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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“世界に配信される内輪ウケ”が孕むリスク

執着

 
 http://guideline.livedoor.biz/archives/51324112.html
  
 
 うへぇ、これは本当にひどい。
 思わず「インターネットの心の闇」とか書きたくなる。
 現場に居合わせた人達の心情や、いかばかりだろうか。
 
 こんな事をやらかして補導されるからには、当人には罪悪感や後ろめたさは希薄だったのだろう。「保育園でロリコン宣言したのをニコ生すればウケる」ぐらいにしか考えていなかったんじゃないだろうか。場にそぐわないロリコン発言が、その場の人にどのような影響を与えるのかを想像する視点が、この動画には怖いほど欠けている。
 
 
 「人がやらないような過激な事をやって“内輪ウケ”をとる」。
 「“神展開”をつくりあげる」。
 
 
 確かに、そういうことができれば自分が何か特別な存在であるかのように錯覚しやすく、フォアグラのように肥大した自己愛でも充たせるかもしれない。そしてそういう過激さが内輪のなかだけに留まっているうちは、構わないのかもしれない。けれども、狭い内輪を逸脱して世間へとはみ出してくれば話が違ってくる。“内輪ウケ”や“神展開”のために他人の安全を脅かしたり、他人に直接的な迷惑をかけたりしてくれば、単なる吹き上がりでは済まない。「肥大化した自己愛を充たすためなら世間で何をやっても構わない」というようなデリカシーの欠如は、不特定多数の人間を不快にするのは勿論のこと、巡り巡って当人自身も不幸にするだろう。
 
 世の中には、狭い内輪を一歩はみ出せばネタでは済ませられない言動や、特殊な価値観のなかでは歓迎されても婦女子には極端に侵襲的になってしまう言動が沢山ある。保育所の運動会で「僕はロリコンです」発言をするというのは、その最たるものだろう。人間、それなりの年齢になれば、内輪のなかでだけ許される言動と、パブリックな状況のなかでの言動を区別できるよう期待されるものだ。
 
 

“世界に配信される内輪ウケ”が孕む問題

 
 今までにも、保育園で子どもや父兄を怖がらせるような人物がいなかったわけではない。そういう意味では、動画をアップロードした人物の無分別っぷりは陳腐なものでしかない。けれども、『ニコニコ生放送というインターネットメディアが関与している』という点では目新しさを伴っており、注意を要するように感じられる。もし彼に『ニコニコ生放送』というインターネットメディアが与えられていなかったら、あんな騒動は起こさずに済んでいたんじゃないだろうか?
 
 
 
【自己陶酔のために表現がエスカレートしやすいインターネット】
 
 『ニコニコ生放送』に限らず、インターネットの個人発信メディアの多くは、ビジネスやアフェリエイト目的よりも、他人の支持やウケを集めて自己愛を充たすためのツールとして活用されることが多い。それ自体は決して悪いことではないとは思うけれども、問題が無いわけでもない。例えば、支持やウケを集めすぎると極端な自己陶酔を経験してしまいやすく、それが祟って表現をエスカレートさせる誘惑に駆られやすい特徴は、あまり褒められたものではない。
 
 自分がアップロードしたモノが想像していたより遙かに沢山の支持やウケを集めてしまった人や、突然に眩しいスポットライトを集めてしまった人は、その瞬間の自己陶酔と快感が脳にこびりつきやすく、なかなか忘れることができない。けれどもインターネットの閲覧者というのは極度に飽きっぽい人種なので、同じ“芸”をやっているだけでは尻すぼみを免れない。支持やウケが集まらなくなってくれば、表現をエスカレートさせる誘惑に駆られることもあるだろうし、事実、どんどん攻撃的な文章になっていくblogや、露出度が次第に高くなっていく動画などをネット上で見かけることは少なくない。
 
 インターネットの個人配信メディアは、飽きっぽい閲覧者の支持やウケがゲリラ豪雨のように集まりやすく、瞬間風速的にはすさまじい自己陶酔をもたらす。しかし、支持やウケを継続するには向いていない。このため、瞬間風速的な自己陶酔が気持ちよくて忘れられない人が、支持やウケを集めるために表現をエスカレートさせていく可能性はかなり高い。特に、日常生活のなかでは支持やウケを集めたことが無くて、個人発信メディアが自己愛を充たす唯一の手段という人の場合などは、このリスクは極大となる。
 
