読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「体育会系が欲しい」→翻訳→「組織に忠実な兵士が欲しい」

執着

  
 新卒採用「体育会学生」欲しい 「精神力」「意欲」を評価 : J-CASTニュース
 はてなブックマーク - 新卒採用「体育会学生」欲しい 「精神力」「意欲」を評価 : J-CASTニュース
 
 「体育会系の新入社員が欲しい」なんて記事は、きっとネットユーザーの反感を買っているに違いないと思って“はてなブックマーク”を覗いてみたら、案の定、ネガティブな反応が先行している様子だ。もし、「体育会系」の人がこの記事を読んだら肯定的なコメントをつけそうなものなので、否定的なコメントをしている人達の大半は、自称「非体育会系」なんだろう。
 
 ところで、この「体育会系が欲しい」という言葉、ちょっと紛らわしい。実際の企業は「運動と健康しかとりえのないやつ」を欲しがっているわけではなく、当然のことながら、学力や要領やコミュニケーション技能にも長けた人物を切実に欲しがっていると思う。だから「体育会系が欲しい」という言葉が指し示す内容は、「理系が欲しくない」「文系が欲しくない」とはイコールではない。企業が実際に欲しがっているのは、あくまで「体育会系」という言葉からイメージされるような特質を併せ持った、勉学なりコミュ力なりに優れた新入社員だ。そこのところを誤解すべきではない。
 
 じゃあ、「体育会系からイメージされる特質」というのは何なのか?
 以下の引用文などに、それがよく滲み出ている。
 

体育会というのは大学が公認している体育会の部活動で、スポーツ系のサークルなどは除く。主将を頂点としたピラミッド構造の組織で、部員は組織運営のさまざまな場面に携わり、予算確保、学内外との渉外、庶務、会計、新入生勧誘(採用)を経験している。

http://www.j-cast.com/2009/11/12053700.html

 

体育会の学生には強い精神力と高い目標達成意欲があります。組織に貢献することを考えて、縁の下の力持ちにも進んでなります。

http://www.j-cast.com/2009/11/12053700.html

  
 どうやら、「体育会系」という言葉に企業が期待しているのは、ピラミッド型の組織の末端でも辛抱強く働き、縁の下の力持ちとして頑張れるような人材らしい。言い換えれば、企業は「体育会系」という言葉に仮託する形で、「組織に忠実な兵士」を欲しがっている、ということなんだろう。組織の末端で、素直に命令に従って動くことに慣れている人材が欲しい、と。
 
 世の中の大半の企業、とりわけ大企業は、少数の天才肌の人材だけでなく、営業所や工場といったマンパワーの裾野に配置すべき大量の人材をも必要としている。“頭脳”に相当する部署なんて、少数精鋭が担当すればいい。それよりも数の上でたくさん必要なのは、“頭脳”の指令に忠実に動く、“手足”に相当するような人材だ。組織の末端に理想的なのは、上層部や上司にやたらと批判精神を働かせるようなマンパワーではなく、むしろ組織の一員として働くことに喜びを感じるようなマンパワーのほうだろう。
 
 然るに、今日日の大学生が「組織に忠実な兵士」たるよう教育されているかというと、そうではない。大学の先生は勉強を教えてくれるかもしれないし、大学入試のパンフレットには将来の夢を膨らませるような美麗字句が載っているかもしれない。だが大学は兵士の心得を教えてくれるわけではない*1。大学のパンフにカラー印刷してある夢を、ボンヤリと引きずったまま(少なくとも否定しないまま)、就活の時期までを過ごせてしまう。なので現状、大学から企業に提供される人材が「組織に忠実な兵士」としての心構えを身につけている確率はそれほどには期待できない。
 
 しかし、例外が存在する。
 それが「体育会系」だ。
 
 教育機関としての大学そのものは、「組織に忠実な兵士」としての心構えなり性向なりを積極的には叩き込んでくれない。けれども、スポーツ系に代表されるような組織的な部活動であれば、そういった役割をある程度は果たしてくれるかもしれない……少なくとも、組織的な部活動に四年間適応していた実績のある学生のほうが、組織だの協調性だのと無縁にアニメやゲームだけを四年間追いかけていた学生よりは、組織を支える一ピースとして期待しやすいとはいえるだろう。また、先輩-後輩といった上下関係への慣れ不慣れに関しても、組織的な部活動のなかで過ごしてきた学生のほうに一日の長がある。体育会系の[先輩-後輩]という関係には様々な問題が内包されているかもしれないにせよ、そういった上下関係の経験蓄積を持った学生であれば、先輩-後輩という関係を忌避し続けてきた学生よりは、先輩のアドバイスを消化するノウハウや後輩に伝達するノウハウにも恵まれている可能性も高い。
 
 こうやって考える限り、組織的な部活動をきちんと頑張ってきた「体育会系」学生を一定数確保したいという企業の思惑は、それはそれで妥当なもののようにみえる。ラボで働くような例外的英才はともかく、新規採用の大半を占めるであろう“兵士”コースの大卒者に関しては、なるべく組織への適性が良さそうな人材を求めるのは企業側としては当然といえば当然かもしれない。
 
 「組織に忠実な兵士」になってくれそうな人材を企業が求め続ける限り、「体育会系」というラベルは、これからもそれなりの意味を持ち続けることだろう。
 
 [関連]:「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常 - シロクマの屑籠
 
 
 

ところで

 
 ところで、「体育会系」に該当する学生さんは、就活上のポジティブファクターとして無邪気に喜んで良いものだろうか?「体育会系」という言葉のオブラートにくるまれた「組織に忠実な兵士」というニーズが孕んでいる、ある種の怖さ。「体育会系」をやたらめったら優先的に採用しすぎる企業が、社員に期待するものは何なのか?社内の雰囲気はどんな感じなのか?そこらへんは、推して知るべしだろう。
 

*1:しかし、本来期待されている大学機能というものは、そういうものではないだろう。