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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ファスト風土には「趣味の奥行き」が無いんですよ。

執着

 

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 
 ファスト風土はなぜ“退屈”なのか?
 
 この疑問について、以下のブログで「生産なき消費は退屈」という視点が書かれていた。
 
 『ここは退屈迎えに来て』ーーファスト風土の“退屈”から抜け出すには - (チェコ好き)の日記
 

 とりあえず人間というのは、「消費」するだけだと退屈する生き物なのではないか、ということがこの小説を読むとわかります。

http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2014/09/28/113710

 
 この「生産なき消費は退屈」という視点、郊外に住んでいる人にはだいたい当てはまっていると思う。ただし、大都市圏、特に東京の趣味人には必ずしも当てはまらない。
 
 実際、『ここは退屈迎えに来て』の登場人物達も、東京ではあまり退屈していなかった。コンテンツクリエイター的な立場の人だけでなく、必死に東京のコンテンツを吸収しようとしている人も、東京の消費活動に退屈していたようには見えない。そしてファスト風土の「退屈な消費の象徴」の対照として「華やかな」東京がしばしば描かれているわけで、「消費全般=退屈」という風には読めなかった。
 
 現実を振り返ってみても、首都圏でコンテンツ消費に身を捧げている人々が、退屈しているかといったら……そうは見えない。消費生活の中央付近にいる人々は、ファスト風土に暮らす人々に哀れみのまなざしを向ける人こそあれ、自分達のライフスタイルを手放しファスト風土に住みたがる人は稀のようにみえる。
 
 

大都市圏の趣味生活にあって、ファスト風土の趣味生活に無いもの

 
 では、大都市圏の趣味生活にあって、ファスト風土の趣味生活に無いものは何か?「退屈」かそうでないかを分かつものは何か?
 
 私は、趣味の奥行きだと思う。
 
 東京をはじめとする大都市圏では、コンテンツの流通量が全く違う。アニメにしても、音楽にしても、書籍にしても、ファスト風土とは桁違いの種類が商われている。
 
 違いはコンテンツだけではない。コンテンツにまつわる情報、人物、種々のシーンも大都市圏に集中している。もちろん、ファスト風土が成立したことによって地方の町村部のコンテンツ流通は“改善”したし、TSUTAYAにさえ行けば、ひととおりのサブカルチャーコンテンツは揃っている。けれども、大きな街の書店や各種専門店にあって然るべきレパートリーは期待できない。
 
 いや、店舗単体のレパートリーの違い以上に、A店とB店とC店を巡って比較できないのが一番痛い。店舗を巡って比較する作業は重要だ。店舗それぞれの性格の違いがわかるし、どういう店でどういう客がどういう品を買い求めているのかもうっすら見える。各店舗に平積みされている商品は、界隈の風向きを知るバロメータだ。店員と会話できる店舗や、何らかのイベントをやってくれる店舗の場合には、そこから色々な情報やツテを引き出せるチャンスもある。
 
 なにより、A店とB店とC店を合わせたレパートリーの豊富さは、ファスト風土のソレを圧倒的に上回っている。こればかりは流通革命によっても解決していない。これからも解決しないだろう――むしろ、イマドキの流通の根底にあるのは「売れ線だけを確実に」「種類を絞った商品でも、お客様が“選んだ気分”になれるように」のようにみえる。少なくとも、(例えば)イオンが森羅万象を商おうとしているようにはみえない。
 
 これらの総合として、ファスト風土頼みな趣味生活は、どう頑張っても大都市圏のソレにはかなわない。だから、どの趣味分野であれ、大都市圏で趣味生活を掘り下げた消費者にとっては、全国一律で、売れ線商品をピックアップして商っているファスト風土の景色が面白みを欠いているのは仕方ないのだ。東京から田舎のファスト風土に“都落ち”した人間は、大都市圏にどうにかしてしがみつくか、(もしネットでカヴァーできる分野なら)ネットの流通やコミュニケーションにしがみつくしかない。
 
 ちなみに、誤解が無いように断っておくと、私は「地方の趣味生活者は一律に退屈している」「地方の趣味生活者には奥行きが無い」と言いたいわけではない。地方といえども、ファスト風土の成立以前から存在する各種マニア店を利用している人*1には相当な趣味人がいる。この場合は、マニア店の店長や客同士のネットワーク、大都市圏との繋がり、潤沢な資金等によって、地方在住のハンディを埋め合わせている。彼らの趣味生活は一般に高コスト体質だが、どちらにせよ、ファスト風土とは縁が無い。
 
 ただし、こうした「地方のマニア店とその周辺」はファスト風土成立以前につくられたものが多く、衰退しつつあるため、平成生まれには当てはまりにくくなっているが……。
 
 