 
【内輪で吹き上がるうちに、あたかもそれが標準だと思いこめてしまう罠】
 
 それと、特定のインターネットコミュニティ/動画コミュニティの内輪で吹き上がっているうちに、何が内輪で何が世間的な分別なのかが曖昧になってしまうリスクも無視出来ない。例えば『ニコニコ動画』のあるコミュニティのなかでは“ロリコン”は自慢できる性癖なのかもしれないし、ある種のインターネットコミュニティでは“非処女=中古”なのかもしれないが、これらは内輪の価値観であって、世間全般で通用するものではない。そういうコミュニティの成員の大半は、勿論そのことを弁えてはいる。けれども分別のタガが緩んでいる人というのはどこのコミュニティにでもいるもので、内輪で吹き上がって調子づいているうちにパブリックな分別がわからなくなってしまうリスクは無視できるものではない。
 
 これが、ローカルなオフラインの出来事で、人目を気にしながらのヒソヒソ話に終始しているうちはまだいい。けれども“インターネット上の内輪”は良くも悪くも全世界に配信されていて、コミュニティごと潰されるのでもない限りは「あたかも自分達の価値観が世の中にそこそこ通用しているかのように」思いこめてしまう。本当のところは世間の大半の人からは相手にされていなかったり、気持ち悪がられてはいるだけの場合でさえも、「世界にオピニオンを発信」しながら「周りには自分と同じ内輪の価値観の持ち主ばかり集まって見える」という組み合わせをいつまでも維持しやすく、「自分と同じ内輪の価値観=世界が受け容れている意見」と思いこみたくてウズウズしている人にはたいへん好都合が良い。インターネット以前の時代に、内輪の価値観とパブリックな基準との区別を失うには“思いこみの素養”がかなり必要だったかもしれないが、今なら“世界に配信される内輪”だけを眺め続けて、視界内の仲間とひたすら吹き上がっていれば、割と簡単に思いこみやすい。*1
 
 このように“世界に配信された内輪”であるがために、インターネットコミュニティの内輪の吹き上がりは、あたかも自分達の内輪が世界標準であるかのような勘違いをドライブさせやすい。カルト教団のように価値観を先鋭化させやすい割に、世界に配信されっぱなしでも弾圧や非難によって潰れるわけでもなく、いつまでも同好の士と価値観や自己陶酔をドライブしあえる構造が維持される。この構造が孕む問題を、あまり軽視すべきではないだろうし、少なくとも今回の顛末をみる限り、既に問題は顕在化しているようにみえる。
 
 

ネットを介した自己陶酔や内輪の価値観が悪いとは思わない。けれども…。

 
 個人的には、インターネットコミュニティの内部でどのような価値観が奉じられても、それはそれで構わないと思うし、ネットの個人配信メディアを介して自己愛を充たすこと自体は非難されるほどでもないと思う。けれども、それが加速しすぎた挙げ句、コミュニティの外部で公共の福祉を阻害するのは拙かろうと思うし、そんな出来事が増え続ければ世の中は万人にとって住みづらくなっていくだろう。
 
 “世界に配信される内輪の吹き上がり”があちこちに生まれてきている以上、今回のような出来事は増えることはあっても、減ることは無いだろう*2。十年前ならローカルな仲間内の自己陶酔で済んでいたかもしれない特異な価値観や振る舞いも、今ならインターネットでブロードキャストできてしまうし、狭くて広い内輪のなかで果てしなくドライブさせることもできてしまう。そして私の知る限り、「インターネットのコミュニティには自己陶酔の欲求を加速するきっかけは沢山あるけれども、ブレーキになってくれるようなきっかけはそれほど存在しない」のである。
 
 

*1:さらに、日常生活での人間関係が希薄でコミュニケーションが少なければ少ないほど、思いこみは強化しすくなるだろう。コミュニケーションのなかに占める内輪のパーセンテージが高ければ高いほど、その内輪の特異な価値観への違和感は失われるであろうから

*2:何の対策も打たなければ、の話だが