シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

誰が・どこまで「個性」を求めているのか

 
 世間では、いまだに「個性」という言葉が肯定的に語られている。これについて、ちょっと頭のなかを整理したくなったので、以下にメモってみる。
 
1.ほんらい「個性」と呼べるものは、あっちこっちに見つかるものでも、あっちこっちで適応できているものでもないと思う。個性の強い人間は個性が強いぶん、特別な環境や特別な状況で本領を発揮するのであって、どこに行っても適応できるような人間は個性的ではないはずだ。たとえば
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法を出版したid:phaさんはとんでもなく個性的だと思うが、彼が適応できる環境はおのずと限られると思う。
 
 個性的な人間が、その個性を生かし、個性を伸ばしているとしたら、そいつがいる環境や境遇自体も個性的であるはずだ。ありがちな環境・ありがちな状況にノウノウと適応している人間が個性的である確率はあまり高くない。珍しい環境、ユニークな状況に最適化されている人間こそが個性的と呼ぶにふさわしい。
 
 ただし、ありがちな環境を定義するのは意外と難しい。すべての社会環境は、それぞれに特化する限りにおいて珍しい環境、ユニークな状況たりえる。ひとつの環境・ひとつの状況に焦点を絞って徹底的に特化すれば、一見、ありがちな環境・ありがちな状況に適応しているようにみえて、非常に尖った個性ができあがることがあり得る。個性が尖っているか/ありがちかは、焦点の定まり具合の問題であり、特化の程度の問題でもある。
 
 
2.就活採用の際に「個性」なるものを売り物にする人材とは、学生時代の境遇や職歴がユニークで、ある種、つぶしのきかない特化要素を含んだ個人のはずである。「かくかくしかじかの環境・状況で最高のパフォーマンスを叩きだす焦点の絞られた個人」でなければ、本当の意味で個性的とは言えない。
 
 だが、そのような真正な「個性」を、どこまで企業/個人は求めるだろうか。
 
 つぶしのきかない人間、特定の環境に焦点を絞った人間を、企業は、個人は志向するだろうか。そのような人間を選ぶ/そのような人間を目指していくのは、流動性が高くテクノロジーが日進月歩な現代社会においてハイリスクな行為でもある。そのハイリスクを選ぶ勇気を、企業は、個人は、持ち得るだろうか。
 
 対して、企業側としては汎用性の高い個人を選び、個人の側としても汎用性の高い自分自身を目指していったほうが、ローリスクで手堅い成果が得られるのではないか。汎用性の高いコミュニケーション能力を持った、「どこでもうまいことやれる人間」「量産型ザクのような人間」のなんと使いやすいことか!
 
 次々に転職していくことが当たり前になった社会においては、新しい環境に次々と適応することが個人に求められるし、企業側もまた、流動性の高い人的状況に適応するべくそのような個人に頼らざるを得ない。強烈な個性Aの新人が一人入ってきたら即座に不適応に至ってしまうような強烈な個性Bを持った社員を抱えるのは、企業にとって難儀だし、働く個人自身にとっても難儀だろう。
 
 「それでもあなたは、個性的たろうと覚悟できますか」
 
 あるいは、個性Aなり個性Bなりを所持しているとしても、それを活かすためにはコミュニケーション能力にリソースを割かなければならない。次々に転職していく人間がコミュニケーション能力に“ステータスを振り分けない”なんていうのは困難なことだ、いついかなる時も尖った個性を活かすためには、没個性な汎用コミュニケーション能力に“ステータスを振り分けなければならない”矛盾! 人的流動性を前提に入れながら何かに特化する場合は、“ステータス全振り”するほどには、個性をとがらせることはできない。
 
 
3.また、個性は一朝一夕には完成しない。もちろん思春期の段階でガラスのように尖った個性というのは、ある。だが、個性がより個性的であるにはゲーム『Skyrim』でひとつの技能にだけpeakを振り続けるような、ある種の持続性が必要不可欠だ。持続的に個性を彫琢できず、コミュニケーションやら世間やらに呑まれてしまった人間は汎用コミュニケーションユニットとしての性質を増すことこそあれ、個性を伸ばすには至らない。もう一度『Skyrim』の比喩を使わせて頂くなら、さしづめ、話術やら何やら中途半端にpeakを振ったキャラクターのできあがりである。
 
