シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「空気嫁」と言われない為の必要条件(の一部)

 
 空気嫁。
 
 「空気を読め」という表現には様々なニュアンスが込められているが、少なくとも、以下の項目ぐらいを守りきれない者は「空気読めない奴」というレッテルを貼られやすく、余程特殊な「使用用途」が無い限り、不人気というよりは邪魔者扱いされやすくなるだろう。“ごめん、私ちょっと忙しいから”とか、“君、もう来なくていいよ”って感じの言葉を頂く羽目になり、誰からも相手にされない。
 

  • 1.その場に参加している他者の、インセンティブや動機やコンディションへの気づき

 
 2chであれデート中であれ会議中であれ、自分以外の人間が「何故そこにいるのか」「何故そうしているのか」「今どんな塩梅なのか」に気付かない人間・配慮しない人間は、他人の都合お構いなしに振る舞うに違いなく、はた迷惑で自己中心的な存在と思われることを避けられない。風邪をひいて辛そうな人に肉体的負担を強いているのに気付かない人は、その風邪をひいている人に恨まれる。会議の参加者誰もが危機感を持っているのに、それに配慮しないでヘラヘラしている奴は疎まれる。或るゲームに好意的な2chのスレッドで、そのゲームをボロクソに貶し続ければウザがられる。だけど空気が読めない人は、その事に気付かないし気付けない。可哀想なのは本人ばかりではなく、周囲の人達も対応に苦慮することになる――日本的な雰囲気のなかでは“誰も猫の首に鈴をつけたがらない”ので、集団内の暗黙の了解のもと、消極的サボタージュやハラスメント等によって、本人のほうから身を引くようにプレッシャーをかけていくのが“大人の対応”ということになるか。
 

  • 2.場における議論や共感がどちらの方向を向いているのかへの気づき・派閥への気づき

 
 1.の延長線上として、その場のdiscussion・クネクネ・マッタリがどういう向きを向いているのかを把握出来ていない人は、空気読めない人の筆頭格として(悪い意味で)注目を集めることになる。真剣な討議でゲラゲラ笑う人、趣味追求にみんな必死の場でやたら色目を使う人、親睦を深めリラックスする集まりで堅苦しい論戦を仕掛ける人、などは、参加者の殆どから一斉に「わかってねー奴」「場を壊すなよ」と思われ、空気が読めない奴というレッテルを貼られるだろう。なにせ全員の動機・インセンティブ・状態を黙殺した行為である、好感度が一斉に下がるのはもう殆ど避けられない。
 
 “その場がどういうための場なのか”という、視覚的にはみえない空間*1を把握せよという点で、「空気を読む」というレトリックに最も近い要請だが、実際は、1.の延長線上または1.の集団版に過ぎない。1.が出来る人ならば、2.はそれを参加者全員に応用すれば問題ない。いや、1.が出来ないからこそ2.も出来ない人が多いわけだけど。
 

  • 3.言語化された情報と、非言語化している情報の把握と比較

 
 西欧・中東の文化圏や言語オンリーのネット空間ではともかく、日本においては言語化された情報が他者の真意であるとは限らない*2。特に女性においてはこの傾向はより顕著で、言葉でYesを言いながら表情や声音でNoを表出している事が少なくない。男性相手やネット上では「空気読める」けれど女性が絡むと全く駄目な男性のなかには、この(大雑把に言えば)二種類の情報取得が出来ていない人が多い。あるいは二種類の情報を取得してはいても、どちらが本命の情報なのかを考慮しきれない行動を繰り返していると言える。唇の端が歪んでいるとか瞳孔が散大しているとかいった、細かで重要な非言語情報を見落としているようでは、「私のことをあんまりわかってくれない・察してくれない」と言われる可能性が高い。なお、女性達は噂話が大好きなので、誰かがそう思いこんだら、噂は社内の多くの女性が“共感する”ことになるかもしれず、そうなってしまったら何かと面倒が増えやすくなるだろう。
 

  • 結局

 
 「空気が読める」という事には、1.場に参加している参加者の言語/非言語情報から、参加者各人の意図・インセンティブ・状態を把握し、2.それに合わせた行動をとれる事*3、が求められているように思えてならない。もちろんそれだけでは空気を読み切ったことにならないけれど、最低限要請されるものの一つとして、こうした「他者の把握とそれに合わせた行動選択」は不可欠で、それが出来ない人は空気が読めない人とレッテルを貼られやすくなるのは間違いない。任意のコミュニティのなかで、「空気が読めない」というレッテルを貼られることは、そのコミュニティにおいて軽んじられ、疎まれ、邪魔な人間とみなされる可能性を飛躍的に高めてしまう。個人個人の所有する文化的背景が多彩な現代コミュニケーションシーンにおいて「空気を読む」のは必ずしも容易ではないけれど、空気が読めないほど社会的状況においてペナルティを負いやすくなるし、逆に言えばそれが達者な人ほど大きなアドバンテージを獲得出来るだろう。
 
 他人への気遣いやボランティア精神ではなく、自分自身の社会的ポジションと利益を守るためにも、読めない空気をなんとか読んでいかないと。
 

*1:いや、実際は視覚的にもよくみえる。みえない人にはみえなくても、みえる人にはちゃんとみえる。

*2:だけど言語オンリーじゃ足りないと言いたげに、やたらと顔文字やAAが発達してるよなぁ、この国

*3:必ずしも、とる、とは限らない。合わせられても、敢えてそれに合わせない選択肢が無いわけではない。だが、敢えて合わせない選択肢を選ぶ場合にも、自らの意図を達成するには「空気を読んでおいて」それを踏まえた言動を選択しなければならない