シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“子育てで 自分探しの 延長戦”

 
 親であることの恐怖。罪山罰太郎・うらぽん「黒の女王」 - 深町秋生のベテラン日記
 
 リンク先の深町さんの記事は、我が子をスポーツエリートに育てて自分のエゴを充たそうとする親に関するものだった。おっかない話だ。けれどもこうした恐ろしさは、スポーツに限らず世間のあちこちに充満していて、親のコンプレックスや思春期の挫折を埋め合わせるための“人形”になりきれなかった子どもを、何の因果か、私はかなりの頻度でみかける。
 
 その有様が、子どもを介して自分の思春期の夢を取り戻そうとしているようにも見えるので、私は「自分探しの延長戦」と呼んでいる。彼らにとって、子どもの児童期や思春期は、自分が充たせなかった執着・不満足だった思春期をやり直すための敗者復活戦なのかもしれない。子どもの側からみればたまったものではないが、家庭のなかでイニシアチブを握っている側の親が、こうした「自分探しの延長戦」を強烈にやりたがっている度合いが強ければ強いほど、そして もう片方の親が子どもを守る防波堤として機能しなければ機能しないほど、子どもは親の操り人形として拘束される。
 
 この、「自分探しの延長戦」には厄介な点がいっぱいある。
 
 まず、児童虐待とはみなされない点。この手の親は、教育に熱心(その内実は、自分のエゴを充たすための人形づくりに熱心、と言い換えるべきものだが)なので、児童相談所的な意味で“事例化”することが少ない。よっぽど体罰でも繰り返していれば話は別だが、そうでない場合、どれほど子どもをスパルタ教育しようとも、“熱心に教育してます”“将来のための取り組みです”といわれてしまえば誰も何も口出しできない。子どもの体験としては地獄のような境遇であっても、それが“子どもの将来のための教育”という体裁をとれる限り、他の大人にどうこうできるものではない。
 
 しかも幼児期〜児童期に、ひたすら一点集中のスパルタ教育を受けてきた人は、つぶしが利かない、汎用性の極端に低い人物に仕上がるリスクを負う。スポーツ選手やタレントのような競争率の高い世界でスターになれる確率は必ずしも高くはない……にも関わらず、そこから落伍した時の保険となるようなものを何も身につけない状態で社会に放り出される危険がある。当該ジャンルについての純粋培養が極端なほど、そのジャンル以外のことを身につける機会が少なくなるわけだから、「スポーツ以外には能の無い人間」や「受験勉強以外はとりえのない人間」になってしまうリスクが高い。
 
 そのうえ、親にひたすら服従するしかない育ちが徹底しているほど、支配-服従の人間関係を基調とした、人格的にも非常に融通のきかない人物にできあがってしまう可能性が高まってしまう。仮に子どもがスポーツなり勉強なり芸能なりで成功したとしても、地獄の獄卒か亡者のようなパーソナリティを身につけてしまうリスクは依然として高い。服従しなくて済むようになった時にやってくるのは支配であり、かくして、親の処世術は次世代へと継承されることとなる。
 
 私が見聞している範囲では、こうした「自分探しの延長戦」が親自身に自覚されることは滅多に無い。親の執着を子どもに仮託している度合いがひどいケースほど、第三者の忠告を払いのけてでも、自分のエゴのために子どもを磨き上げようとしてやまない。また、子どもがいよいよ挫折した時の仕打ちも容赦無いものになりやすく、「オレ様がこんなに頑張って育てたのに、挫折したお前は出来損ないだ」ぐらいのことを、人前でも平然と言い放つ。子育ての内実が、自分のエゴの強制でしかないのに、そのエゴを充たしてくれない子どもを糾弾してやまない残酷さときたら!傍から見ているぶんには、どちらが親でどちらが子どもかわからない振る舞いであっても、そうやって子どもを罵倒しておけば、“自分は教育熱心な優れた親”という気分を手放さずに済む、ということなのかもしれない。もちろん、このような親の振る舞いに直面した時、子どもの側は自分自身にますます失望することになる。
 
 

「自分探しの延長戦」を防ぐ手立ては?