 歳月を経てもなお個性的な個人、もっと言うと歳月によってますます彫琢されていく個性は間違いなく個性的だが、若さに任せて火花を散らしただけで個性と言えるのかは、よくわからない。若い個性の萌芽は愛らしいが、より深く、より強い個性へと完成させていくためには、それ相応の環境・状況・リソースが提供され続けなければならない。たくさんの個性の萌芽が、世間に呑まれて、なだらかになっていく。それがいけないとは私は思わない。それもまた適応であり、原則としては、適応できないよりは適応できたほうが個人は不幸せを免れやすい。
 
 このような「個性の完成には時間がかかる」事実と、昨今の即戦力志向には、相容れないところがある。企業の側だけでなく就職する新人の側もまた「“ボール拾い”や“雑巾がけ”からキャリアをスタートする」心づもりは無い。成果主義がインフレしまくった結果として、企業も個人も一刻も早く「成果」を手に入れたがっているから、数年後に個性と呼べるものが開花することを見越して人を育てる/自分を育てるのは容易ではない。必然的に、「成果」と呼べるものを積み上げてできあがるタイプの「個性」だけが生き残っていくことになる。
 
 それもまた、「個性」には違いない。だが、そのような「個性」が優先的に生き残る場で、数年越しに個性を磨き上げ完成させていくタイプの「個性」をつくりあげるのは容易ではない。逆に考えると、そのような年単位で彫琢される「個性」を磨き上げることに成功した人間は、他の人間が持ち得ないものを持てるかもしれない――あるいはそれが、ガラパゴスでしか通用しないたぐいの「個性」だとしても。
 
 
4.こうやって考えると、今、誰が・どこまでの「個性」を求めているのかが怪しく感じられる。表向きとして個々人の「個性」はあったほうが良いことになっているが、個人も、企業も、あるレベルを超えた尖った「個性」など求めていないのではないか。表向きの言葉どおりに「個性」を求めてガラパゴスイグアナのような「個性」になってしまっても、誰も喜ばないのではないか。
 
 だとしたら、飛び交っている「個性」という言葉の内実は?
 
 たぶん、ガラパゴスイグアナのような「個性」をつくりあげた個人も、そのような「個性」を必要とする企業も、相当に個性的なのだろうと思うし、両者が出会えるなら幸福である。問題は、個人と個人、個人と企業が結びつく手段がコミュニケーションによってのみ定まってしまう社会においては、個人の側も企業の側もコミュニケーションという鎹にステータスを振らなければ、そのような出会いは生じない。さりとてコミュニケーションにステータスを振ってしまえば、さきに述べたとおり「話術やら何やら中途半端にpeakを振ったキャラクター」ができあがってしまう。
 
 ガラパゴスイグアナを育てることも難しいが、彼/彼女に適切な活躍の場をマッチングさせるのも難しい。マッチングの場にのぼるためにはコミュニケーション能力が(個人にも、企業にも)どうしたって求められる。難儀である。
 
 そろそろ時間なので今日はこれぐらいで。また考えよう。
 

「チャンネル登録ありがとうございます」について

 
 いつ頃からか、ブログの末尾に「最後までお読みいただきありがとうございました」「気に入った方はお気に入り登録よろしくお願いします」的なメッセージを頻繁にみかけるようになった。
 
 あれは、一体誰のためのメッセージなのだろう? 更新ごとに読む人間にとって、末尾に「最後までお読みいただきありがとうございました」が目に入るのは、邪魔なことだと思う。毎回のように“自社広告”をみせられているようなものだ。文章のド真ん中にケバケバしい広告をねじ込むブログよりはマシだが、うざったい付属品ではある。
 
 ああいう、自社広告めいたメッセージは一体いつからあったのか?
 
 思い出してみると、アメブロやFC2ブログでは00年代から見かけたように思う。たいして読者のいないブログにも、恐ろしいほど読者を獲得したブログにも、「最後までお読みいただきありがとうございました」はあった。「気に入った方は“拍手ボタン”をお願いします」的なメッセージもだ。珍しいものではない。
 
 もっと遡ると、テキストサイト時代にも、そういうメッセージを厭わないウェブサイトはあったような気がする。あったような気がするだけで、具体的にこれと指し示すことはできないが、とにかく、今に始まった現象でないことだけは確かである。
 
 むしろ逆なのだろう。
 
 私は「はてなダイアリー」「はてなブログ」を愛好し、ウェブ文化的に近しい者同士で親交をあたためてきた。だからつい、自社広告のようなメッセージを末尾に書き加えること(そしてそれらを目にすること)に抵抗感を覚えるけれども、実際には、そうしたメッセージを躊躇わないスタンスこそが、インターネットの本流であり続けたのだろう。
 
