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痛ましい事件があった。これについて、アイドルとして活躍している方のtogetterを発見し、読みながら色々なことを考えた。
togetter.com
「アイドルの“なかのひと”は生身の人間だが、アイドルは生身の自分自身を売っているのではなく、キャラクターを売っているのだ。ファンはそのことをキチンと心得て、売られているキャラクターを愛好することはあっても、生身の人間を好きにして良いわけではない」。
正論というほかない。アイドルは「商品」を提供しているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。そこをファンが勘違いし、商品以上の関係を要求するのは間違っている、というのはそのとおりだと思う。
アイドルに恋心を抱いたり、あまつさえ「自分のものにしたい」などと思ったりするのは、商品と商品提供者の違いをわきまえない低リテラシーなファンである。大抵のアイドルファンはそのような低リテラシーではないし、たとえ低リテラシーだったとしても、アイドルの“なかのひと”に危害を加えて良い道理など無い。許しがたい所業である。
ところが、現代のアイドルは「関係性」をウリにしている
以上を踏まえたうえで、本件をとおして考えたことを書き記す。というより前々から考えていたことを、印象に残っているうちに言語化しておく。
アイドルは、ファンに偶像 idol を売るサービス提供者だ。契約社会の理屈から言えば、ファンはアイドルが商品と定義しているイメージやキャラクターにお金を払っているのであって、人身売買的な意味で“なかのひと”を買っているわけではない。このあたりはリンク先のtogetterに書いてあるとおりだ。
では、アイドル、とりわけ現代のアイドルが売っている商品・偶像・キャラクターとは何なのか?
「アイドルとファンは商品を売買している」と言うのはたやすい。
だが、実際にアイドルが売っているのは音楽CDやファングッズだけではない。握手会で目と目を合わせる仕草・SNSでリアクションをもらえるかもしれない可能性・“あなたの間近なアイドル”というイメージ、そういったものも実質的にアイドルは提供しているし、ファンの側もまた、そういったものも込みでカネを払っている。
アイドルの売る商品のうちに“あなたの間近なアイドル”というイメージやキャラが含意されているということは、ファンとの関係性までもが商品として売買されている、と言い換える余地があるということだ。
かつてのアイドルは、ファンから遠い存在だった。商品としてのアイドルは、テレビや雑誌や音楽CDにパッケージされたかたちで売買されていた。もちろん、過去のアイドルにも間近さを売る場面はあった――ラジオやファンとの交流会などがそうだ――が、アイドルとファンの関係性を近しいものとする機会とメディアは限られていた。
一方、現在のアイドルはテレビや雑誌や音楽CDをはみ出した存在でもある。握手会でファンの目を覗き込むこと、SNSでコミュニケーションすること、そういったものも含めてキャラクターを売り込んでいる。
日本で最も成功したアイドルグループからして、そのような間近さを含めたキャラクターを売っているのだから、この問題は根が深い。今日日、「私はファン獲得競争に勝つために関係性を売ったりしません」と言い切れるアイドルがどれぐらい存在するのだろうか? そして、そのような潔癖なアイドルを、ファンは本当に求めているのだろうか?
繰り返すが、アイドルファンはアイドルが売る商品を購入しているのであって、アイドルの“なかのひと”を人身売買しているわけではない。契約社会の論理に従った、適切なリテラシーをもって商品だけを受け取るべきである。
だが、現実にアイドル達が商っているのは、“あなたの間近なアイドル”という、関係性を含んだキャラクターなのである。アイドルファンに対して「商品だけを買ってください。私はあなたのものではない」と要求する一方で、売買されているキャラクターのなかには「私はあなたの間近なアイドルです。関係性の近しいキャラクターです」というニュアンスが拭いがたく含まれている。なんという矛盾!
考えようによっては、現在のアイドルは、契約社会の論理を盾にしながら密かに関係性を商っている、とも言える。親近感を帯びたキャラクターを売ってカネにする一方で、「あなたは私を友達や恋人と勘違いしてはいけません」と線を引くのは、契約社会の論理には適っていても、心理的には矛盾している。その矛盾を一種の前提としてアイドル商売が成り立っているのも事実だが、これは、ファンに高いリテラシーを要求する構図だ。SNSを使った“ファンとの交流”に熱心で、親しげな振る舞いをどんどん露出させているアイドルなどは、特にそうだろう。
今回の事件のような、アイドルとの関係性を誤解した挙げ句に危害を加える人間は稀だろうし、そのような人物は、アイドルが間近な存在としてキャラクターを切り売りしはじめる前から存在していた。だから、本件の主因としてアイドルとファンの関係性を挙げるのは適切ではない。ただ、冒頭のtogetterに書かれているほどにはアイドルが売買する「商品」はシンプルではないし、高リテラシーを要求する商品を不特定多数に・不問のうちに売りさばくとはどういう事なのか、この機会に考える必要はあるだろう。
「関係性」を売っているのはアイドルだけじゃない
こうした関係性を売っているのはアイドルばかりではない。
SNSでたくさんのフォロワーを抱えている人・動画配信で自分自身を売り出している人も、間近な関係性を連想させるキャラクターをウリにしている場合があるのではないか。
最近は、ブログや動画配信でお金儲けをしようとする人も多い。本業か副業か、儲かっているか否かはともかく、誰もが自分自身のキャラクターを不特定多数に「商品として」提供できるようになっている。
YouTubeテーマソング/ヒカキン&セイキン
YouTubeのテーマソングは、そのことをよく象徴している。
誰でもブロードキャストして誰でも夢を掴める時代とは、誰もがキャラクターを売れるようになった時代でもある。金儲けを目指すのでなく、知名度や承認欲求を求めている場合も大同小異である。
むしろ、アマチュア配信者がブロードキャストするほうが“あなたの間近なアイドル”というキャラクターを無意識のうちに売り物にしてしまう可能性が高いかもしれない。事務所やマネージャーを欠いているため、キャラクターという商品と“なかのひと”という人間を管理するシステムも弱い。こうした問題に対して無防備な人はとことん無防備だ。
そのようなアマチュア配信者とて、まったく人気が無いうちは心配する必要は無いのかもしれない。だが、少しずつ人気を獲得し、不特定多数のファンの目に曝されるようになれば、どこまで関係性を売り物にしているのか、どこまで低リテラシーなファンに勘違いされないための用心をしているのかが問われてくるだろう。
“なかのひと”とキャラクター、商品と関係性の境界が曖昧になりやすい限りにおいて、現代アイドルと無邪気なネットユーザーには一定の共通性が生じるように思う。アイドルが売っている「商品」とは何なのか? 私達がネット越しに配信しているキャラクターとは何なのか? それらによって生じる誤解や摩擦の問題が、私はとても気になる。