「人の目をみて話すのは失礼」という言葉がある。だが、失礼な目線、不適切な目線が失礼なのであって、目をみて話すことそのものが失礼だとは、あまり思えない。例えば憧れのまなざしや同意のまなざしに、失礼な印象を受ける人は滅多にいない。
ところが、人の目に極端に敏感な人が相手の場合は、そうとは限らない、のであった。あらゆる目線に極端な恥じらいを感じる自意識・人に見られてやましい自意識・下から目線の自意識、といった個別の問題が、その人に絶え間ない不満と抑圧気分を生み出している、という事例が少数ながら存在する。このような傾向のある人を見つけたら、目線を幾らか外したほうがお互いにやりやすいかもしれない。…と言いたいところだが、目線を合わせないなら合わせないで、そのことに対して不満と抑圧気分を感じ取ってしまう人もいて、どちらに転んでも不満と抑圧気分が不可避の場合もある。
「人の目を見やがって、失礼なやつだな!」
「人の目を見ようとしないのも、失礼だ!」
目線を合わせるのは、失礼。目線を合わせないのも、失礼。
まさに“ジャングルは地獄だぜ”。