 そして、凄まじいPV数を誇るユーチューバ―にしても、毎回のように「チャンネル登録ありがとうございます」的な口上をわざわざ読み上げているのである。
 
 今をときめくユーチューバー達、それもプロ~セミプロっぽい連中までもが自社広告的なメッセージをわざわざ毎回配置するのは、それが望ましい効果をもたらすからなのだろう。そうでなければ、視聴者の貴重な時間を奪い、アテンションを醒めさせるようなメッセージを毎回流すわけがない。
 
 

不特定多数を相手取るなら……

 
 「最後までお読みいただきありがとうございました」「チャンネル登録ありがとうございます」が有効なのは間違いないだろう。では、そうしたメッセージは誰の役に立つのか?
 
 もちろん第一にメリットがあるのは発信者の側だ。できるだけ沢山の読者/視聴者を獲得したい、相手を問わず、どんな人にもコンテンツを見てもらいたい人にとって、そうしたメッセージはリピーターを作り出すための手段となる。
 
 と同時に、初めてブログや動画を訪問した人にとってもメリットが大きいのだろう。「ありがとうございました」と言われて好感度が高くなる人*1もいるのだろうし、不慣れな人でも「お気に入り登録」「チャンネル登録」しやすい。
 
 不特定多数を相手取り、視聴者数をどんどん増やすためには、そういった心遣いが必須なのだろう。もし私が、あらゆる訪問者を自分のブログに引き込みたいと願うなら、そのような努力をすべきなのだ。
 
 

でも、常連さんが好きだ

 
 しかし、私は「最後までお読みいただきありがとうございました」「チャンネル登録ありがとうございます」的なメッセージをなるべく書きたくない。
 
 私のブログの第一の読者は私自身であり、第二の読者は“常連さん”だ。
 
 こうした何度もブログを読む人々にとって、その手のメッセージは邪魔でしかない。ブログに広告を入れると読者の注意が削がれるのと同様、「最後までお読みいただきありがとうございました」的なメッセージを毎回末尾に加えれば、それはそれで常連読者には邪魔になる。もっと大事なことを言うと、第一読者たる私にとって邪魔でしかない
 
 私が自分のブログを読んで楽しむ時に、自社広告のごときメッセージが目に入るなんて、考えただけでも恐ろしい。
 
 更に言うと、私がブログを読んでもらいたい人とは、「最後までお読みいただきありがとうございました」「チャンネル登録ありがとうございます」と言わなくても良いような読者なのだろう、と思う。
 
 さきほど私は、“「ありがとうございました」と言われて、好感度が高くなる人もいるのだろう”と書いた。しかし、そういう仕草で好感度が高くなるという発想は、読者や視聴者がお客様であるという前提にたったものであり、サービスを提供して利益を得る者とサービスを受け取って何かを支払う者の関係を念頭に置いた考え方にほかならない。
 
 はっきり自覚的な場合であれ、人気ブログや人気ユーチューバーを適当に真似しているのであれ、「最後までお読みいただきありがとうございます」「チャンネル登録ありがとうございます」とメッセージをつけている人は、発信者としての自分自身をサービス提供者*2と定義し、読者/視聴者をお客様と定義している、とも言える。
 
 自分自身をサービス業者とみなしたいブロガーや配信者にとって、これは歓迎すべきことなんだろう。
 
 だが、ブロガーとしての私は自分自身をサービス業者と定義したくないし、そのような読まれ方をすることをあまり好まない。と同時に、自分のブログを読んでくれる人達、とりわけ何ヶ月も何年も私のブログを訪問してくれるような人達や、私と同じくブログやtwitterで何事かを書いて楽しんでいる人達に対して、お客さんという意識よりも、もっと対等な何かであって欲しいと願っている。
 
 コミケなんかと同じ、「参加者同士」という意識が捨てられないのだ。
 
 ありがたいことに、「はてなブログ」には、はてなブックマーク機能やはてなスター機能、リンク機能が備わっているので、私は読者との間柄を対等に近いものとして体感しやすい。少なくとも「この人は対等の存在だ」と認知しているアカウントはたくさんある。

 ブロガーとはてなブックマーカーとの関係性も、案外非対称ではなく、お互いに言及し言及されるような――ときには批判したり批判されたりするような――可能性を含んでいる。そのおかげで、私のブログは不特定多数の視線に曝されているというより、アイコンもアカウント名もよく知っている人達に囲まれた状態でブログを書けている、と思う。
 
