シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「荻上さんに自己投影し、トラウマ克服のファンタジーを楽しむ」という構図

 
 『げんしけん』八巻を貪るように読んだ。いい話だなぁ。『げんしけん』は、ぬるオタコミュニティのネガティブな面を丁寧に除去し、楽しさと可笑しさに焦点をあてて描写したファンタスティックなオタク漫画だが、この八巻における“荻上恋愛物語”もまた、理想的なオタク物語に違いなかったと思う。
 
 この、“荻上恋愛物語”をかいつまんで説明すると以下のようになるだろうか。

 オタクならではのトラウマ体験を刻み込まれた荻上は、オタクとしての自分に自己嫌悪を抱きつつも、どうしてもコミケ通い・同人趣味をやめる事が出来ずにいる。そのため、自分だけでなくオタク趣味・オタク仲間に対しても屈折した勘定を抱え続けている。
 
 しかし、大学の現視研で異性(ささやん)に出会い、不器用ながらも惹かれる荻上。最初は頑なな彼女だったが、ハードなやおい趣味のカミングアウトと承認を通して、遂に過去のトラウマを克服しはじめる。オタクとしての自分自身に折り合いをつけながらの、オタクカップルとしての新しい生活が始まった…。

 
 何という美談!いやぁ、いいお話です。オタクな自分としては、すっかり陶酔してしまったわけだけど、はてさて、どうしてこんなに酔っちゃえるのか。どうしてこんなに荻上はかわいらしいのか。http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20060824/1156426815といった意見もあるが、私は以下のように考える。中高生時代にトラウマを持っていてオタク趣味にも屈折した感情を抱えている男性オタクにとって、荻上が感情移入の対象として恰好の素材なんじゃないか、と…。
 

【『げんしけん』をファンタジーとして消費するオタク男性層からみた荻上】
 斉藤環先生に指摘されるまでもなく、昨今のオタク男性には女性キャラに自己投影することにさして困難を覚えない人が多い。少なくとも、そういうオタク男性は少なくない。そんなオタク男性達*1の中高生時代というものはどんなものだったのか?荻上の抱えていたものと種類こそ異なれど、クラスのみんなに小馬鹿にされたトラウマならば少なからぬオタクの心中に堆積しているだろうし、『げんしけん』をファンタジーとして消費したがるオタク層の多くにとって、現実のオタクライフというものは、オタク趣味・オタク自己を素直に肯定出来ない屈折をしばしば含んでいる。荻上というキャラクターは、女性ながらも、こういったオタク的葛藤やオタク的屈折を重ねる対象としてなかなか優れていると思う。荻上がファッションやコミュニケーションにも疎いツンデレキャラであるという点も、オタク男性の自己投影にはいかにもおあつらえ向きだ。
 
 
【荻上補完、というファンタジーを消費する男性オタク達】
 このように、荻上はオタク男性が感情移入するキャラクターとして非常に適した特徴を有している。少なくとも、荻上に類似した屈折なり傷痕なりを持ち、コミュニケーションや恋愛に不器用な男性オタクは『げんしけん』読者には大勢いると私は確信している。
 
 この、荻上さんが、自分のオタク趣味をパートナーに肯定してもらいながら、不器用な恋愛物語を進めて行くんですよ、奥さん!そりゃあ気持ちいいってもんでしょう!過去のオタクトラウマを友達に告白し、優しいパートナーにハードやおい趣味を認めてもらい、そのうえ初めての男女交際が始まるという『げんしけん八巻』の物語は、荻上に自分を自身重ねる事が可能な読者にはまさに夢物語と言えるだろう。試みに、荻上を男性に変換し、ささやんを女性にして、今回の物語をなぞってみると、以下のようなストーリーになる。
 