 
 私は、親が子どもを使って自分探しの延長戦を極端な形で実行してしまうのは、非常に恐いことだと思っている。世間体的には教育熱心な親という外観を呈し、当人自身もそう思いこんでいることが多いために、第三者が食い止めるのも難しい。では、どうすればこうした「自分探しの延長戦」は防げるだろうか。
 
 単純に考えるなら、親になる前に思春期までの自分の執着に折り合いをつけること・自分探しの延長戦をしなくても良いよう、自分の執着は自分の世代でケリをつけること、なのだろう。とはいえ、それが出来れば皆やっているだろうし、この路線で極論に飛びつく人達のように“完璧でないやつは親になってはいけない”などと結論づけるのは不適当だろう。有史以来、100%完璧に執着から抜け出した親など滅多にいなかっただろうし、親が子どもに夢なり未来なりを託すこと自体は、それほど問題視すべきでは無いと思う。問題視すべきは、親が子どもに執着を持つことではなく、親が子どもに過剰な執着を持ちすぎること・融通のきかない執着を押し付けることのほうであって、親が子どもに一切仮託することが無いというのも、それはそれでヘンテコな状態のように思える。
 
 より現実的な心がけとしては、子どもに執着を一点集中させないようにすることが多少は有効かもしれない。子ども以外の様々な分野に興味や執着が分散している人は、子どもに一点集中してしまっている人よりは、子どもにエゴをぶつけすぎずに済むかもしれない。そういう意味では、自分探しを諦めきれていない人は、子どもを道具にして自分探しの延長戦をやらかしてしまうよりは、自分の仕事や趣味でマイルドに執着を充たしながら暮らしたほうが、バランスがとりやすそうではある。
 
 また、両親の力関係が極端な家庭よりは、両親の子育てでのイニシアチブがつりあっている家庭のほうが、滅茶苦茶な子育てを防止しやすいかもしれない*1。子育ての指揮系統と視野が一人の人間に集中するよりは、二人以上の人間に分散する形のほうが、子どもの視る景色も、子どもの体験可能性も、そのぶんだけ広がりやすかろう。逆に言えば、子育ての指揮系統と視野が一人の人間に集中するという事態は、それなりに警戒してかかったほうが良いのかもしれない。シングルマザーやシングルファーザーの場合も、片親であること自体は問題にはならなくても、他の人間との接触を欠き過ぎた、孤独な片親の場合、「子育てを介した自分探しの延長戦」を防ぐことが難しいだろうと推測する。
 
 以上は個人レベルの対策だが、社会レベルでもやっておいたほうがよさげな対策はあるような気がする。
 
 例えば私は、「子育てを介した自分探しの延長戦」の勝者だけをメディアに載せるのではなく、敗者の大変さも相応に紹介して欲しい、などと考える。
 
 リンク先でid:FUKAMACHIさんが指摘しているように、マスメディアは若きスターの活躍をたんまり称賛することはあっても、埋もれていく挫折者には一顧だにくれない。だから、マスメディアを見ているだけでは「自分探しの延長戦」の恐ろしい顛末に想像力を働かせるのは意外と難しい。そして文科省の学習指導要綱までもが「学力だけでなく人間性や体力など、変化の激しい現代社会を生き抜く力を備えた著名人」として若い有名スポーツ選手を紹介するぐらいなのだから、「自分探しの延長戦」に怖さを感じず、ポジティブなイメージばかり想起する人は、結構に多いのだろう。
 
 だが立ち止まって考えてみると、このような状況はちょっと怖い。子どもの人生を使った親のエゴによる大博打、それも勝者の確率が非常に低い大博打という側面を無視して、勝者の栄光ばかりをクローズアップするのは、ギャンブルの勝者だけを報道して、ギャンブルの敗者やギャンブル依存症の怖さを報道しないのと同じぐらい怖いことではないだろうか。
 
 もちろん、こうしたギャンブル性やリスクを指摘するだけで問題が解決するなら苦労は無いし、啓蒙という手段はえてして最も必要な人には最も届かない。それでも、こうしたハイリスクでギャンブル的な子育てに対して一定のコンセンサスが出来上がっていたほうが、不幸な事態が起こりにくくなるんじゃないのかな、などと期待する。
 
 

ただし、一辺倒な理解は適切とは思えない

 
 尤も、この問題は個人の価値観によって何を良いとするのかはまちまちだろうし、“一律に正しい答え”というものを想定すべきではないとも感じる。私は、スターが1人誕生しなくなっても構わないから100人が挫折しないようになることを望みたくなる性分だが、100人をすり潰してでもスターを1人誕生させることが素晴らしいという人もいるかもしれないし、また実際、そうしなければ世界に羽ばたくスターなるものが生まれにくい分野というのもあるだろう。また、幼児期からきつい稽古を経なければならないような分野を世襲しているような親に対して、「子育てで、自分探しの延長戦をするのはやめてください」「あなたのエゴですよね」などと言えるだろうか?たぶん、言えない。実際、親のエゴが希薄な事例もたくさんあるように思う。
 
 ややこしい結びになってしまったが、そのややこしさを手放してはいけない――そういう留保のうえで、「子育てを介した自分探しの延長戦」に警戒を。
 
 [関連:]「私は息子の為に頑張ってきたんです!」という叫びに対する得心 - シロクマの屑籠
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*1:シングルマザーやシングルファーザーの場合は、配偶者以外の誰か、でも構わないような気がする。そういう人がいる限りにおいて