 しかし、こうやって自らを振り返ってみると、ブロガーとしての私はローカル志向で、広大なインターネットのほうを向いていないのだなぁ、と思わずにいられない。p_shirokumaは“はてな村の弁士”以上でも以下でもないということか。
 
 このような方針でブログを書くことは、今日のインターネットでは古臭いというよりナンセンスなのかもしれない。“お客様”に向かってありがとうございますと何遍も申し上げるのが、今をときめくインターネットスタイルというものだろう。それでも私は、この、不特定多数に開かれているとは言いきれないスタンスによって、救われているのとも思う。お客様に向かってありがとうございますと言うような関係性を、ここに持ち込みたくない。それによって得るものも大きかろうが、失うものあるように思えるからだ。
 

*1:なんて素朴で単純な人だろう!

*2:いや、サーヴァントと言い直すべきか

地元のオタクショップで『月姫』『東方』を手に入れていた頃

 
togetter.com
 
 リンク先は面白いが、解きほぐすとキリのない話だ。ライトノベルやエロゲ―の歴史的経緯に興味のある人は、読んでみても良いかもしれない。
 
 それはそうとして、文中に「同人ゲームを秋葉原で買った/地方では入手が困難だった」というくだりがあった。
 
 たぶん、ここでいう「地方」にはピンからキリまで含まれるだろうから、地方オタクが『月姫』や『東方』を手に入れる経緯もさまざまだろう。
 
 ただ、昔の出来事は書き残しておかなければ忘れ去られていくだけだ。リンク先を読み、私は自分自身の経験談を書き残しておきたくなったので、以下、ツラツラ書いてみる。
 
 



 
1.私が『月姫』を手に入れようと決意したのは2001年の夏頃だったと思う。夏だとわかるのは、2001年8月発売の『君が望む永遠』よりも先に『月姫』を遊んだと覚えているからだ。私は『君が望む永遠』と『Air』の合間の時期に『月姫』に出会った。
 
 『月姫』の情報はインターネットで早くから目にしていたし、東京方面のオタク仲間からも「『月姫』はできるだけ早く手に入れろ」と勧められていた。ところが、この頃の私は研修医らしい毎日を過ごしていて、いくら情報があっても簡単に上京できない状況だった。
 
 それでもどうにか時間をつくり、秋葉原に出てみると……『月姫』は見つからなかった。この頃は秋葉原に行くたびに“その筋のオタクショップ”を一巡するのが習わしになっていたけれども、『月姫』はどこにも無かった。売り切れていたのだ。
 
 しようがないので、その日はトライアミューズメントタワーでシューティングゲームをやりこみ、新宿で『脱オタ』に役立ちそうな服を買ってから帰途に就いた。
 
 ところが数週間後、何気なく立ち寄った地元のエロゲーショップに『月姫』のディスクが並んでいたのである! それも複数枚! どうしてここにあるんだ? とりあえず驚き、とりあえず買った。
 
 この頃は“中二病”という言葉を使い慣れていなかったし、私自身、中二病傾向がふんだんにあったので、那須きのこ節は心地良く感じられた。アルクェイド編も良かったが、遠野のお屋敷編、特に琥珀編にはクラクラ来た。
 
 思い返すと、この頃が私がビジュアルノベルに惹かれていた最盛期だった。なにせ、約一年の間に『Air』『月姫』『君が望む永遠』を立て続けに経験したのだ! 夢中にならないわけがない。これらの作品と、これらについてオタク仲間と話し込んだ時間は、本当にかけがえのない思い出だ。
 
 
2.2001年の秋は『君が望む永遠』に首根っこを掴まれていた。この作品は、当時の私がエロゲーに抱いていた疑問を具現化したような内容で、滅茶苦茶はまり込んだ。涼宮茜がかわいらしく、幾つかのバッドエンドルートが凝っていた*1のも良かった。
 
 この『君が望む永遠』に集中していたこともあって、私は『歌月十夜』の発売をまたしても見逃した。秋葉原の街を空しく彷徨い、どこにも売られていないことを確認した後、「夢よもう一度!」という感覚で地元のお店に立ち寄ったら、今度は一枚だけ『歌月十夜』が売れ残っていた。店長、ありがとう!「そうか、東京で売り切れていたら地元で買えばいいのか!」
 
 私は、秋葉原のショップで売り切れるタイミングと地元のショップで売り切れるタイミングに数か月のタイムラグがあると気付いた。ということは、私には二度の購入チャンスがあったわけだ。これを活かして、『東方Project』のディスクが品薄だった時期に、私は『東方妖々夢』『東方永夜抄』を地元ショップで購入した。
 
