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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「オタク」の定義は多様化しても、「キモオタ」の定義は多様化しない

オタク趣味

 
 一言で「オタク」と言っても、実際どういうオタクなのか全く分からない今日日のご時世。
 2006年、オタクという言葉の多様性と用法の混乱はどうにもならないレベルになっており、自称オタクも他称オタクも統一感の無いこと甚だしい状態となっている。とりわけ2005年前後からの「第二次萌えブーム」以降、その傾向は顕著なものになっていると私は感じている。
 
 だから例えば83年生まれの私から見た同世代とヲタク - 記憶のメモ帖といったオタクさんが「こんなオタクもいるんですけど」と声をあげることは自然だし、実際、id:kir_royalさんがオタクを自称する事にそれほど違和感を覚えることもない。
 
 しかし、何年経ってもあまり変化せず、一定の意味合いを保持し続けている「オタク」はやはり存在している。それは、「該当オタク分野をろくに消費しない人間が、あのオタクは気持ち悪い」と見下げるときのオタクの定義である。いわゆる「キモオタ」や「きんもーっ☆」などといった、侮蔑的なニュアンスを込めてオタクを指し示す際のオタク像には、経年的な変化がみられない。
 
【多様化した自称オタク、相変わらず一様な他称キモオタ】
 
 1995年当時と2006年現在を比べても、いわゆるキモオタという言葉が誰かから誰かに投げかけられる時の、

・服装や身だしなみも含め、コミュニケーションスキル/スペックに難がある(あいつはキモい)
・消費コンテンツまたは消費形態が理解・許容を超えている(あいつは理解しがたいことをやって悦に入っている)

 というニュアンスは殆ど変化していない。オタクが好意的に語られる場合には必ずしも上のニュアンスを満たしてはいないが、オタクを貶す時の「キモオタ」というニュアンスには、上の二つの意味が必ず含まれている。メディアがオタクをコケにする場合や、「フィギュア萌え族」のようにオタクバッシングに走る場合も同様である。必ず上記のニュアンスが込められている。つまり、自称ではなく他称としてオタクを貶める時の「キモオタ」のニュアンスはこの数年間ずっと変化していない。*1
 
 よく考えてみれば、自称としての「おたく」「オタク」はニュアンスが昔から曖昧で、なかには結構良いニュアンスで用いられる場合も多かった。自称「おたく」「オタク」のバリエーションは、過去から現在に至るまで、実に多様である。オタク趣味だけのモノカルチャーなオタクだけでなく、オタク趣味掛け持ちの人もオタクを自称していたし、斉藤環先生すら「おたく」を自称していた。オタク趣味を仕方なく選んだ人も、オタク趣味を能動的に選んだ人も、オタクを自称している。二次元美少女を好む人も、鉄道好きも、映画や洋楽が好きな人も、オタクを名乗ることは十分に可能だったし、現在でも名乗っている。かつてはマニアという語彙が相応だった人達も、エヴァブームから数年間だけオタクコンテンツを消費した程度の人も、一人称としての「オタク」をバンバン使うのが2006年の状況である。エヴァンゲリオンのパチスロでアスカのことを「アスカちゃん」などと呼び習う輩すら、今じゃオタクを自称しかねない。そんな、自称オタクの氾濫を前にして、「ここからここまではオタクです。ここから先はオタクじゃない一般人です」などという線引きを行うのは極めて困難である。
 
 一方、自称ではなく他称としてのオタクはどうか。とりわけ、「キモオタ」をはじめとする、蔑称としてのオタクはどうだろうか。何も、本当に何も変わっていない。キモオタはキモオタのままである。「脱オタクファッションガイド」などの普及によって秋葉原のオタク達の服飾が変化しようとも、はたまたid:kir_royalさんのようなハイブリッドな趣味趣向を持ったオタク趣味愛好家が増加しようとも、

・服装や身だしなみも含め、コミュニケーションスキル/スペックに難がある(あいつはキモい)
・消費コンテンツまたは消費形態が理解・許容を超えている(あいつは理解しがたいことをやって悦に入っている)

 といった人物は相変わらず誰からも敬遠され、嘲笑され、侮蔑され、「キモオタ」のレッテルを貼られつづけている。私達が嫌悪感を込めて「あいつホントにオタだよなぁ」「あいつはキモオタ」と言う時の他称オタクに関する限り、ほぼ完全なコンセンサスが得られるのではないか?オタク趣味愛好家が「あの人、キモオタだよね」と囁く時も、非オタク趣味愛好家が「てめぇキメぇんだよこのオタク」と蔑むときも、「キモオタ」という言葉に込められたニュアンスはそう違わない筈である。
 
 結局、いかに自称オタクが多様化しようとも、いかに(ライトな)オタクコンテンツが世間一般に流通しようとも、侮蔑的ニュアンスを込めて「あいつはオタクだ」という時のオタク像はかわりないのである。漫画ブリッコの『おたく』の研究から一歩も先に進んでいないとさえいえるだろう。id:kir_royalさんのような優雅な世代が現れようとも、脱オタファッションが普及して秋葉原の服飾アベレージが変化しようとも、キモオタはやはりキモオタのままであり、侮蔑の視線も侮蔑の対象も変わることが無い。“コミュニケーションに難があって”“しかも「なにがいいのか分からないことに血眼になっている”人は、(オタク趣味の深い浅いやジャンルに関わらず)「おまえキモオタ」と一括りにレッテル貼られて終了である。
 
【オタクの社会適応技術を追求する身としては】
 侮蔑されがちなオタクの社会適応技術を追求する私にとって、自称オタクが云々というのはやはり大した問題ではない*2らしい。それよりも、「キモオタ」というレッテルを貼られた(または今まさに貼られている)人が回避したいと思っている内容が今も昔も変化せず、そういう「キモオタと呼ばれて屈辱感に苛立っているオタク」が数の違いこそあれ確かに存在しつづけていることにこそ注目する。自称オタクのニュアンスがどう変化するのかに関わらず、侮蔑されがちなオタク(つまり他称としてのオタク)達が回避したいと思っている侮蔑の視線は今も突き刺さるように痛々しく、よって、脱オタをはじめとする「侮蔑されるオタクが、少しでも楽に生きていく為の技術論」は一定のニーズを担い続けるに違いない。

[参考]:オタクの趣味カーストに関するかなり古い記事(汎適初期の記事)
[関連]:性的欲求を伴うオタクとそうでないオタクをはっきり区別する言葉 - fujixeの日記
[関連]:一貫性無し、書き散らし - kj日記 二束三文版
[関連]:プチ『萌え』化しているのはオタク『コンテンツ』か、オタク『達』か?(汎適所属)
 

*1:これは2chやネット上でも一貫した特徴として見受けられる

*2:文化現象としてのオタクを研究する場合は重大な問題の一つだが