 【例えば男女逆の感情移入だと】
 荻上(男)は、中高生時代からずっと、侮蔑されるオタクとしての不遇の日々を送っていた。そんな自分をどうしても好きになれない荻上(男)。だが、かと言って大好きな陵辱エロゲーを忘れることも出来ず(勿論そんな自分が大嫌い)、フラストレーションを溜めながらオタク界隈を徘徊するのであった。
 
 しかし大学に進学し、“現視研”という男女混在の(夢のような)オタクサークルに入ったことによって彼の運命は変わっていく。オタク趣味を肯定してくれる仲間達、そして優しい異性との出会い。ささやん(女)に心惹かれながらも、自信も持てず、素直にもなれず、トラウマの痛みも忘れられない彼だったが、心溶かすやりとりの末、遂に陵辱エロゲー趣味をささやん(女)にカミングアウトする決意をする。
 
 「これはこれでひとつの確立された世界観になってて…」
 「でもここはあえて 強気でいかせていただきます!」
 
 ささやん(女)は優しかった!陵辱エロゲーを好む荻上(男)も、陵辱エロゲーという文化も抱擁するささやん(女)!こうして、荻上(男)の止まっていた時が動き出したのであった!

 
 どうですか?ファンタスティックでしょう!こんなに美味しい感情移入を、侮蔑された記憶を持ったオタク達がみすみす見逃すとは思えない。理性が拒否しても、ついつい移入してしまうオタクが沢山いるんじゃないのかなぁ。かわいくて不器用な女の子に自分を重ね、オタク的シンデレラストーリーに酔うというのは、いかにも気持ちの良さそうだ*2。しかも、『電車男』のように、オタク趣味を捨てて非オタクの価値観に飛び込んでいくのではなく、今のオタな自分とハードなオタク趣味の両方を肯定して貰って男女交際が始まっていくという辺りがえげつない。『電車男』は、オタク趣味・オタク界隈を必ずしも肯定的に捉えているとは言い難く、オタク趣味を離れられないオタクにとって喉に引っ掛かるものがある作品だったが、『げんしけん』は逆にオタク趣味・オタク界隈のおいしい所をかき集めた作品なので、女性キャラに自己投影するというオタク的作法を知ってさえいれば、違和感なくファンタジーに没入できる点で優れている。
 
 加えて、ささやん側にも感情移入して「受け」と「攻め」の両方を堪能するというdouble upが可能なオタクは、「荻上としてトラウマを克服し、自己承認を得る疑似体験」と、「ささやんとしてツンデレ娘に優しく接して恋愛成就する疑似体験」の両方を楽しめるんだからたまらない。この両方の自己投影を代わる代わるにやらかせるオタク*3にとって、『げんしけん』八巻はオタクファンタジーとして出色の出来映えだと思う。『電車男』なんてペペペのペー!といったところか。荻上への自己投影が可能なオタクにとって、これはすごいファンタジーですよ!消費して、ガンガン自己陶酔しちゃいましょう!ファンタジー!ファンタジー!
 
【まとめ】
 ああ、やっぱり『げんしけん』は素晴らしい作品だ。これほど、オタク界隈を明るく楽しく気持ちよく描いたファンタジーは滅多にあるものではない。とりわけ、この八巻のオタップル誕生物語は、ささやん側に感情移入するにしても、荻上側に感情移入するにしても、とても気持ち良い夢を提供してくれると言えよう(勿論、両方に代わる代わる没入出来るアナタは最強!)。オタクのトラウマを克服する快感・オタク趣味への屈折した感情を異性に認めて貰う快感・ツンデレ娘を優しく遇してオタップルになっていくという快感、などなどを一挙に獲得できる『げんしけん』八巻。そして笹原×荻上というカップリング。いやぁ、いい夢みせて貰いました!
 
 
[わりと似た視点]:http://d.hatena.ne.jp/Su-37/20060826(荻上関連の所)
 

*1:とりわけ、東浩紀分類でいけば第三世代オタク男性達

*2:どっでぼきぼぢい゛い゛よー

*3:そして、そういうオタクは決して少なくないと思う