけじゃなく、絶対ラクですって。