 
3.地元のエロゲー屋は、地元の広く薄いオタクコミュニティの一部分を為していて、店内では知っている顔にしばしば会った。その面子は、地元の「オタクご用達の本屋」の常連や「マニアの集まるゲーセン」の常連ともある程度重なっていて、なんとなしに知り合って、なんとなしに情報交換するようなネットワークができあがっていた。
 
 インターネットの普及率が高くなかった当時は、現在よりもオタクのモノ・情報の中央-地方格差が大きかった(はずだ)。しかし、思い起こすと、私はそんなにモノ・情報に苦労していなかったし、むしろ中央-地方の微妙なタイムラグに救われていた部分すらあった。オタク文化の最先端にキャッチアップできなくても、せいぜい数か月のタイムラグで諸作品を遊べれば私達は幸せだった。そういう状況下で『Fate/staynight』も『CLANNAD』も買った。そして皆でワイワイ語り合いながら遊んだ。だから東京のオタクを羨ましがる人は地元にはおらず、私自身、東京と地元、それぞれのオタクコミュニティには微妙に違った文化と特性があってどちらも良いと思っていた。
 
 まあ、それから数年の間に色々なことがあって、地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠なんてものを書くのだけれども。
 
 
4.思い起こすと、十数年前に私が地方在住のオタクとしてそれなりコンテンツを愉しめていた背景には、地方の各種オタクショップと、その店員さん達の尽力があったのだと思う。
 
 ゲーム分野の相当部分は地元ショップに頼っていたし、紙媒体onlyだったコミケカタログは「オタクご用達の本屋」で購入できた。マニアが集うゲーセンもそうだが、それぞれのお店には地元マニアの生態系の要石のような店員さんが存在し、コミュニティの存続に大きな役割をはたしていたと思う。
 
 ただ、そういった地元のショップや店員さんの存在感は少しずつ遠くなっていった。
 
 私がインターネットや東京のオタクに多くを頼るようになっていった時期と、地元ショップが潰れていった時期はだいたい重なり合っている。皆がインターネットや東京に頼るようになったからショップが潰れたのか? それともショップが潰れたからネットや東京に頼るようになったのか? そのあたりはわからない。
 
 ネット通販やSNSのおかげで、利便性という点では、あの頃よりもずっと便利になり、中央から伝わってくるモノ・情報のタイムラグも縮まったとは思う。ただ、今より不便だったあの頃にも、あの頃なりの愉しみがあり、あの頃なりのネットワークがあり、なにより、コンテンツを愛する人々がいた。その日々を私は忘れたくない。そういう状況があったことを書き残しておきたいと思ったから、これを書いた。
 
 『月姫』や『東方』を買ったあのショップは、数年前にシャッターを降ろしてしまって、それっきりである。
 

*1:いや、あれがトゥルーエンドと言う人もいただろう

子どもが子どもでいられる時間と空間が減ってしまった

 
blog.tinect.jp

 
 リンク先のBooks&Appsに飛び込むことになりました。
 はてな村の精神科医・p_shirokumaです。
 
 「これ以上、記事のお届け先が増えたら死ぬかもしれない」と思っていたんですが、このBooks&Appsのボスの方、なんと私に「ライターっぽい文章じゃなくていいんです。ブログを!ブロガーらしい記事を!書いていただきたいのです」と仰ってくださいまして。それなら好き勝手に書いちゃうぞ、ということでお引き受けいたしました。この『シロクマの屑籠』以上に執着丸出しの文章をジャカジャカ投稿するかもしれません。ノーガードでゴー!
 
 で、リンク先の話です。
 
 現代の都市空間や郊外って、つくづく、大人*1のための空間だな、と改めて思いまして。
 
 バリアフリーとか、そういう配慮の面では障碍者も都市空間や郊外に存在して構わなくなっていると思います。盲導犬を連れて入れるお店が増えたとか。そして、そういった配慮を推し進めるのが正しいというコンセンサスが社会のなかにできあがっています。
 
 じゃあ、子どもが子ども然とした状態のまま、現代の都市空間や郊外に存在して構わないってことになっていると思いますか?
 
