ゴールデンアワーのバラエティ番組が、周回遅れの「話題の動画」を放送していた。NHKの、それよりは若干真面目そうな番組が、twitterのネタをテレビっぽく切り取って放送しているのも見かける。テレビで動画やtwitterの切り貼りをみると、なんだかまとめサイトみたいだな、と思えてしまう瞬間がある。いやいや、かかっている金額や放送される帯域の広さを考えれば、それはまとめサイトと同列のものではないのだけれども。
かつて、志村けんは素人の投稿したホームビデオをテレビコンテンツとして成功した。当時はもちろんインターネットが普及していなかったから、志村けんのあの番組、あの企画にはオリジナリティがあった。今はそうでなく、まず素人が投稿したコンテンツがインターネットにあって、そこで人気を獲得した上澄みが、テレビ番組に紹介される。
テレビはテレビであってネットではなかったはず。
それでもテレビが「まるでネットのようなことをやっている」と感じる場面が増えた。あるいは「テレビがまとめサイトっぽいことをやっている」というか。
p-shirokuma.hatenadiary.com
2015年の正月に、私は「ネットがコミケからテレビになった」と書いたけれど、実際、2020年のインターネットはマスメディアに匹敵する影響力の源泉として幅をきかせている。ネットの広告収入がテレビのそれを上回ったというニュースがそのことを象徴している。
しかし、いまどきのテレビ番組を改めて視聴する限り、ネットがテレビになっただけではなかった。テレビもまたネット的になった。少なくともテレビ番組のある部分はまとめサイト的になり、テレビに映るタレントがユーチューバーのように見えることが増えてきた。
こうしたテレビ観は、一部分、新型コロナウイルス感染症によって強調されていることだろう。
というのも、志村けんを含む有名人が感染症に倒れ、"いわゆる三密"を避けなければならない空気ができあがり、テレビ番組が今までどおりに収録しづらくなってしまったから、テレビは今まで以上にネットに頼るか、動画を作るようにテレビ番組を作らざるを得なくなっただろうからだ。
そのことを差し引いても、今時のテレビ番組のなかには「有名人や公共電波を使って『まとめサイト』をやっているとしかいいようのない」ものが見受けられ、これが本当にテレビの価値なのか、このまとめサイトっぽい番組をとおしてテレビメディアはいったい何をお茶の間(死語だ!)に届けようとしているのか、判断に迷うこともあったりする。
テレビのなかの人たちは、まとめサイトのような番組にも価値があり、公共放送に乗せ、インターネットの届かない人々にもシェアする価値があると考えているのだろうか?
そうかもしれない。そして民放の場合、スポンサーもそのことを支持しているのやもしれない,。
だとしても、ネットで素人が生み出したコンテンツは本来ネットメディアが原産地なのだから、テレビが取り扱うより、ネットで生まれネットで拡散しネットで消費されるのが自然なことではなかったか。また結局のところ、メディアのプレゼンスという点では、これは、テレビがネットに塩を送っている、またはテレビがネットに膝を屈しているようにもみえる。
私は昭和時代の人間だから、ネットが好きであると同時にテレビにはテレビであって欲しいと願っている。しかし現代のテレビはときどきテレビというよりネットっぽいから、テレビって一体なんだったっけ? と思ってしまうことが割とよくある。abemaTVやネットフリックスが独自の番組をつくり、ユーチューバーたちがバラエティ芸人のように立ち振る舞っているのだから、もう、テレビという言葉にこだわるべきではないのかもしれない。それでもテレビにはテレビであって欲しいと思ってしまう。テレビは昔、まさにテレビだったのだから。