「趣味の奥行き」は、福音なのか、呪いなのか。

 
 ところで、大都市圏の「趣味の奥行き」、いつまでも退屈しない趣味の世界は、福音なんだろうか。
 
 これは価値観の問題なので、ある種の人達にとっては福音以外の何者でもないだろう。その一方で、趣味の奥行きに魅了されるあまり、“趣味の奥行きから帰って来れなくなってしまう人”もいるのではないだろうか。
 
 この、“趣味の奥行きから帰って来れなくなってしまう人”問題は、漫画『カフェでよくかかっているJ-POPのヴォサノヴァカバーを歌う女の一生』でも鋭利に描かれている。
 

カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生

カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生

 
 趣味の奥へ奥へと分け入っていくのは楽しいものだし、趣味を職業にしたいと願う人もたくさんいる。けれども趣味に呑まれたり依存したりして、歳を取った頃に茫然自失の境地に至る人もいる。どこまでも趣味の道を歩み続けるためには、時間も要るし、カネも要る。もしもカネが乏しいなら、体力でカヴァーできる部分もあるけれど、その体力とて歳を取れば衰えてくるわけで、身を粉にして趣味を究めたはいいものの、気がついたら持続困難になっていた……なんて事がしばしば起こる。控えめに言っても、時間や金銭にゆとりが無いのに趣味に心血を注ぎ過ぎる人生には、大きな危険が伴う。
 
 そういった危険は、ファスト風土のコンテンツ消費で間に合っている人には縁の無いものだ。趣味の奥行きを意識せず、手近なコンテンツを素直に楽しむ意識のおかげで、趣味に人生を喰われてしまうリスクはきわめて低い。
 
 ファスト風土を「退屈」と呼び、大都市圏でコンテンツ消費に夢中になっている境地は一見幸福そうにみえる。しかし、趣味生活の土台を省みず、若さに任せて耽溺していれば、大きなしっぺ返しが待っているだろう。だから、どんなに趣味生活が楽しくとも、生活基盤の持続可能性との帳尻が取れていなければ、趣味生活はいつか福音から呪いに転じる可能性が高い。このあたり、なかなか難しい。
 
 

ファスト風土で「退屈」しない人達

 
 なら、「退屈」しない趣味生活を送るためには、人並み以上にカネや時間を備えるしかないのか?
 
 そうでもない。だって、実際そうだろう?ファスト風土のコンテンツ消費で完結している人達を観てみればわかることだ、彼らは自分達の生活に「退屈」していない。
 
 ユニクロやファッションセンターしまむらで服を買い、TSUTAYAでレンタルDVDを借りて、シネコンでハリウッドのヒット作を観る……そういう趣味生活で退屈していない人は郊外に幾らだっている。
 
 だから、趣味の奥行きが無い=「退屈」とみなすのも、それはそれで間違っている。冒頭リンク先のaniram-czechさんは、退屈を救ってくれるものとして仕事や子育てを挙げてらっしゃったけれど、もちろん、仕事や子育てでも構わない。人間は、なにかしら情熱を捧げたいもの・自意識の座になるものがあれば、どこでだって退屈しないで生きていける。もちろん、「退屈しない」ことは「苦労する」ことと表裏一体だが、少なくとも苦労に値するような苦労ならば人は退屈することなく生きていける。それどころか、自分だけのオリジナルな物語を見いだすことだってできる。そういう“平凡な”ライフスタイルが趣味人のライフスタイルに劣っているとも思わない。
 
 その点、『ここは退屈迎えに来て』の影の主役・椎名一樹は興味深い。彼にとって、どこに住んでいるのか、何を趣味にしているのかは、たいした問題ではない。もしかしたら、誰と付き合っているのかすら問題ではないのかもしれない。ファスト風土に倦まないメンタリティのなんたるかを、椎名一樹は暗示しているように思う。ファスト風土に「退屈」を感じる人々の対照項として彼を眺めると、色んな発見があると思う。
 
 そろそろ疲れてきたので結語にうつると、ファスト風土の消費には奥行きが無いけれども、そこに「退屈」する人もいれば全然「退屈」しない人もいて、むしろ後者のほうが多数派だって事は、忘れてはならない視点だと思う。
 
 それと、現在の若者の経済的・時間的モラトリアムの欠乏を思うなら、趣味の奥行きを追求するようなライフスタイルは、これからは希少になっていくんじゃないかな、とも。
 
 この手の話はまだまだあるけれど書ききれないので、続きは明後日発売の私の本にて。
 

融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論

 

*1:殆どが団塊世代〜バブル世代で占められている