 私は、子どもが子ども然とした状態のまま、街を歩いたりお店に入ったりしにくくなっていると感じます。
 
 新幹線のなかで子どもは騒いではいけない。公園で子どもが騒いだり悪戯したりしてはいけない。ファミレスはともかく、ちょっと気取った場所では子どもの大きな声は許されない。……的な風潮は、昭和時代より増えてはいても減ってはいないのではないでしょうか。
 
 例外的に、郊外のショッピングモールやスーパーマーケットは比較的子どもの子どもっぽさを許容しているようにみえますが、それでさえ、子どもが調子に乗って構わない程度は限られています。
 
 結局、今、子どもが子ども然としたまま過ごせる場所は「隔離」された特定の空間や状況に限定されています。最近は【子どもOK】を掲げる旅館やレストランも現れてきていますが、それを特色にする店があるということ自体、社会全体の風潮として子どもが「隔離」の対象になっていることを反映しているのではないでしょうか。
 
 家の外に子どもを連れ歩く際には、子どもも親も「子どもは大人世界と同じルールを守らなければならない」という暗黙の了解に曝されます。駄々をこねる子ども、ふざけて笑う子ども、泣く子ども、こういったものは街では忌避されます。それは住宅地に点在する公園でも同様らしく、子どもが年齢相応のハシャギ声をあげること、失敗や迷惑を幾分含んだ行動に身をゆだねることを、地域住民も、公園管理者も、許したりはしません。
 
 [関連]:「何もできない」公園が増加 自由な遊び場が減り子供にも影響か - ライブドアニュース
 
 現代の、特に住宅地に点在する公園は、どうやら「子どもが子ども然とした姿で遊び回るための空間」ではなくなり、「子どもも大人世界に準じたルールを守り、大人のような行儀良さで過ごさなければならない空間」に変貌してしまったようです。モスキート音の設置なども、そういった変化の一部とみなして良いかもしれません。
 
 大人には限りなく自由な空間と時間を提供している現代社会が、子どもには、子どもが子ども然としたまま過ごすための空間と時間をどんどん制限しているわけですよ。空間については今言ったようなとおりで、時間については通塾や稽古事や学童保育といった「管理された時間」によって。
  
 自分達の権利や自己主張にはセンシティブな大人や青年が、子どもが子ども然とした状態で過ごせる空間や時間が制限されていくことにこうも無頓着でいられることが、私には信じられません。あなた達だって、子ども時代を通り過ぎて大人になったんじゃないんですか?
 
 現代の大人、特に子育てにまったくコミットしたことがなく子ども慣れしていない人達にとって、子どもの子ども然とした言動は、不快だったり迷惑だったりするのでしょう。だから、大人のための空間を守るためには、子どもに大人世界と同じルールをキッチリ守らせ、そうでない子どもを排除するのが一番手っ取り早い。けれども、それは子どもが子ども然としていられること・子どもの言動の不可欠な一部分を侵す選択肢であり、親子が大人社会に溶け込んでいくための経路を減らし、難易度を高くしてしまうものではないでしょうか。大人にとって一番都合の良い都市空間や郊外とは、子どもにとって、ひいては親子にとって一番厳しいものではないでしょうか
 
 こうした変化は21世紀に始まったものではなく、遅いところでも1990年代から全国各地で進行してきたものでした。新幹線や特急列車は静かになり、市中の公園の子ども達は携帯ゲーム機で遊ぶようになり、騒がしい子ども達の外食はファミリーレストランへ「隔離」されました。静かで、清潔で、快適になりましたね! 大人のみなさん! でもそれは手放しで歓迎して構わない変化だったのか、そろそろ功罪について皆が考えなければならないフェーズに来ているんじゃないかな、と私などは思います。
 
 

「子どもが子どもでいられる」時間や空間は、親が購うしかない

 
 で、こういうかたちで街から子どもが締め出されてしまった以上、「子どもが子ども然」としていられる時間と空間には希少価値が生じていると思うんですよ。
 
 自宅以外で子どもが子ども然として過ごすためには、親がカネや手間暇を費やさなければなりません。カネや手間暇を惜しまず、意識して選択肢を手繰り寄せるなら、年齢相応のハシャギ声をあげて構わない空間は見つかります。伸び伸びと動き回れるような運動公園、自由度の高いプレーパーク、ちょっと変わった塾のたぐいは、そうだと言えるでしょう。
 
 ただし、それは親がカネや手間暇を惜しまなければのこと。
 
 放っておけば子どもが子ども然として過ごせる時間はどんどんやせ細り、子どもが「大人世界と同じルールを守らなければならない」時間がどんどん増えてしまいます。
 
 小さい頃から大人世界のルールに包囲されて過ごす子ども時代とは、良いものなんでしょうか?
 
