シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“しわ”を読もう……顔面履歴書へのアプローチ

 
 僕は、“しわ”を眺めるのが好きだったりする。なぜなら“しわ”には、その人が今まで浮かべてきた表情、その人が培ってきた顔立ち、といった表情の履歴が刻み込まれているから。“しわ”は木の年輪にも似ている。
 
 笑顔の絶えない人には目尻にそのような“しわ”が刻まれるし、額に縦皺ばかりつくって唸っている人には、そのような“しわ”が額に残る。口の周りもポイントで、片方だけ唇を吊り上げるような笑い方や、とってつけたような営業スマイルばかりしている人は、えてしてその痕跡が残ったりもする。
 
 年齢と“しわ”とを比べるのも趣深い。年の割に顔に“しわ”が刻み込まれている人もいれば、歳より若そうなツルッとした顔つきの人もいる。たとえば同じ三十歳の人の顔でも、年輪の刻まれ方には随分な違いがあるし、そこから想定される来歴もさまざまだ。
 
 

みんな、“しわ”という履歴書をぶら下げながら街を歩いている

 
 だから、その人の過去を仄めかしてくれる“しわ”を読まない手は無い。短時間で相手を類推しなければならないような立場の人は、自然と、こうした“しわ”の読みかたを身につけざるを得ないし、実際、身につけてもいる。
 
 もちろん、“しわ”から読み取れる来歴や情報はアバウトなものであって、センター試験の答案のように確実な答えが得られるわけではない。けれども“しわ”は誰もが隠さずぶら下げている、隠すことも嘘をつくことも難しい“履歴書”なんだから、参考程度でも読み取れる人と全く意識しない人とでは、情報収集に差が出てくるだろう。例えば、喜怒哀楽四種類の表情シグナルと言語的情報しかインプットできない人よりは、“しわ”から得られる情報も参考にする人のほうが、相手に関する情報を、より短時間に、より多角的に得ることが出来る。もし、現在の表情や話の内容と“しわ”との不一致に気付いたなら、そこで立ち止まって考えてみることも出来るという意味で、ごまかしにも強くなれるかもしれない。
 
 

曖昧な情報源としての“しわ”をどう読む?

 
 けれども、“しわ”という情報源は読むのがそんなに簡単ではないし、机に向かって勉強すれば読解力が高まるというものでもない。実際に色んな“しわ”を見比べるような機会を持たなければ、“しわ読み経験値”はちっとも貯まらない。
 
 それと、“しわ”という情報源は白黒ハッキリつけられるものではなく、他の表情や声音などと同じく、単体では曖昧な情報源でしかなく、他の色々な情報源とのクロスマッチを経てはじめてひとつの推測が浮かび上がってくるものだと心得なければならない。リトマス試験紙のように一つの傾向を断定できるマーカーとしての役割を“しわ”に期待すべきではないし、そんな確証情報を求めて他人の顔面をジロジロ眺めても、いいことは何も無い。
 
 もし、“しわ”という情報源から何か読み取るような癖を身につけようと思ったら、たぶん、以下のような意識が必要なんじゃないかと思う。少なくとも、自分はこれらをかなり意識していたような気がする。
 
 
 【1.他の曖昧な情報源とのクロスマッチング】
 
 何事もハッキリ明示してくれる文章とは違って、“しわ”のような曖昧な情報源は単体ではあまり信頼できない。そんな使い方をしてもしようがないので、他の曖昧な情報源と組み合わせて情報源にすることで、対人アンテナの感度向上に役立てる、ぐらいのほうがよさげ。
 
 例えば、表情、年齢、身振り、服装、職業、人間関係…そういったものと照らし合わせたとき、“しわ”が実によく似合っているように感じられることもあれば、とってつけたような、違和感をもたらすこともある。他の情報と照らし合わせて“しわ”が出来そうな条件が揃っているのに、ぜんぜん“しわ”が出来ていない人に出会った場合などは、相応に敏感になっておくと思わぬ発見が得られることがある*1
 
 “しわ”単体で判断しようと頑張るのではなく、他の曖昧な情報源と組み合わせて判断するように意識したほうが、絶対に“しわ読み”のセンスは敏感になる。
 
 
 【2.既に背景のわかっている人の“しわ”を読んでみよう】
 
 いきなり知らない人の“しわ”を読もうとするよりも、過去の来歴が分かっている人や、付き合いが長くて色んな性質の分かっている人の“しわ”を読んだほうが、参考になるかもしれない。
 
 例えば営業職の知り合い何人かの“しわ”や表情の使い方をみてみるとか、同年代の研究畑の人の“しわ”と比較してみるとか。職業は同じでも性別によって違いがあるのか・年齢による違いがあるのか。モテと非モテでは“しわ”も違っているのか。などなど。
 
 こうした比較のやり方は幾らでもあるけど、あらかじめ“しわ”以外の情報が揃っている人でよく学んでおけば、「ああ、こういう背景を持っている人はこういう“しわ”が多いんだな」と憶えるのが易しくなると思う。
 
 
 【3.数をこなさなきゃダメ。】
 
 しかしまあ、結局は数をこなさなきゃダメでしょう、きっと。
 
 よく、頭のCT画像や胸のレントゲン写真の世界では、「とにかく1000枚読まなきゃ始まらないよ」なんていわれるが、“しわ”だって同じ。レントゲンよりも曖昧で学問化されていない、ほとんどセンスの研磨に近い練習なぶん、一層たくさんの“しわ”を、それなりの関心をもって眺めない限り、情報源として活用するレベルには到達できそうにない。
 
 たくさんの実践を踏まない限りは、ある程度あてにできそうな“しわ”読みというのはムリじゃないかと思う。
 
 

“しわ”読みは職人芸にも似て

 
 “しわ”の読み取りは、わかりやすい方程式や法則だけで完結しにくく、職人芸のように、体で覚えていくしかない部分が多い。鈍感すぎて、一生身につかないという人もたぶんいる筈で、すべての人が等しく身につけられるものでもない。けれども身につけてしまえばコミュニケーションの多層化を助けてくれるのは間違いなく、それだけに意識のし甲斐はあると思われる。
 
 受験勉強に慣れた人などよりは、明示的な言葉に頼りすぎず、曖昧なものから判断を導く経験に慣れた人や、あんがい体育のほうが好きな人のほうが、“しわ”の読み取りも上手になりやすいかもしれない。逆に言えば、“しわ”の読み取りは、ライフハック記事を読んで知識をインストールすればすぐ出来るという類のものではない、とも言える。実地のコミュニケーションのなかで研磨することもなしに読める“しわ”など、たかが知れている
 
 そして“しわ”を読む技能には終わりや正解というものが無いし、一生かけて感覚を鋭敏にしていくしかない領域なのだろうとも思う----これは対人コミュニケーション全般にもそっくり当てはまることだが。せっかちに回答や結果を求めるのではなく、日々の積み重ねのなかで“しわ”を読む経験を降り積もらせていくのがよさげ。
 
 

*1:だからと言って直接的に「あなたのしわ、少ないですね。どうしてですか。」などと訊くのは、ほとんどの場合下策なのは言うまでも無い