 ある程度はそうでしょう。でも、度が過ぎれば子どもの精神発達に――ひいては次世代全般の社会病理に――思わぬ副作用を残すのではないでしょうか。
 
 私は昭和五十年代の田舎で生まれ育ちました。当時の記憶と比べると、街で見かける平成時代の子ども達は、なんとも行儀良く、静かに、“お利口に”なったように見受けられます。でも、それが不気味に感じられることもあります。「なんて子どもっぽくない、行儀の良い子ども達なんだろう!」と。

 そうやって、ひたすらに大人世界のルールを遵守させられるのって、はるか昔に家父長的なルールを遵守させられていたのと同じとは言わないにしても、似たような酷薄さを含んでいるとは思うんですよ。ルールを強制するためのシステム、背景にある思想、制限を蒙るレイヤーは異なるにしても。
 
 だから親としての私は、自分の子どもに「子どもが子どもでいられる」時間や空間をどうにか提供したいと願います。せめて、私の頃の1/3でも確保できれば……。そうしたほうが、子どもの自律性や自発性を、大人世界への服従作法で塗り潰さずに済むような気がするからです。でも、そのためには相応のリソースを差し出さなければなりません。まるで、子どもが子どもでいられる時間や空間が、「商品」になっちゃったような。キツい。
 

*1:というより、思春期中盤以降の年齢層

「自由=都会で働いて自立して生きる」じゃない

 
 少し前、ネット上で「高学歴の女性が専業主婦になるのはもったいないか否か」「本当にもったいない生き方とは何なのか」が話題になっていて、たくさんのネットユーザーがコメントしていて面白かった。ネットの話題はいつもそうだが、こういう時に、学力・女性の生き方・専業主婦といったものに対するいろんな価値観が浮かび上がってきて、世間の温度を類推するちょっとした手がかりにはなる。
 
 それはさておき。
 
 現代社会のテンプレート的な価値観として、「自立した女性は素晴らしい」がある。
 これそのものは、なんら問題の無い、良い価値観だろう。男性においても同様だ。
 
 しかし、「自立した女性は素晴らしいが、自立していない女性は駄目である」「金銭収入を異性に委ねた人生は悪い人生」になると、一つの生き方を認めても別の生き方は認めないことになるし、「自立できる能力を持った女性が自立した人生を過ごさないのはもったいない」まで行くと、甚だ不自由な価値観と言わざるを得ない。
 
 これは男性にも当てはまる話で、むしろ、男性のほうがこの手の「素晴らしい/素晴らしくない」「もったいない/もったいなくない」を言われやすいのかもしれない。
 
 「高学歴を手に入れて高収入・高ステータスの仕事に就くのは素晴らしい」で終わるぶんには、はい、そうですね、そういう価値観もいいですね、で終わるところだが、実際には「高学歴を手に入れているのに、それに見合った仕事をしないのはもったいない」「どうして高学歴を活かさないんですかぁ?(=生かしていないお前はどうかしてるだろ!)」と考える人はたくさんいる。
 
 そして、そういった生き方を巡る「もったいない」云々は、周囲の無理解や押し付けだけでなく、ときには自分自身の内面に由来することもある。
 
東大文学部卒おばさんが、何がもったいないのか解説するよ
 
 フィクションか否かは別にして、興味深い文章だった。
 彼女は自分が東大卒であることに戸惑いをぬぐえなかったらしい。でも、文中にはいい台詞がある。
 

そうして特に好きでもない会社に毎日通う私はとにかく焦っていた。
大学院に進学した友達にも、留学を決めた友達にも、さっさと結婚して専業主婦になった友達にも負けたくない。
そのどの道も選べなかった私は、「これでよかったのだ」と思える何かをとにかく見つけたかった。
でもあるとき、私は私の目指しているものの空虚さにいきなり気づいた。
なんで私はキラキラしなくちゃいけないのだ、そのキラキラはいったい誰のためのものなのだ?と、本当にいきなり、気づいた。
それに気づくまでの20代の10年間は、本当に無駄にしたと思う。
自分の気持ちを無視して、他人の評価に合わせた人生を送ること、それほどもったいないことは、ない。

 
 自分の気持ちを無視して、「既存の価値観で素晴らしいと言われているもの」に合わせた人生を過ごすのは勿体ない、という意見には同感だ。
 
 ところが、他人の評価が自分自身に内面化され、意識もできぬまま束縛されている人もいる。「流行の服を買うのは素晴らしい」「良い大学に入って高収入の仕事に就くのは素晴らしい」「経済的に自立した生き方が素晴らしい」――そういった“正しい”価値観を小さな頃から押し付けられ、刷り込まれ、内面を束縛されている人は少なくない。そのような人は、自分自身が価値観に束縛された不自由人であることを意識することすらできず、意識のうえでは「私は他の人達よりも“進歩的で”“自由な”“正しい”生き方をしている」と思い込んでいる。
 
 その結果は、世間で“進歩的で”“自由な”“正しい”価値観どおりに生きることができる、のではなく、そうした価値観どおりに生きなければならないという価値観の奴隷のできあがりだ。
 
 精神的・経済的に自立した生き方も、高学歴を活かした仕事に就くのも、それ自体は、ベタな思想レベルでは自由な生き方と言えるだろう。だが、そうした生き方や働き方が義務感を帯びるようになるならば、それはそれで価値観の奴隷であり、メタレベルでは不自由な生き方と言わざるを得ない。自由なのは世間体上の振る舞いだけで、精神は、他人が敷いた価値観のレールの上を往復するしかない
 
 「それなら価値観の束縛、価値観のレールからはみ出て生きればいい」と言う人もいるかもしれないが、これがまた難しい。
 
 自分の周りにいる高学歴な女性・働く女性が皆が皆そうした価値観を持っていて、自分自身もそうした価値観を無意識の水準まで内面化していると、そこをはみ出してモノを考えるのは一種の飛躍になる。強く内面化した価値観からの脱却は、ときとしてアイデンティティを揺るがす事態にもなりかねず、相応のきっかけやロールモデルを掴まなければ成功しにくい。成功したとしても、一時的に自分自身の価値観が宙ぶらりんになってしまうので、ヘタを打てばメンタルヘルスを苛まれるリスクすらある。
 
 それともうひとつ、世間や他人の価値観を内面化するあまり、自分独自の価値観や考え方が皆無に近い人というのがいる。
 
 既存の価値観に束縛されながらも、そうではないエッセンスをどこかに隠し持っている人には価値観からの脱却のチャンスはある。そのような人は、いわば、心のなかに反乱分子を持っているようなものだから、ある日、“価値観の革命”が起こってもおかしくはない。ところが、そうした心のなかの反乱分子をほとんど持っていない人というのが、時々いたりするのだ。異なるエッセンスを持たず、ただ既存の価値観に愛憎を募らせるだけでは“価値観の革命”は成功しない。そのような人は結局、フイルムのネガとポジを逆転させたような既存の価値観の影絵のような存在になってしまう。
 
 その点では、リンク先で記されているような“気付き”はラッキーケースの部類に入るだろう。七転八倒してもなお、ひとつの価値観、ひとつの“かくあるべき”に縛られる人は後を絶たない。
 
 

数十年前の「自由」は、あなたにとっての「自由」とは限らない

 
 数十年前、女性の経済的自立やキャリア志向を真摯に目指した女性達がいた。思うに、彼女達は本当に自由だったのだと思う。当時主流だった価値観に束縛されず、彼女達自身が望む人生に突き進む程度には自由だった。
 
 だが、過去の自由人が自力で勝ち取ったライフスタイルや価値観が、現在の私達にとって同じ意味合いを持つのかといったら、そうとは限らない。
 
 「都会で働いて、自立して生きていく」ことを自ら選んだのではなく、既存の価値観として植えつけられた人にとって、それは束縛や呪いになり得るものだ。その手の自立志向・キャリア志向は、いまや新しい価値観なのでなく、既に親世代が持っている価値観なのだから、それに唯々諾々と従う生き方は、メタレベルにおいて自由とは限らない
 
 もちろん、みずから望んでそう選択する人や、ベタレベルの不自由を克服して自立志向・キャリア志向にたどり着く人にとって、そのような価値観とライフスタイルは真に自由と呼べるものだろう。だが、誰かから与えられ、周りの空気に流され、考えることも検討することもないままに親世代の価値観に嵌め込まれたままでは自由ではない。
 
 私は、本当の意味で自由に生きるとは、既存の価値観をただコピーアンドペーストするようなものではないと思う。たとえ、その既存の価値観が、経済的自立やキャリア志向を良いものとみなしているとしても、だ。専業主婦や専業主夫のなかにも、心理的に自由な人はたくさんいると思う。表面上、どのような生き方を選んでいるのかは関係ない。自分で考え、自分で決める余地のない生き方をしている人の内実は、不自由だ。